第140話:戦いの狼煙
次の日。
交易都市アステルは、深い悲しみの雨に濡れていた。
街の至る所に半旗が掲げられ、すべての店が窓を閉めている。
中央広場には巨大な祭壇が設けられ、数万人の市民が献花のために長蛇の列を作っていた。
世界に名を轟かせた大賢者、結城晶。
その早すぎる死を悼む『国葬』が、しめやかに執り行われようとしていたのだ。
「……賢者様は、逝かれました」
祭壇の中央で、喪服に身を包んだフローラが、涙ながらに演説を行っている。
「ですが、それは終わりではありません! 大いなる意志による『上位次元への昇天』なのです! 肉体という檻から解き放たれ、女神として覚醒されたのです!」
彼女の狂信的な解釈はともかく、集まった人々は涙を流し、祈りを捧げている。
ルミナ国王やギルドマスター、そして『王王亭』の店員である各国の王子たちも、沈痛な面持ちで参列していた。
世界中が、英雄の死を受け入れようとしていた。
――だが。
その国葬会場の地下深く。
一般人の立ち入りが禁止された『第零格納庫』では、世界を敵に回すような冒涜的な作戦会議が行われていた。
「いいですか。今回のミッションにおける最優先事項は、『マスターの魂の奪還』および『ホイップたい焼きの債権回収』です」
黒板の前に立ち、指示棒代わりのチョークを振るうのは、ボロボロなままのルナだ。
ガンドによる緊急修理を終えた彼女は、ツギハギだらけの姿ながら、その瞳に不退転の決意を宿していた。
「異議あり! 俺たちも行くぞ!」
ボルスが食い下がった。
その横ではテオも、悲痛な表情で頷いている。
「社長をあんな目に遭わせたのは……俺たちが不甲斐なかったからだ! せめて迎えに行くときくらい、役に立たせてくれよ!」
「そうですルナさん! 僕の魔力なら、きっと役に立ちます!」
二人の必死な訴え。
だが、ルナは冷徹に首を横に振った。
「却下します」
「なっ……!?」
「感情論ではありません。物理的な問題です」
ルナはモニターに、解析した冥界の環境データを表示させた。
「冥界の大気は、高濃度の『瘴気』で満たされています。これは生体にとって猛毒であり、生身の人間が足を踏み入れれば、毎秒スリップダメージを受け、3分と持たずに肺が腐り落ちて死亡します」
「……ッ!」
ボルスが息を呑む。
3分。それでは探索どころか、入り口で野垂れ死ぬだけだ。
「ポーションや魔法防御も無意味です。あそこは『死』がルールとして支配する世界。生きていること自体がペナルティなのです」
ルナは淡々と、しかし残酷な事実を突きつけた。
「あなたたちを連れて行けば、私はマスターを探す前に、あなたたちの介錯をしなければならなくなります。……それは非効率です」
ぐうの音も出ない正論だった。
ボルスは悔しそうに拳を握りしめ、唇を噛み切らんばかりに食いしばる。
「じゃあ……どうすんだよ。誰があんたを守るんだよ。あんただって、そんなボロボロの体で……!」
「問題ありません。……環境適応能力を持つ『人外』だけでチームを編成しました」
ルナが指を鳴らすと、格納庫の奥から二つの影が現れた。
「主がいなくては、激辛ベーコンが食べられなくなるのじゃ。 それに、主がいた方が妾も退屈せずに済むしのぅ」
優雅に歩み寄ってくるのは、小豆色の前時代的なジャージを着たチョーカー娘のタマ。
そして、スライムモードから少年モードにスタイルチェンジを済ませたタロウ。
「僕もマスターを助けに行きます!」
「タマは竜としての高い体力と回復力、タロウは私と同じ機械種であり、毒は無効。そして――」
「ボクも行くのだ! あきらを連れて帰るのだ!」
ポチがルナの横に並び、力強く吠えた。
「ポチは神獣フェンリル。その再生能力は冥界のスリップダメージを上回ります。……この4名による『チーム人外』で突入します」
完璧な布陣だった。
そこに、人間の入る余地はない。
ボルスは力が抜けたように肩を落とした。
自分は、また何もできないのか。ただ待っていることしかできないのか。
そんな無力感に苛まれるボルスたちの前に、ルナが歩み寄った。
「……ボルスさん。テオさん」
ルナは、その無機質な手を、ボルスの肩に置いた。
「あなたたちには、最も重要な任務があります」
「……え?」
「マスターの『肉体』の防衛です」
ルナは、ポッドの中で眠る晶の遺体を見やった。
「魂を連れ戻しても、帰るべき器が腐っていては蘇生できません。……私が戻るまで、このポッドを絶対零度で維持し、何があっても守り抜いてください」
「……!」
「たとえ国葬が終わって埋葬されそうになっても、敵が攻めてきても、絶対に渡さないでください。……それができるのは、あなたたちだけです」
それは、慰めなどではなかった。
晶の命を繋ぐための、生命線。
ボルスは顔を上げ、涙を拭った。その目には、再び強い光が宿っていた。
「……あぁ。任せろ」
ボルスは、眠る晶と、目の前のルナに向かって敬礼した。
「指一本触れさせねぇ。閻魔様から社長を分捕ってくるまで、この体は死んでも守ってやるぜ!」
「僕も……結界を張り続けます! 一歩も通しません!」
テオも杖を握りしめる。
「……決まりですね」
ルナは微かに口元を緩めると、ポッドの制御盤に向き直った。
ガンドが準備した巨大な魔力ジェネレーターが唸りを上げる。
「ゲート座標、固定。次元穿孔システム、起動。……出力最大!」
バチバチバチッ!!
格納庫の中央に、紫色の稲妻が走り、空間がガラスのようにひび割れていく。
その裂け目の向こうから、冷たく、禍々しい風が吹き込んできた。
冥界への入り口だ。
「行きましょう、みなさん!」
「うむ。主を迎えに行くのじゃ!」
「はい。行きましょう」
「あきらぁ! 今行くのだぁぁ!!」
ルナを先頭に、タマ、タロウ、ポチが続く。
彼らは一度だけ振り返り、ボルスたちに頷くと、躊躇なくその裂け目へと身を躍らせた。
ヒュンッ!
4つの影が闇に飲み込まれていった。
後に残されたのは、静寂と、冷たく眠る晶の体。
そして、決意を固めた男たちだけだった。
「……さあ、仕事の時間だ」
ボルスは仁王立ちになり、ポッドの前に立ちはだかった。
「社長が帰ってくるまで、ここが俺たちの戦場だ!」




