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第156話:生ける伝説

 工場の心臓部である動力炉が停止し、広大な工場内は完全なる闇に閉ざされていた。


 換気ファンの回る音が消え、ポンプの駆動音が止まり、不気味なほどの静寂が鉄の迷宮を支配している。


 その漆黒の闇の中を、音もなく疾走する影があった。


 教会直属の暗殺部隊『灰色の蛇』。


 彼らは視覚強化の魔法薬を目に点眼し、わずかな光源でも視界を確保できる「夜目」を持っていた。


「……動力炉の破壊を確認。予備電源への切り替えも阻止した」


「次は本丸、『第零格納庫』だ。ターゲットの生命維持装置を物理的に破壊する」


 リーダー格の男が、ハンドサインで部下たちに指示を出す。


 彼らの動きに迷いはない。


 工場の入り組んだ配管、頭上のキャットウォーク、死角となる物陰。それらを巧みに利用し、警備の目をかいくぐって深部へと侵入していく。


「ふん。魔王軍の警備などザルだな」


「図体がデカいだけのオークや、知能の低いゴブリンに、我々の気配が察知できるはずもない」


 彼らは嘲笑した。


 自分たちは「プロ」だ。影に生き、影に死ぬ、闇の住人だ。


 正面から殴り合うだけの戦士とは、生きている次元が違う。


 そう確信していた。


 だが、彼らは知らなかった。


 闇に生きる者たちの「頂点」に立つ男が、実は、「いま」「ここ」にいることを。


「……第1班、第2通路を確保。これより――」


 先頭を歩いていた男が、角を曲がろうとした瞬間だった。


 ヒュンッ。


 風を切る音すらしなかった。


 男の足が止まる。


 彼は声も上げず、受け身も取らず、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。


「おい、どうし……た……?」


 後ろに続いていた部下が、倒れた仲間の体を揺する。


 だが、返事はない。


 よく目を凝らすと、その首筋――頸動脈の正確な位置に、長さ10センチほどの極細の金属針が深々と突き刺さっていた。


「なっ……!?」


「敵襲! どこだ!?」


 『灰色の蛇』たちに戦慄が走る。


 気配はなかった。殺気もなかった。


 ただ、「死」だけが唐突に訪れたのだ。


「静かにしろ。……仕事が雑だぞ、教会の犬ども」


 闇の奥から、氷のように冷徹な声が響いた。


 彼らが一斉に視線を向ける。


 配管が複雑に入り組んだ天井付近。そこに、黒い影が逆さまに張り付いていた。


 ゆらりと影が降り立つ。


 工場の作業用制服に身を包み、目には緑色に発光する奇妙なゴーグルを装着した男。


 元・暗殺者ギルドのエース、クロウだ。


「『灰色の蛇』か。……昔、よく縄張りを荒らされたな。相変わらず、信仰心だけで腕が伴っていない」


 クロウは両手に持った二本の短剣を、クルクルとペン回しのように弄びながら呟いた。


 その立ち姿には、一片の隙もない。


 リラックスしているようでいて、次の瞬間には相手の喉笛を噛み千切れる、猛獣の構えだ。


「き、貴様は……まさか、『影縫い』のクロウか!?」


 リーダーの男が震える声で叫んだ。


 裏社会でその名を知らぬ者はいない。


 かつて数々の要人を葬り去り、暗殺者ギルド最強と謳われた伝説の男。


 だが、彼はある日突然姿を消し、死亡説まで流れていたはずだ。


「なぜだ!? なぜギルドの伝説ともあろう男が、こんな工場で油まみれになっている!?」


「再就職だ。……ここの福利厚生は悪くないぞ。残業代も出るし、3食昼寝付きだ」


 クロウは淡々と答えた。


 その目元のゴーグル――晶が開発した『暗視スコープver.2.0』が、敵の体温分布サーモグラフィーを正確に捉え、急所を赤いマーカーで表示している。


「落ちぶれたな、クロウ! 工場の番犬に成り下がったか! 伝説がどうした、我々は10人いるぞ!」


「ここで始末して、その首を枢機卿への手土産にしてくれる!」


 生ける伝説を前に不利を悟った暗殺者たちが、一斉に散開した。


 毒塗りのナイフ、鎖鎌、吹き矢。


 あらゆる凶器が、全方位からクロウへと殺到する。


 だが。


「……遅い」


 クロウが小さく吐き捨てた。


 次の瞬間、彼の姿が掻き消えた。


 ザシュッ! ドサッ。


 すれ違いざま、左右から襲いかかった二人の喉から、鮮血が噴き出した。


 クロウはすでに彼らの背後に回り込んでいる。


「なっ、速い……!?」


「どこを見ている。ここだ」


 クロウは壁を蹴り、天井の配管にぶら下がり、まるで重力が仕事をしていないかのような軌道で空間を跳ね回った。


 その動きは、人間離れした体術であると同時に、どこか機械的で、無駄を極限まで削ぎ落とした工業用ロボットのようでもあった。


「ぐあっ!?」


「み、見えな……!」


 一閃。また一閃。


 クロウが短剣を振るうたびに、正確無比な死がばら撒かれる。


 それは戦闘というよりも、淡々とした「作業」だった。


 流れてくる製品を検品し、不良品を弾くライン作業のように、侵入者たちの命を刈り取っていく。


「貴様らの動きは、ライン工場のベルトコンベアより遅いぞ」


 クロウの声が、残像と共に響く。


「俺は社長の下で、『1秒間に10個の石鹸を箱詰めする』訓練を受けてきたんだ」


「せ、石鹸だと……!?」


「コンマ1秒の遅れが、ライン全体の停止を招く。……それに比べれば、貴様らの剣速など、止まっているも同然だ」


 この数ヶ月。


 クロウは地獄を見た。


 晶という名のスパルタ工場長の下、石鹸作り、梱包、出荷作業という「単純作業」を、極限のスピードと精度で繰り返させられたのだ。


 『もっと速く! 無駄な動きを削れ! 指先の角度を最適化しろ!』


 晶の無理難題に応え続けた結果、クロウの動体視力と身体操作は、かつての全盛期すら凌駕する領域へと進化していた。


 いわば、暗殺術と業務改善の悪魔合体である。


「く、くそぉぉぉッ! 化け物めぇぇッ!」


 最後の一人となったリーダーが、恐怖に駆られて背後から斬りかかった。


 だが、クロウは振り返りもしない。


 ヒュッ。


 彼が背中越しに放った一本の針が、リーダーの眉間に深々と突き刺さった。


「が、は……」


 リーダーが崩れ落ち、動かなくなる。


 足元には、物言わぬ死体の山。


 わずか数十秒の惨劇。


 だが、クロウの制服には返り血ひとつ付いていなかった。


「……汚れると、洗濯が面倒だからな。これも社長の教えだ」


 工場の基本を忠実に守る元・殺し屋は、手元の短剣を見下ろす。


 血糊を完全に弾く特別仕様のミスリルナイフだが、クロウは作業後の清掃ルーチンをこなすように、念のため刀身を布で軽く拭い、カチャリと鞘に納めた。


「……掃除完了。第1セクター、異常なし」


 クロウは懐から通信機を取り出し、ボルスたちへ状況を報告しようとした。


 だが、通信機からはザーザーというノイズしか聞こえない。


 妨害電波か、あるいは中継器ごといかれたか。


「やれやれ。……まだ『燃えないゴミ』が残っているようだな」


 クロウは暗視ゴーグルの倍率を上げ、さらに奥――第零格納庫の方角を見据えた。


 そこにはまだ、複数の熱源反応がある。


 そして何より、この停電の原因である「主電源」を復旧させなければ、晶のポッドが危ない。


「行くか。……残業手当は弾んでもらうぞ、社長」


 闇の仕事人は、音もなく床を蹴った。


 工場の守護神として、次なる「清掃場所」へと向かうために。


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