第157話:リナの『きょうき』
ガガガガガッ!!
金属が砕ける音と、怒号が交錯する。
重機軍団がエネルギー切れで沈黙した後、魔王城の防衛線は一気に崩壊の危機に瀕していた。
頼みの綱である「質量兵器」を失った今、押し寄せる教会騎士団を食い止めるのは、生身のボルスとリナ、そして数名の作業員たちだけだった。
「くそっ、しつけぇんだよお前ら!」
ボルスがバリケード代わりの鉄骨の隙間から、愛用の魔導ショットガンをぶっ放す。
炸裂した魔力弾が、先頭の騎士の盾を吹き飛ばし、数人を巻き込んで転倒させた。
だが、敵の数は圧倒的だ。
倒しても倒しても、次なる波が押し寄せてくる。まるで湧き出る虫のようだ。
「……ッ! 弾切れだ!」
カチッ。
引き金を引いた指先に、虚しいクリック音だけが返ってきた。
ボルスは舌打ちをし、腰のポーチを探る。だが、指先に触れるのは空のマガジンだけだ。
「おいリナ! 予備のマガジンはねぇのか! あと魔石のストックもだ!」
「ねぇよ! さっきので最後だって言ったじゃねぇか!」
隣でクロスボウを連射していたリナが、悲鳴のような声を上げた。
彼女の矢筒もすでに空っぽだ。今は落ちている鉄くずやボルトを無理やり装填して撃っているが、威力は知れている。
「くそっ……! なら腹ごしらえだ! 腹が減っては戦ができねぇ。非常食のカンパンと干し肉を持ってこい!」
「それもない!」
「はぁ!? 備蓄倉庫に山ほどあっただろうが!」
「ポチだよ! あいつ、出かける前につまみ食いしすぎなんだよ!」
リナが涙目で叫ぶ。
あの食いしん坊の駄犬は、「お出かけ前のおやつなのだ!」と言って、備蓄していたカロリーメイト的な携行食料や、缶詰、カンパンの類を、ほぼ根こそぎ胃袋に収めてから地獄へ旅立っていったのだ。
「しゃあねぇな。じゃあ、マヨネーズせんべいは?」
「アレもなかったぜ。ポチの大好物だから、真っ先に食ったんじゃねぇの?」
「あの馬鹿犬ぅぅぅッ! 帰ってきたらゲンコツだ!」
ボルスが絶叫する。
マヨネーズせんべいに関しては、晶が冥界から『お焚き上げ』で地獄へ転送したためになくなったのだが、そんな事は彼らの知る由もなかった。
そんなわけで、食料も、武器も、弾薬も、エネルギーもない。
完全なる「詰み」だ。
「降伏せよ! もはや貴様らに戦う術はあるまい!」
敵の指揮官が勝ち誇ったように叫ぶ。
バリケードの向こうには、銀色の鎧を着込んだ重装歩兵たちが、じりじりと包囲網を狭めてきていた。
魔法障壁を展開し、剣を構えた彼らは、今のボルスたちにとっては死神そのものだ。
「万事休すか……。リナ、下がってろ。俺が鉄パイプで特攻して時間を稼ぐ」
「お前バカか!? そんなの自殺行為だろうが!」
リナがボルスを制止しようと、周囲を見渡した。
何か使えるものはないか。
武器になるもの、敵を止められるもの。
だが、そこにあるのは工場の廃材、壊れた工具、そして掃除用具が入った棚だけだ。
(……掃除用具?)
ふと、リナの視線が棚の一角に釘付けになった。
そこには、日常的に使われている業務用の洗剤ボトルが並んでいる。
『塩素系漂白剤』と書かれた白いボトル。
そしてその隣には『トイレ用酸性洗剤』の緑のボトル。
それぞれのラベルに書かれた、赤字の警告文。
『まぜるな危険』
ドクンッ。
リナの脳裏に、かつて晶が何気なく言っていた言葉がフラッシュバックした。
『いいかリナ。この「まぜるな危険」ってのはな、裏を返せば「混ぜたら兵器になる」っていうレシピなんだよ』
『えぇ? アネキ、それ危なくねぇか?』
『危ないに決まってるだろ。塩素ガスが発生して、吸い込んだら最悪死ぬ。……でもな、知ってさえいれば危なくないし、使いようによっては、最強の防衛システムになるんだ』
さらに、晶は農業用の倉庫を指差して笑っていた。
『あっちにある肥料と、重機用の軽油。これを適切な比率で混ぜれば、岩山すら吹き飛ばす爆薬になる。……覚えておいて損はないぞ?』
「…………」
リナの瞳から、恐怖の色が消えた。
代わりに宿ったのは、晶譲りの冷徹な計算と、ほんの少しの狂気。
「……待てよ。いける」
「あぁ? 何がいけるんだ?」
「ボルス、時間稼いで! あたい、ちょっと『調達』してくる!」
リナは脱兎のごとく走り出した。
向かう先は資材置き場と、掃除用具ロッカーだ。
「おい、どこ行くんだ!?」
(……チッ、仕方ねぇな)
ボルスは手近にあった鉄パイプをひっ掴むと、迫りくる敵の群れへと躍り出た。
多勢に無勢、まともにやり合って勝てる道理はない。だが、あいつには何か作戦があるようだ。ならば、命を賭してでも道を作るのが自分の役目だ。
一方、広場のガンド。
「至急、電力ケーブル復旧工事に入る! メイン電源を復旧させねぇと、師匠が眠るポッドが稼働しねぇぞ!」
「「「おおっ!!」」」
部下たちと共に決死の配線復旧作業に向かった。
数分後。
バリケードの前まで迫った敵兵たちに対し、ボルスは鉄パイプ一本で対峙していた。
肩で息をし、全身傷だらけだ。
「くそっ……ここまでか……」
敵の剣が振り下ろされようとした、その時。
「待たせたな! 特製兵器のデリバリーだぜ!」
リナが戻ってきた。
その両腕には、怪しげなガラス瓶が大量に抱えられている。
さらに背中には、肥料袋をテープでぐるぐる巻きにした「塊」を背負っていた。
「おいリナ、何始める気だ? 掃除か?」
「違う! 『実験』だ!」
リナはニヤリと笑い、広口のガラス瓶を一つ掲げた。
中にはなみなみと漂白剤が注がれ、その底には酸性洗剤が入った「薄いガラスの小瓶」が、栓をされたまま沈んでいる。衝撃で二つ同時に割れるよう仕組まれた、二重構造の即席手榴弾だ。
「これぞ、アネキ直伝! 『混ぜるな危険』爆弾だぁぁッ!」
リナが思い切り腕を振りかぶり、敵兵の密集地帯へと瓶を投げつけた。
ガラス瓶は放物線を描き、騎士たちの足元で激しく砕け散った。
ガシャンッ!!
地面に叩きつけられた衝撃で、外側の広口瓶と内側の小瓶が同時に割れ、ついに二つの液体が混ざり合う。
瞬間。
ジュワワワワワッ……!
という不気味な発泡音と共に、猛烈な勢いで「黄緑色のガス」が発生した。
「な、なんだこの煙は!?」
「煙幕か? 怯むな、突撃せ――ぐ、ぐあぁぁぁぁっ!?」
煙に触れた騎士たちが、突如として絶叫を上げた。
喉を掻きむしり、目から大量の涙を流してのたうち回る。
「め、目がぁぁ! 焼けるぅぅッ!」
「息が……息ができな……ごほっ、ごほっ!」
塩素ガス。
第一次世界大戦でも使用された、最悪の化学兵器の一つ。
魔法障壁は、物理的な衝撃や魔力攻撃は防げるが、「空気」そのものの流入までは防げない。
呼吸と共に肺に入り込んだ猛毒ガスが、粘膜を激しく侵食していく。
「ヒャッハー! 効いてる効いてる! 洗剤なめんなよ! 敵は消毒だ!」
リナのテンションが、どこかの世紀末な人たちのように跳ね上がる。
彼女は次々と瓶を投げつけた。
あちこちで黄緑色の霧が発生し、強固な陣形を組んでいた騎士団がパニックに陥る。
「毒ガスだ! 撤退せよ! 風上に回れ!」
指揮官が叫ぶが、混乱は収まらない。
そこへ、リナが次なる一手を用意した。
「逃がさねーよ! こっちがメインだ!」
彼女が取り出したのは、肥料と軽油を混ぜて作った特製の即席爆薬。
ただ火をつけるだけでは爆発しないこの鈍感な兵器に対し、彼女は雷管の代わりとして「魔力切れ寸前の低級な火の魔石」を取り出した。
さっきボルスから引ったくっておいた魔導ライターで魔石を強引に過熱し、限界ギリギリの状態で肥料袋の中心へと押し込む。
岩盤発破に使われるほどの威力を秘めた塊が、敵陣の中央へと放り投げられた。
直後、過熱された魔石が爆ぜ、その強烈な衝撃波が肥料と軽油の混合物を起爆させる。
「ボルス、伏せろぉぉッ!」
「お、おぅ」
ドォォォォォォォォンッ!!
鼓膜をつんざく爆音が轟いた。
閃光と共に、地面がめくれ上がり、爆風が騎士たちを木の葉のように吹き飛ばす。
爆弾の中に仕込んでおいたアルミの廃材や釘が、散弾となって鎧の隙間を貫いた。
「ひ、ひぃぃぃッ! なんだあの威力は!?」
「魔法じゃない! 爆裂魔法の詠唱なんて聞こえなかったぞ!?」
未知の攻撃に対する恐怖。
剣も魔法も通じない「科学」という名の暴力が、騎士たちの戦意をへし折っていく。
「す、すげぇ……」
ボルスが呆然と呟いた。
日用品と農具。
ありふれた材料が、組み合わせ次第でこれほどの殺傷能力を持つとは。
硝煙と塩素の混じった刺激臭の中で、仁王立ちする少女の背中。
その姿は、かつて晶が見せた「科学の狂気」を、確かに継承していた。
「てへっ、アネキの実験を横で見てたら、いつの間にか覚えちまったんだよ」
リナが鼻の下を擦り、不敵に笑う。
その手には、まだ数本の「カクテル」が握られている。
「これぞ、アキラ流『現地調達』スタイルだ! かかってきな、在庫ならまだあるからさ!」
工場のガラクタと日用品が、最凶の兵器へと変わっていく。
弾薬は尽きた。食料もない。エネルギーもない。
だが、「知恵」がある限り、彼らは止まらない。
クロウが闇で敵を狩り、リナが科学で敵を吹き飛ばす。
魔王城の防衛戦は、物資の枯渇という絶望を乗り越え、より激しく、より混沌とした泥沼の戦いへと突入していくのだった。




