第143話:必殺!ウォーターカッター
「突撃ぃぃッ! ただの労働者崩れだ、一捻りにしろ!」
枢機卿ベルナンドの号令一下、私兵団が雪崩を打って突撃を開始した。
彼らは精鋭部隊だ。身につけているのは、矢や剣を弾き返す重厚なプレートアーマー。さらにその表面には、対魔法防御のルーン文字が刻まれた高級品である。
対する防衛側は、油にまみれた作業服に、ヘルメットという軽装備。
武器に至っては、スパナやハンマー、あるいはただの鉄パイプだ。
正面からの衝突となれば、作業員たちが一方的に蹂躙される未来しか見えない。
もっとも、常識的に考えれば、だが。
「……汚いな」
迫りくる鉄の波を前に、ボルスは不機嫌そうに呟いた。
彼は愛用の戦斧を背中のホルダーに戻すと、代わりに背後に控えていた作業員から「あるモノ」を受け取った。
それは、大人の腕ほどもある太い耐圧ホースに繋がれた、無骨な金属製のノズルだった。
本来、この『魔王城』の床やタンクにこびりついた頑固な油脂汚れを落とすために、ドワーフのガンドが設計した工業用高圧洗浄機である。
だが、この工場には「自重」という概念が存在しない。
設計段階で、晶が放った言葉が、この道具の運命を変えていた。
『ガンド、水圧が足りない。もっと上げろ』
『これ以上上げると配管が破裂しますぜ?』
『なら配管をミスリル合金にしろ。動力には最上級の魔石を使え。……目指すは300メガパスカルだ』
結果、誕生したのは掃除用具の名を借りた別の「なにか」であった。
ガンドの悪ノリと、現代知識の悪魔合体により生み出された、禁断の兵器だった。
「ここは神聖な工場だ。……汚物は消毒しねぇとなぁ!」
ボルスが、凶悪な笑みと共にトリガーを引いた。
背負ったタンクに直結された『超高圧洗浄ポンプ』が、唸りを上げて起動する。
キィィィィィィィン……!!
鼓膜を劈くような不快な高周波音が、格納庫内に響き渡った。
次の瞬間、ノズルの先端から「水」が放たれた。
だが、それは誰もが知る、優しく流れる水ではない。
極限まで加圧され、マッハ3を超える速度で噴射された水流は、もはや液体としての性質を捨て、視認できないほどの「鋭利な刃物」と化していた。
300メガパスカルは伊達ではない。
その威力は、もはや水を名乗る「レーザー」だ。
ズバァァァァッ!!
「ぐあぁっ!?」
「な、なんだ!?」
先頭を走っていた兵士が、自身の異変に気づく間もなく吹き飛んだ。
彼が構えていた鋼鉄の盾が、まるで濡れた紙のように一刀両断されていたのだ。
それだけではない。
盾を貫通した水流は、その奥にある分厚いプレートアーマーを豆腐のように切り裂き、さらに背後にあった太い石柱までも深々とえぐり取った。
「み、水だぞ!? ただの水が、鉄を斬っただと!?」
敵兵たちの間に、動揺が走る。
魔法でも斬撃でもない。ただの透明な直線が触れただけで、最強の防具が意味をなさずに破壊されるのだ。理解不能な現象に、足が止まる。
「『ウォータージェット・カッター』です」
後方で杖を構えるテオが、冷静に解説を加えた。
眼鏡の奥の瞳が、物理法則を知らぬ哀れな侵入者たちを冷ややかに見つめる。
「一点に集中させた超高圧の水流は、あらゆる物質を切断します。……あなたたちが頼りにしている『魔法防御』は、あくまで魔力干渉を防ぐもの。純粋な運動エネルギー、物理の前には、何の意味もありませんよ」
「オラオラオラァ! 汚れが落ちねぇなぁ! もっと高圧で洗ってやるぜ!」
ボルスがノズルを振り回す。
銀色の閃光が走るたびに、敵の剣が折れ、鎧が弾け飛び、兜が宙を舞う。
ボルスもまた、プロの戦士だ。あえて急所は避けている。
だが、それが逆に恐怖を煽った。
一瞬にして武装を解除され、パンツ一丁のような無防備な姿にされた兵士たちが、腰を抜かして悲鳴を上げる。
「ひぃぃッ! 来るな! 水に、水に斬られるぅぅ!」
「魔法障壁が効かない! 助けてくれぇぇ!」
パニックに陥る敵陣。
そこに、さらなる追撃者が現れた。
「あらあら、ずいぶんと不潔な方々ですこと。……徹底的な『除菌』が必要ですわね」
優雅な口調で進み出たのは……セシリアだ。
彼女が背負っているのは、農薬散布用の噴霧器。
ただし、中に入っているのは農薬ではない。
工場の衛生管理のために晶が調合した、特製の殺菌洗浄液だ。
「消毒ですぅぅ! 悪い菌は滅菌しますぅぅ!」
プシュァァァァッ!
セシリアがノズルを向けると、白濁した霧が広範囲に散布された。
瞬時に広がる、鼻を突くような強烈な刺激臭――『プールサイドの臭い』を数千倍に濃縮したような悪臭だ。
「ぐあぁぁッ!? め、目が! 目がぁぁ!」
「喉が焼ける! なんだこの毒ガスは!?」
霧を浴びた兵士たちが、喉を掻きむしり、目を押さえてのたうち回る。
次亜塩素酸ナトリウム。
粘膜を激しく刺激し、呼吸器にダメージを与える強力な酸化剤だ。魔法耐性など関係ない化学物質の猛威が、密集した敵兵を襲う。
「退却だ! この工場はイカれてる!」
「いったいなんなんだココは! 掃除用具で殺されるぞ!」
未知の攻撃の前に、精鋭であるはずの私兵団が崩れ始めた。
だが、敵を率いるベルナンドもまた、伊達に枢機卿の地位にいるわけではなかった。
「狼狽えるな! 相手は数人だ! 回り込め!」
ベルナンドの怒号が飛ぶ。
水圧カッターは強力だが、直線攻撃しかできない。セシリアの噴霧も射程には限りがある。
敵の別動隊が、瓦礫の山を越え、機械の隙間を縫って、側面へと展開し始めた。
「ちっ、ネズミどもが! 数が多すぎるぞ!」
ボルスが舌打ちをする。
正面の敵を薙ぎ払っている間に、左右から数十人の兵士が殺到してくる。
多勢に無勢。
じりじりと包囲網が狭まり、ボルスたちの背中には、冷たい第零格納庫の扉が迫っていた。
「終わりだ! いくら奇妙な武器を使おうと、数で押し潰せば同じこと!」
勝利を確信した敵兵たちが、一斉に飛びかかろうとした。
「ふふふ……。計算通りです」
その時。
戦場の喧騒の中で、眼鏡の奥で瞳を光らせた男が一人。
テオだ。
彼は戦況を見極め、敵が工場の換気エリア――『ある罠』の有効範囲内に密集する瞬間を待っていたのだ。
「社長が言っていました。『工場全体が武器になる』と」
テオの手が、壁面に設置された赤塗りの緊急レバーにかけられた。
それは、工場の空調システムを制御するマスターキー。
「換気システム、制御解除……『逆噴射モード』、起動!」
カチャン。
乾いた音が響き、工場の奥底で、巨大なファンが唸りを上げ始めた。




