第138話:晶、死す。
悲痛な絶叫は青空に吸い込まれ――そして、突如として黒い影に遮断された。
「……あ?」
涙で滲んだテオの視界に、水しぶきを上げて疾走してくる漆黒の船が映り込む。
全長12メートル。軍用車両を思わせる無骨な装甲と、居住性を両立させた水陸両用の万能艇。
移動要塞『黒き箱舟』――晶たちが乗ってきた母船。
ルナが遠隔操作で浮上予測地点へと先回りさせていた、無人の救命綱である。
「……船、だ」
ボルスが呆然と呟く。
だが、その瞳に宿っていた絶望の色は、瞬時に消え失せた。
あの中には最低限のベッドと、アステルへ帰るためのエンジンがある。
――まだ、間に合うかもしれない。
「ッ……泣いてる場合じゃねぇぞ!!」
ボルスが自らを鼓舞するように吠えた。
彼は溢れ出る涙を乱暴に拭うと、血まみれの晶を抱きかかえ、揺れる足場で踏ん張る。
「乗り移るんだ! 早くしろテオ! まだ終わってねぇ!」
「は、はいっ!」
「……死なせてたまるかよ。あんたが命がけで俺たちを生かしたんだ、今度は俺たちが返す番だろ!」
ボルスは晶を胸に抱き、荒波のうねりで船体同士が接触する一瞬の隙を突いて跳躍した。
「うおぉぉぉッ!」
ドスンッ、と箱舟の後部デッキに着地する。
続いてテオが、泣きじゃくるポチを抱えて転がり込んできた。
主を失った『わだつみ号』は、そのまま波にさらわれていく。
「はぁ、はぁ……!」
ボルスは荒い息を吐きながら、誰もいないデッキを見回した。
医師もいない。医療設備もない。
あるのは、自動操縦で波を切るエンジンの振動だけだ。
「船内に入れるぞ! ソファでもなんでもいい、社長を横にならせる場所を確保しろ!」
「は、はいっ!」
ボルスは晶を抱え、ハッチをくぐってキャビンへと駆け込んだ。
◇
そこは、晶が快適な旅をするために設計された、機能的だが手狭な居住スペースだった。
ボルスはキッチン脇のソファベッドに、晶を慎重に横たえる。
だが、ここにあるのは生活用品ばかり。
命を繋ぎ止めるための医療機器は、何一つない。
「クソッ……! 何もねぇのかよ!」
狭い船内で、ボルスが焦りと共に拳を握りしめた、その時だ。
「どいてください」
冷徹な声が響く。
いつの間にか現れたルナが、ベッドサイドに立っている。
彼女の指先がカシャッと展開し、そこから数本の細いケーブルが蛇のように伸びた。
「ル、ルナさん!?」
驚くテオを無視し、ルナは躊躇なくその端子を晶の首筋や胸部に突き刺した。
ブスリ、という生々しい音が静かなキャビンに響く。
「生体リンク、直結。……私のバッテリーを心臓ペースメーカーとして代用します」
至近距離で、ルナの瞳が激しい明滅を始めた。
自らの動力源である魔力バッテリーを、直接晶の心臓へと流し込み、無理やり鼓動を打たせているのだ。
「総員、衝撃に備えてください。これより最大戦速でアステルへ帰還します」
「最大戦速って……これ以上出したら船が壊れるんじゃ!?」
「……構いません」
ルナは無表情で告げた。
「安全リミッター、全解除。……目的地はアステル郊外、石鹸工場地下『第零格納庫』です」
ズズズズズ……ッ!
船底から、怪物の咆哮のような重低音が響き渡る。
次の瞬間、黒き箱舟は海面を爆発させるような勢いで急加速した。
◇
船体が分解しそうなほどの振動が続く。
ルナは彫像のように動かず、晶の手を握り続けていた。
だが、その体には異変が生じていた。
プシュッ……シューーー……。
ルナの首筋や関節の隙間から、白い蒸気が漏れ出している。
高負荷によるオーバーヒートだ。
人工皮膚の一部が熱で溶け出し、内部の金属骨格が剥き出しになり始めている。
「ルナさん、煙が……! あなたまで壊れてしまいます!」
テオが悲鳴を上げるが、ルナは視線すら動かさない。
「問題ありません。マスターの心拍維持に必要な電圧を供給し続けるだけです」
「でも、その体じゃ……!」
「……私のボディパーツなら、『第零格納庫』に予備があります。ガンドさんに直してもらえば問題ありません」
ルナの視覚センサーには激しいノイズが走っていたが、その瞳は決して晶から逸らされなかった。
ただ、ひたすらに電気信号を送り続ける。
死神の手から、主人の魂を引き剥がすように。
その横で、ボルスは震える手で晶の腕をさすっていた。
注射の痕がない腕を。
その意味をすでに理解している彼は、悔しげに顔を歪める。
「……社長の馬鹿野郎。俺たちの分を作るために、自分の命を削りやがって」
ボルスが絞り出すような声で言った。
自分の不甲斐なさと、主人のあまりに不器用な献身への怒りが入り混じっている。
「注射一本だぞ……たった一本、自分に打てば助かったのによ……! なんで俺らなんかのために損な計算しやがるんだ……!」
「ボルスさん……」
テオもまた、唇を噛み締めてうつむく。
「あきら……起きるのだ……」
ポチがベッドに前足をかけ、晶の顔をぺろぺろと舐める。
「ボクのハンバーグあげるから……おやつのプリンもあげるから……」
ポチの大きな瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ち、晶の頬を濡らす。
「死んじゃイヤなのだ……置いていっちゃイヤなのだ……」
「こんなところで死ぬなど、主らしくないのじゃ……」
タマも悲痛な表情で晶を見つめる。
しかし、晶はピクリとも動かない。
ただ、ルナから送られる強制的な電気信号によって、心臓が痙攣しているだけだ。
「警告。エンジン隔壁、溶解開始。爆発まであと60秒」
艦内アラートが鳴り響く。
窓の外には、アステルの港が迫っていた。
「止まる必要はありません。港に乗り上げなさい!」
ルナの命令と共に、黒き箱舟は減速することなく突っ込んだ。
ズガァァァァァァンッ!!
轟音と共に岸壁が砕け散り、巨大な船体がアステルの港に座礁して停止した。
◇
「急げぇぇぇッ!!」
停止した船から飛び出し、ボルスが晶を抱えて走る。
目指すは、郊外にある石鹸工場――通称『魔王城』の敷地最奥部。
従業員ですら立ち入りを禁じられた、重厚な鉄扉の前だ。
「認証、結城晶。……緊急解除!」
ルナが遠隔操作でロックを外す。
プシューッという音と共に、分厚い扉が左右に開いた。
そこは『第零格納庫』。
かつて晶が発掘し、秘密裏に修理していた古代文明の遺産が眠る場所。
広大なドックの中央に、青白い光を放つカプセル――『再生ポッド』が鎮座していた。
「リナ! フローラ! 準備しろ!」
「は、はいっ!」
騒ぎを聞きつけて駆けつけた従業員たちが、慌ててポッドのカバーを開ける。
ボルスが晶の体を、冷却液で満たされたポッドの中へと横たえた。
「よし、間に合っ――」
ボルスが安堵の息を吐きかけた、その時だった。
ピーーーーー…………
ルナの体内から、無機質な電子音が鳴り響いた。
握っていた晶の手から、力が完全に抜ける。
「……あ?」
ボルスが硬直する。
ルナは、溶けかけた顔でモニターを見つめていた。
「……電気信号、消失」
その声には、一切の感情が含まれていなかった。
「心肺停止を確認しました」
バチバチ、とルナの体から火花が散る。
限界を迎えたアンドロイドの体は、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
光の消えた瞳は、ポッドの中で動かなくなった晶を、ただじっと見つめ続けている。
広い格納庫に、ルナの体内から発せられる無機質な電子音だけが、いつまでも響き渡っていた。
……晶は、死んだ。
……はい。晶、死んでしまいました。
「嘘でしょ!?」「この先の展開、どうするの?」と気になって夜も眠れないアナタ!
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