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第161話:欲望という名の燃料

 翌日。


 地獄の朝は、かつてない異様な熱気に包まれて始まった。


「おい、押すな! 列を乱すんじゃねぇ!」


「割り込むんじゃない! 順番だろ!」


「うるせぇ!」


 閻魔庁の地下食堂前には、見たこともない長蛇の列ができていた。


 最後尾が見えないほど長く伸びたその列には、獄卒である鬼たちだけでなく、刑期を終えかけて仮釈放中の亡者たちまでもが、噂を聞きつけて殺到している。


 原因は一つ。


 換気ダクトから絶え間なく吐き出される、暴力的なニンニクと特製塩ダレが焦げる匂い、そして濃厚な魔獣骨エキスの香りだ。


 その匂いは地獄の瘴気を掻き消し、亡者たちの魂に刻まれた生前の本能――「食欲」をダイレクトに刺激していた。


「ラーメンだ! ラーメンを食わせろ!」


「噂の激辛麺はここか!? 一口食えば極楽へ行けるというのは本当か!?」


 暴動寸前の騒ぎである。


 このままでは、午前の業務が滞るどころか、庁舎の機能が麻痺しかねない。


「あ、晶殿! 大変じゃ! 鬼たちが仕事を放り出して並び始めておる!」


 閻魔大王が血相を変えて厨房に飛び込んできた。


 だが、晶は冷静だった。


 寸胴鍋をかき混ぜながら、計算通りと言わんばかりに眼を光らせる。


「……想定内だ。需要と供給のバランスが崩れれば、市場は混乱する。……だからこそ、『通貨』が必要になる」


「つ、通貨だと?」


「ああ。これより、新システムを導入する」


 晶は濡れた手を拭き、PDAを取り出した。


 そして、食堂の入り口に設置しておいた、駅の改札機のようなゲートを遠隔起動した。


 ガシャン!


 ゲートが閉まり、赤いランプが点灯する。


「ええーっ!? なんだよ、閉め出し!? 食わせてくれよ!」


「俺たちはもう3時間も並んでるんだぞ!」


 ブーイングが嵐のように巻き起こる。


 その喧騒を、晶は拡声器を使って一喝した。


「静粛に!!」


 ビリビリと空気が震え、その場が静まり返る。


 晶は冷徹な「管理者」の顔で、群衆を見下ろした。


「タダで食わせるとは言っていない。……この『地獄ラーメン』は、選ばれし者のための活力源だ」


 晶が指を鳴らすと、食堂の入り口にあるモニターに文字が表示された。


 【新通貨システム:地獄カルマポイント(HKP)導入】


「これより、閻魔庁の全ての業務をポイント制に移行する。真面目に働いた鬼、迅速に書類を処理した管理職、あるいは反省して善行を積んだ亡者には、管理システムから『HKP』が付与される」


 ざわ……と群衆がどよめく。


「ポイントは全て、お前たちの『魂の波長』に紐づけてクラウド上の閻魔帳で一括管理する。 物理的なカードはない。ゆえに、他人から奪うことも譲渡することも不可能だ。 カツアゲしようとする馬鹿は今すぐ諦めろ」


 あちこちで、舌打ちと共にチッと武器を収める音が響いた。


 悪党の思考など、晶には完全にお見通しだった。


「ラーメン一杯、1,000ポイントだ。……ちなみに、サボれば減点、クレームが入れば没収だ。食いたければ働け。以上だ」


 その瞬間。


 鬼たちの目の色が変わった。


 今まで「かったりぃな」「適当にやるか」と死んだ魚のような目をしていた彼らの瞳に、獲物を狙う猛獣のような光が宿ったのだ。


「せ、1,000ポイント……。つまり、今日のノルマを倍の速度でこなせば……昼には食えるってことか!?」


「書類仕事だ! 決裁箱を持ってこい! 片っ端から判子を押してやる!」


「罪人の尋問だ! 今まで3時間かかっていたが、10分で自白させてやる!」


 ドガガガガッ!!


 地響きと共に、鬼たちが職場へと全力疾走で戻っていく。


 その背中には、使命感などという生ぬるいものではなく、純粋な「食欲」という名の炎が燃え盛っていた。


 残されたのは、仕事のない亡者たちだ。


「お、俺たちはどうなるんだよ! 食いてぇよ!」


「俺たちには仕事がねぇじゃねぇか!」


 晶はニヤリと笑い、別のリストを表示した。


「安心しろ。……人手不足の現場はいくらでもある。それに、このラーメンを増産するには材料が必要だからな」


【緊急クエスト:針の山の清掃(100P)】


【緊急クエスト:血の池地獄の底さらいと沈殿物の回収(200P)】


【緊急クエスト:賽の河原の石積みアシスタント(60P)】


「働かざる者、食うべからず。……だが、働く意思のある者には、等しくラーメンへの道が開かれている」


「うおおおおっ! やる! やらせてください!」


「針の山でも火の海でも、ラーメンのためなら喜んで!」


 亡者たちが掃除用具を奪い合い、各現場へと散っていった。


 数時間後。


 閻魔庁の生産性は、かつてない異常事態を迎えていた。


「報告します! 第3法廷、本日の裁判予定、すべて消化完了しました!」


「血の池地獄、底さらい完了! タレの原料となる最高純度のアミノ酸原液が、タンク100本分抽出可能です!」


「針の山、ピカピカに磨き上げられ、罪人たちが『刺さり心地が良い』と感謝しています!」


 次々と上がる成果報告。


 閻魔大王は、信じられないものを見る目でモニターを見つめていた。


「な、なんという効率じゃ……。数百年かかっても終わらんと思っていた業務の山が、たった数時間で……」


「これが『ゲーミフィケーション』だ」


 厨房で麺の湯切りをしながら、晶が淡々と言った。


「報酬を明確にし、労働をゲーム化する。……恐怖や義務感で縛るよりも、遥かに効率的だ」


 押し寄せる数千の客からのオーダー。それを晶は、驚くべきことにたった一人で捌いていた。


 チャッ、チャッ、チャッ!


 遠心力と重力加速度を完全に計算し尽くした、無駄のない湯切り。


 四方八方から飛んでくる熱湯の飛沫、煮えたぎる魔獣油の跳ね、さらには空腹で殺気立つ鬼たちの無意識のプレッシャー。


 それらを晶は、コンマ数ミリのズレもなく、神速のステップと最小限の体重移動ですべて回避していく。


 科学的最適解を求めた結果生み出された、物理法則を超越する極限の高速作業。


 そのワンオペの神業がピークに達した、その時。


『ピロリン♪』


 晶の脳内に、空気を読まない気の抜けた電子音が響いた。


(……ん? なんだ今のシステム通知音。エラーか? ……まあいい、今はそれどころじゃない!)


 晶は視界の端に一瞬だけ浮かんだ【称号:地獄の厨房裁き(じごくのたいさばき)を獲得しました】というログと効果を完全にスルーし、流れるような手付きで次々と麺をドンブリへと放り込んでいく。


 食堂には、ノルマを達成し、勝利の証のラーメンを手にした鬼や亡者たちが、涙を流しながら麺を啜っていた。


「うめぇ……! 働いた後のラーメン、染みるぅぅ……!」


「明日も頑張るぞ! 明日は『チャーシュー増し』を目指すんだ!」


 そこには、かつての陰湿で淀んだ地獄の空気は微塵もない。


 あるのは、心地よい疲労感と、達成感、そして食の快楽。


 地獄の生産性が、爆上がりしていた。


 恐怖ではなく、「食欲」によって完全に統率された組織の誕生である。


「ふふふ……。やはり、生物を動かす最強の燃料は『欲望』だな」


 晶は満足げに呟き、次なるオーダーに取り掛かる。


 地獄の改革は成った。


 組織は盤石。


 エネルギーは充填完了。


「……さて。これで心置きなく『次』へ行ける」


 晶はPDAの隠しフォルダを開いた。


 そこには、ルナが解析を進めていた『冥界からの脱出ルート』のシミュレーションデータが表示されていた。


 地盤は固めた。味方は増やした。


 あとは、この巨大なエネルギーを、一点に集中させるだけだ。


(待っていろ、地上のみんな。……土産話を持って、派手に帰還してやる)


 湯気の向こうで、晶の瞳が鋭く光った。


 だが、光が強ければ強いほど、その足元に落ちる「影」もまた、濃く、深くなる。


 急激な改革は、必ず歪みを生む。


 そしてその歪みは、誰にも気づかれない地下の暗闇で、静かに、しかし確実に膨れ上がっていたのである。



晶がスルーしていた称号:地獄の厨房裁き(じごくのたいさばき)、実はとんでも称号だったりします。


この称号により、晶は一気に人外化するのですが、果たして、どんな形で現れるのでしょうか?

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