第158話:聖騎士の絶対防御
「……げほっ、げほっ! やべぇな、こりゃ俺たちの肺もやられそうだ」
ボルスが袖で口元を覆いながら、涙目で言った。
リナが作り出した即席化学兵器の威力は凄まじかったが、風向きが変われば自分たちにも牙を剥く諸刃の剣だ。
だが、そんなリスクを気にしていられる状況ではなかった。
「でも、これで少しは時間が稼げたはずだ。……あいつら、当分動けないよ」
リナが空になった瓶を転がし、肩で息をする。
彼女もまた、極限状態での連戦で体力の限界が近かった。
工場の前庭は、爆発でめくれ上がった土と、倒れた兵士たちで埋め尽くされている。
勝った。
少なくとも、この波は凌いだ。
誰もがそう思いかけた、その時だった。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……。
風の音さえ遮るような、重く、統率された足音が響いてきた。
煙の向こう側。
毒ガスと爆炎が渦巻く地獄絵図を切り裂くように、一団の影が現れる。
「……なんだ、あいつらは?」
ボルスの背筋に、冷たいものが走った。
現れたのは、これまでの兵士たちとは明らかに異質な集団だった。
全身を隙間なく覆う、鏡のように磨き上げられた白銀のフルプレートアーマー。
背中には純白のマントをなびかせ、手には身の丈ほどの巨大な大盾を構えている。
その盾の中央には、教会の紋章と共に、拳大の巨大な魔石が埋め込まれ、淡い青色の光を脈動させていた。
「道を開けよ。……神の威光を示す時だ」
横一列の陣形の中央に立つ男――聖騎士団長が、兜の奥から厳格な声を響かせた。
彼らは汚れた戦場にありながら、泥一つ、煤一つ付いていない。
まるでそこだけ別世界のような、神々しいまでの威圧感。
教会最強の精鋭にして守護神『聖騎士団』。
「聖騎士団だと……!? なんでエリート中のエリートがこんなところに出てきやがる!」
ボルスが叫ぶ。
彼らは本来、教皇の直衛を務めるエリート中のエリートだ。
それが投入されたということは、敵――枢機卿ベルナンドが、なりふり構わずこの工場を潰しに来ているという証拠だった。
「総員、盾を構えよ。……『聖なる盾』展開」
「「「はっ!」」」
団長の号令と共に、彼を含む十名の聖騎士が一斉に大盾を地面に突き立てた。
ドォォォンッ!
地鳴りと共に、盾の魔石が眩い光を放つ。
それぞれの盾から展開された光の幕が隣り合う盾と連結し、一枚の巨大な光の壁となって工場の前に立ちはだかった。
「ちっ、見かけ倒しが! リナ、やっちまえ!」
「おっけー! 特製カクテル、おかわり一丁!」
リナが残っていた最後の『混ぜるな危険爆弾』を振りかぶり、全力で投擲した。
ガラス瓶が光の壁に向かって一直線に飛んでいく。
ガシャ……と砕ける音はしなかった。
瓶が光の壁に触れた瞬間、ジュッという音と共に、まるで焚き火に雪を投げ込んだかのように消滅したのだ。
「は……?」
リナが目を見開く。
液体も、ガラス片も、ガスさえも発生しなかった。
ただ、無に帰した。
「ならばこれならどうだ!」
ボルスが手にしていた血塗れの鉄パイプを、槍投げの要領で渾身の力を込めて投擲する。
うなりを上げた鉄の塊が光の壁に激突する。
だが。
キンッ。
乾いた音が響くだけ。
凄まじい速度で飛来した鉄パイプは、その光の膜に触れた瞬間に運動エネルギーを完全に殺され、ポトリと足元に落ちた。
「無駄だ。我々の『聖なる盾』は、あらゆる魔力干渉と、害意ある物理衝撃を無効化する」
団長が冷酷に告げる。
それは、防御というよりも「拒絶」だった。
神に仇なす全ての事象を否定する、概念的な結界。
かつてドラゴンブレスすら防ぎ切ったと言われる、人類最高峰の絶対防御である。
「前進」
ザッ!
光の壁が、じりじりと前に進む。
攻める必要はない。ただ歩くだけでいい。
この絶対的な壁でボルスたちを押し潰し、工場の壁まで追い詰めればそれで終わりである。
「くそっ、下がれ! 一度工場の中に引くぞ!」
ボルスが指示を出すが、逃げ場などないことは全員が理解していた。
工場の中に逃げ込んだところで、この壁に押し潰される未来は変わらない。
圧倒的な力の差。
小手先の科学や、ありあわせの武器でどうにかなる相手ではなかった。
「社長すまねぇ……。俺たちじゃ、荷が重かったみてぇだ」
工場のシャッター前まで追い詰められたボルスが、悔し涙を流して項垂れた。
リナもまた、手持ちの瓶が尽き、へたり込む。
目の前には、白銀の絶壁。
神の威光を背負った処刑人たちが、無表情に剣を抜き放つ。
「異端者どもに、神の裁きを」
団長が剣を振り上げた、その時。
「……待て!」
戦場の喧騒には似つかわしくない、静かで、しかし透き通るような声が響いた。
ボルスたちの背後。
閉ざされた工場のシャッターの脇にある通用口から、一人の男がふらつく足取りで進み出てきた。
「テ、テオ……!?」
リナが驚きの声を上げる。
そこにいたのは……テオだった。
彼は魔力欠乏で倒れていたはずだった。
顔色は紙のように白く、立っているのがやっとに見える。
だが、その眼鏡の奥にある瞳だけは、不気味なほど理知的な光を宿していた。
「下がってろテオ! お前が出てきてもどうにもなんねぇ!」
ボルスが止めようとするが、テオは首を横に振った。
「……いいえ。まだ、終わりじゃありません」
「はぁ!? 見ろよあの壁! 魔法も物理も効かねぇんだぞ!?」
「ええ、見ていました。……『聖なる盾』。術式構造は、外部からの魔力干渉の遮断と、運動エネルギーの熱変換による無効化。……完璧な理論です。魔法学的には」
テオはブツブツと呟きながら、台車に乗せた「何か」をガラガラと力なく押し出してきた。
それは、彼の背丈ほどもある巨大な金属製のボンベだった。
表面には霜が降り、バルブからは白い冷気が漏れ出している。
かつて晶がロケットエンジンの燃焼試験のために製造し、倉庫の奥に眠らせていた予備タンク。
側面に貼られたラベルには、無機質な文字でこう書かれている。
『液体窒素』
「おい、なんだそれ? また爆弾か?」
「いいえ。これはただの冷却剤です。……ですが、社長は言っていました」
テオが足を止め、聖騎士団の光の壁を見据える。
その距離は数メートルまで迫っていた。
「『魔法が万能だと思うな。……この世界には、神の奇跡よりも絶対的なルールがある』と」
テオの手が、タンクの放出バルブにかかる。
キンッ、と凍りついた金属音が鳴った。
「な、何をする気だ……?」
聖騎士団長が、眉をひそめた。
魔力を持たない、ただの鉄の筒。
魔導反応もない。殺気もない。
だが、本能が警鐘を鳴らしていた。このひ弱な魔法使いが抱えている「それ」は、剣や魔法よりも遥かに恐ろしい何かだと。
「魔法で防げるのは、魔法の理屈で動くものだけです」
テオがニヤリと笑った。
それは、いつも晶が難題を前にした時に浮かべる、不敵な笑みだった。
「教えてあげますよ、聖騎士様。……『熱力学』という、神すら逆らえない宇宙の法則を」
テオがバルブを一気に回した。
「開放ッ!!」
プシューッ!!
バルブから猛烈な勢いで白煙が噴き出した。
それは煙ではない。
マイナス196度の極低温世界からの、死の吐息だった。
絶対的な防御を誇る聖騎士たちに対し、魔力を一切使わない「ただの物理現象」が牙を剥こうとしていた。




