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第152話:鬼の福利厚生

 地獄第一発電所が稼働し、閻魔庁に文明の光が灯った。


 LED照明が燦然と輝き、空調からは快適な涼風が吹き出している。


 だが、その明るすぎる光は、ある「不都合な真実」を残酷なまでに浮き彫りにしていた。


「……酷いな。これは想像以上だ」


 晶は腕組みをし、執務室の窓から外の作業現場を見下ろしていた。


 発電所のメンテナンスや、従来の拷問業務に励む鬼たち。


 彼らの動きは、まるで油の切れたブリキのおもちゃのようにギクシャクとしていた。


 視点は定まらず、足取りは覚束ない。時折、金棒を自分の足に落として「あうっ」と小さな声を上げているが、それを拾う気力すらないようだ。


「おい、閻魔。あの赤鬼を呼べ」


「ん? 現場主任の赤鬼か? ……おい、赤鬼! 晶殿がお呼びじゃ!」


 閻魔の呼び出しに応じ、一匹の赤鬼がフラフラと執務室に入ってきた。


 近くで見ると、その惨状は明らかだった。


 かつては鮮やかな深紅だった肌は土気色にくすみ、眼窩は窪み、目の下には墨を塗ったような濃いクマができている。


「お、お呼びでございましょうか……あ、あきら、さま……」


 呂律が回っていない。立っているのがやっとという状態だ。


「おい、そこの鬼。顔色が悪いぞ。いつ寝た?」


「はぁ……いつ、でございますか……」


 赤鬼は虚空を見つめ、記憶の糸を手繰り寄せようとするが、その糸はとうの昔に切れているようだった。


「確か……ええと、関ヶ原の戦いの亡者が押し寄せた時は、まだ仮眠をとっていたような……。いや、その後の飢饉の時だったか……」


「……正確に答えろ」


「はぁ……。ここ300年ほど、横になっておりません。亡者が次から次へと来るもので……」


 300年。


 晶は絶句した。


 ブラック企業などという生易しいものではない。これでは黒を通り越して「漆黒」だ。


 生物としての限界を超え、呪いのような根性論だけで駆動している。


「閻魔。これはどういうことだ」


「むぅ……。鬼はタフじゃからな。それに、地獄に定休日はないからのう。24時間365日、亡者は来る。休んでおる暇などないんじゃよ」


 閻魔が悪びれもせずに言う。


 典型的な「昭和のモーレツ経営者」の思考だ。


「バカ者。それは『タフ』なんじゃない。感覚が麻痺しているだけだ」


 晶はピシャリと言い放ち、現世から取り寄せたホワイトボードにグラフを書き殴った。


「いいか、よく聞け。労働生産性は、労働時間に比例しない。むしろ反比例する。300年不眠不休? 笑わせるな。そんな状態では、本来1時間で終わる仕事に10時間かかっているはずだ。ミスも増える。事故も起きる。結果、全体の効率は地に落ちる」


「し、しかし、休ませたらその分、作業が止まってしまうぞ?」


「止まらないシステムを作るのが、経営者の仕事だ」


 晶はペン先を叩きつけた。


「今日から『3交代シフト制』を導入する」


「さんこうたい……?」


「1日を8時間ずつ、3つの枠に区切るのだ。早番、遅番、夜勤。……そして重要なのは、勤務時間外は『完全に業務から離れる』ことだ」


 晶は鬼たちを見渡した。


「8時間働き、8時間眠り、残りの8時間は好きに使え。それが『文化的な生活』というものだ」


「は、8時間も寝ていいのですか……!? それに、好きに使える時間が8時間も……!?」


 赤鬼が信じられないという顔で震えている。


 300年間働き詰めだった彼らにとって、それは夢物語のような提案だった。


「さらに、環境整備も行う」


 晶は閻魔庁の一角、かつて「叫喚地獄の予備室」として使われていたスペースを指差した。


「あそこを改装し、『リフレッシュルーム(休憩室)』とする。空調完備、防音壁設置。……そして、これを支給する」


 晶は白衣のポケットから、銀色に輝く小袋を取り出した。


 地上での実験の合間に食べるため、常に携帯していた晶のおやつ、ポチの大好物だ。


「こ、これは……?」


「『マヨネーズせんべい』だ」


 バリッ。


 晶が袋を開けると、部屋中に香ばしい醤油の香りと、ツンとくるマヨネーズの酸味が広がった。


「ごくり……」


 その場にいた鬼たち、そして閻魔までもが喉を鳴らした。


 地獄の食事といえば、鉄錆の味がする泥水や、焦げた骨など、味気ないものばかりだ。「調味料」という概念そのものが希薄な世界である。


「糖質と塩分、そして油分。疲れた脳と肉体を回復させるには、このテの菓子が一番効く」


 晶はせんべいを一枚手に取り、赤鬼に差し出した。


「食ってみろ」


「は、はい……いただきます……」


 赤鬼は震える手でそれを受け取り、おそるおそる口に運んだ。


 カリッ。


 小気味よい音が響く。


 その瞬間。


 カッ……!!


 赤鬼の目が見開かれた。


 口の中に広がる、米の甘み、醤油のコク、そしてマヨネーズの濃厚な油分と酸味のハーモニー。


 300年間、血と泥の味しか知らなかった舌に、現代化学調味料の暴力的なまでの旨味が炸裂したのだ。


「う……うぉぉぉ……!?」


 赤鬼の目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。


「な、なんだこれは……! 美味い……! 塩辛いだけの血の味じゃない……! サクサクして、しょっぱくて、まろやかで……!」


「脳に染みるだろう?」


「染みますぅぅ! 脳みそが溶けそうですぅぅ!」


 赤鬼はその場に崩れ落ち、せんべいを大事そうに抱きしめて号泣した。


 それを見ていた他の鬼たちも、我慢できずに押し寄せた。


「お、俺にもくれぇぇ!」


「その匂いだけで飯が食える!」


 晶は持っていた袋の中身をすべて配った。


 あちこちで「カリッ」「サクッ」という音が響き、その直後に「うめぇぇぇ!」「生きててよかったぁぁ!」(※死んでます)という絶叫が上がる。


 地獄の休憩室は、さながらカルト宗教の集会のような熱狂に包まれた。


「こんな……こんなに美味いものを食べて、ふかふかの部屋で寝ていいなんて……」


「こんなホワイトな職場は初めてだぁぁ!」


 一人の鬼が叫ぶと、それは燎原の火のように広がった。


「晶様! 晶様!」


「一生ついていきます! いや、死んでもついていきます!」(※冥界です)


「残業代! 有給休暇! マヨネーズ!」


 地獄の底から、地響きのようなシュプレヒコールが沸き起こった。


 それは恐怖による服従ではない。


 福利厚生とマヨネーズによって掌握された、強固な忠誠心の表れだった。


「……ふん。現金な奴らだ」


 晶は鼻を鳴らしたが、その口元は僅かに緩んでいた。


 そして、その効果は劇的だった。


「よし! 8時間寝たぞ! 力が漲る!」


「おい、次のシフトと交代だ! 遅れるなよ!」


「この岩を運べばマヨせんが貰えるんだ! うおぉぉぉッ!」


 休憩と栄養を与えられた鬼たちのパフォーマンスは、晶の計算通り、いやそれ以上に跳ね上がった。


 今まで3人で運んでいた岩を1人で担ぎ、1時間かかっていた書類整理を10分で終わらせる。


 目の輝きが違う。肌艶が違う。何より、「希望」を持った労働者は強い。


「す、すごい……。地獄が……生まれ変わったようじゃ」


 閻魔大王が、キビキビと働く鬼たちを見て呆然と呟く。


 未決案件の山は消え、発電所はフル稼働し、庁舎はピカピカに磨き上げられている。


「言っただろう。環境が鬼を変えると」


 晶はPDAを操作し、次なるフェーズへと移行した。

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