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第136話:晶、壊れる!?

 ガガガガガッ……!


 瓦礫の陰で、晶は携帯端末のキーを指が残像に見えるほどの速度で叩いていた。


 その瞳には、彼女特有の「冷徹で鋭い光」が宿っている。


 端末からはケーブルが伸び、あのアンプルへと接続されている。


「ルナ! 奴の生体コード解析はまだか!」


「現在98%……。完了しました。スキュラのDNA配列およびナノマシンの制御プロトコル、マスターの端末へ転送します」


 ルナの声と同時に、画面上に膨大な文字列が流れる。


 スキュラの体内で暴走しているナノマシンの設計図そのものだ。


「よし、これでレシピは揃った! あとはこれを『毒』に書き換えるだけだ!」


 晶はケーブルの先端を、命よりも大事な虹色のアンプルへとねじ込んだ。


 だが、その書き換えプロセスは、アンプル内の貴重なナノマシンを燃料として消費することを意味していた。


 黙々と書き換えをする晶。しかし。


 その指が、ふと止まる。


「うっ……ひっく……!」


 晶の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


 晶の表情が……変わっていた。


 切れ長で涼しげだった目元が、クリッと大きく見開かれ、瞳孔も拡大。まるで、少女漫画のヒロインのようにキラキラ潤み始めたのだ。


(減っていく……! 私のFカップが! 理想のくびれが! ぷるんぷるんの弾力が!)


 モニター上のゲージが減るたびに、晶の身が切り刻まれるような痛みが走る。


 アンプル内のナノマシンを消費して、対スキュラ用のウイルスを生成しているのだ。


 まるまる使えばFカップが近づくのに!


(……いえ、待って。全部使う必要はないんじゃない? ほんの数滴……培養に必要な「種」さえ残せば……!)


 晶はキラキラと涙の溜まった瞳で周囲をキョロキョロと伺いながら、無意識にアンプルの一部を分離し、手元の空き瓶へとかすめ取った。


 だが、それでも大半を消費することに変わりはない。


 ここでケチれば全滅だ。


 精神的負荷が限界を超えた晶の中で、何かがプツンと切れた。


「……もう……知らないっ! 『再生(リジェネレーション)』コマンド反転! 『増殖リミッター』全解除ぉ! アンタなんか……『即時細胞死(アポトーシス)』の無限連鎖で、消えちゃえばいいのよぉぉ!」


 晶は潤んだ瞳から涙をボロボロと流し、鼻をすすりながら、エンターキーを拳で殴りつけた。


「書き換え終了! 特製『自壊ウイルス』完成だもん!」


 そのあまりの変貌ぶりに、瀕死のボルスとテオが顔を見合わせた。


「……なぁテオ。社長の喋り方と顔……なんか変じゃねぇか?」


「はい……。目がキラキラしてて、声もかわいくて。でも、胸がキュンとするような、同時に背筋が凍るような……」


 普段の鉄仮面のような晶からは想像もできない、乙女の癇癪。


 そのギャップにときめきつつも、状況の異常さにドン引きする男たち。


 そんな彼らを横目に、ルナだけは冷静に、マスターの精神状態をスキャンしていた。


(……マスターの瞳孔および虹彩パターンに著しい変化を確認。


 分析結果――極度のストレス環境下における、自我の「退行」現象。「Fカップ」という目的が阻害されたことによる認知的不協和。それによる感情制御の崩壊。大脳辺縁系が暴走し、幼児的、あるいはヒステリックな「乙女」の人格が表面化している。


 ……しかし。


 この状態のマスターは、羞恥心と倫理観のリミッターが外れているゆえに、戦闘能力および加害性が飛躍的に向上。結論:放置が最適解)


 ルナが内部処理で結論づけている間に、晶はケーブルを引き抜いた。


 右手に「毒」の入ったスポイトを隠すように(・・・・・)持った


「ボルス! テオ! 道を開けて!!」


 晶が叫ぶ。その瞳は依然として、潤んだままキラキラと輝いている。


 童顔でツルツルスベスベの肌、さらに声が半オクターブあがっていることもあり、いまの晶はまるでなりたての女子高生だ。


 だが、そんな晶に返ってきたのは力強い返事ではなく、苦悶のうめき声だった。


「ぐぅっ……すまねぇ社長、体が動かねぇ……!」


 見れば、ボルスが膝をつき、干からびた左腕を押さえて震えている。度重なるHPドレインの影響で、立ち上がる力すら残っていないのだ。


 テオも魔力切れで杖にすがって倒れ込み、頼みのポチも白目を剥いて伸びている。


 最強火力を誇るタマでさえ、スキュラにエネルギーを吸いとられ、青ざめた顔でガタガタと震えながらうずくまっていた。


 さらに、スキュラ・クイーンへの道は、無数の触手によって鉄壁に守られていた。


 貧弱な晶の足で突破できる確率など、万に一つもない。


「警告。突破率、ほぼゼロ。撤退を推奨します」


 ルナの冷徹な計算結果。


 だが、晶はニヤリと笑った。その瞳には、たっぷりと涙が溜まっている。


「いえ、計算通りよ、ルナ。……正面突破なんて最初からする気はないわ」


「はい?」


 晶は瓦礫の陰からゆっくりと姿を現した。


 そして、スキュラに向かって、左手を高々と掲げたのだ。


「化け物! これが欲しいんでしょ!?」


 左手に掲げたアンプル。その虹色の輝きに、スキュラの虚ろな瞳が釘付けになる。


「……わ……た……しの……」


「欲しけりゃくれてやるわよ! 自分で取りに来なさいよ、バカァ!!」


 晶の挑発。


 理性を失った怪物は、単純な欲望のままに反応した。


 涙目で震える無力な少女が、自ら宝を差し出してきたのだ。


 それは怪物にとって、疑う余地のない「完全なる降伏」に見えたのだろう。


 獲物が抵抗をやめたのなら、もはや警戒など不要。


 勝利を確信した怪物の全身から、ふっと殺気が霧散した。


 シュルルルルッ!!


 戦闘態勢を解き、すべての触手が晶一人に向かって殺到する。


「社長!? 何を!?」


 ボルスが絶叫する中、晶は動かなかった。


 逃げも隠れもしない。


 ドスッ!!


 太い触手が晶の胴体と左手に巻き付き、その身体を軽々と宙に吊り上げた。


「ぐっ……!」


 締め上げられる苦痛。全身の骨がきしむ音が響く。


 スキュラは晶を捕獲すると、愛おしいアンプルを奪い取るために、その醜悪な顔面へと晶を引き寄せた。


 至近距離。


 スキュラの口から滴る粘液がかかるほどの、ゼロ距離対峙。


 スキュラの目が、「返せ」と言わんばかりに晶の手元のアンプルを覗き込む。


 次の瞬間。


 晶の瞳から「乙女の潤い」が嘘のように消えうせた。


 代わりに、マッドサイエンティストのような「凍てつくような鋭い光」が戻った。


「……バーカ。地獄からの差し入れだ、受け取れ」


 晶は凶悪に笑うと、スキュラに右手を振り上げた。


 手には、毒の入ったスポイトが握られている。


「この、『おっぱい泥棒』があぁぁぁッ!!」


 そして、無防備に晒されたスキュラの眼球へ鋭く突き刺す。


 ズプゥッ!!


 眼球が破裂する感触。


 晶は躊躇なくプランジャーを押し込んだ。


 致死性の猛毒プログラムが、視神経を通って脳へ、そして全身のナノマシンネットワークへと直接流し込まれる。


「ガ……?」


 スキュラの動きがピタリと止まる。


 晶を締め上げていた触手の力が、ふっと抜けた。


 ドサッ。


 晶が床に落ちると同時に、スキュラの絶叫が響き渡った。


「ギシャアアアアアアアアアッ!!」


 制御を失った体内のナノマシンが、書き換えられた命令に従い、自身の細胞を「敵」と認識して攻撃を開始したのだ。


 再生しようとする力と、自壊しようとする力が体内で衝突し、肉体が限界を超えて膨張する。


 ボコッ、ボコボコボコッ!!


 スキュラの透き通るような白い肌の下で、無数の気泡が沸騰するように蠢き始めた。


 肯定と否定。創造と破壊。


 体内で繰り返される毎秒数億回の矛盾(エラー)が、彼女の肉体というキャンバスを、ぐちゃぐちゃに塗りつぶしていく。


 バヂィン!


 耐えきれなくなった皮膚が弾け飛び、溢れ出した体液が滝のように流れ落ちる。


 もはや、そこには「女王」の威厳も、かつての「少女」の面影もなかった。


 あるのはただ、暴走した行き場のない生命力に内側から食い尽くされる、哀れな肉の牢獄だけ。


 崩れゆく口元が、微かに動く。


「お……母……さ……」


 スキュラの少女の顔が恐怖と悲しみに歪んだ。


 それが最期だった。


 ドロォォォォ……ッ!


 形を保てなくなったスキュラの肉体が、雪崩のように崩れ落ちた。


 美しい少女の姿も、(おぞ)ましい触手も、すべてが混ざり合い、ただの白濁した液体の水たまりとなって床に広がっていく。


 圧倒的な再生能力が暴走した末の、完全なる自滅だった。


「……はぁ、はぁ……」


 晶は膝をつき、空になったスポイトを握りしめた。


 目の前には、もう動くものは何もない。


「へっ……やったか……?」


 ボルスが干からびた左腕を押さえながら、へたり込む。


 テオも杖を支えにして、荒い息を吐いている。


「よくやった、おまえたち」


 晶は乱れた前髪を払った。


 勝利の余韻に浸ろうとした、その時。


 ウゥゥゥゥゥゥン!!


『警告。警告。メインシステム、クリティカル・エラー』


 先ほどまでの警報とは違う、さらに危機迫るアラートが施設全体に鳴り響いた。


 ドームの天井に亀裂が入り、パラパラと瓦礫が落ちてくる。


「な、なんだ次は!?」


「ルナ! 状況報告!」


『報告します。生体ユニット、スキュラの消滅により、施設の制御システムがダウン。動力炉の冷却が停止し、臨界点を突破しました』


 ルナの声は、あくまで冷静に絶望的な事実を告げた。


『緊急自爆シーケンスが作動。施設崩壊まで、あと180秒』


「……は?」


 晶が目を見開く。


「じ、自爆だと!? ふざけるな! まだあそこのコンソールからデータを抜いてないし、予備のパーツも回収してないぞ!」


「社長! 欲張ってる場合じゃねぇ!」


 ボルスが怒鳴り、動けないポチを小脇に抱えて走り出した。


「死んだら金も夢もパーだぞ! 死にたくなきゃ走れぇぇッ!!」


「社長、早く逃げましょう!」


 泣き叫ぶテオが、未練たらたらの晶の腕を強引に引く。


 ズズズンッ……!


 地響きと共に、巨大な水槽が倒壊し、ドーム全体が崩れ始めた。


「ちくしょぉぉぉ! 私の遺産がぁぁぁ!」


 晶の断末魔のような叫びが木霊する中、一行は崩壊する「楽園」から、出口へと向かって全速力で駆け出した。


 ◇


 全力でドックに向かいながら、晶は我に返った。


(……待てよ。私、さっき……)


 アドレナリンが切れ、冷静な思考が戻ってくると同時に、先ほどの自分の言動がフラッシュバックする。


 ――消えちゃえばいいのよぉぉ!


 ――完成だもん!


 ――バカァ!


「…………ッ!!」


 カァァァッ! と音がしそうなほど、晶の顔が一瞬で真っ赤に染まった。


 羞恥心。


 全裸で踊るよりも恥ずかしい、剥き出しの乙女心の露呈。


 走りながら恐る恐る横を見ると、テオとボルスがニヤニヤしながらこちらを見ていた。


「いやー、凄かったですねぇ社長。あのキラキラした目、一生忘れませんよ」


「『バカァ!』だもんな。あれは俺もちょっとドキッとしましたぜ。ギャップ萌えってやつですか?」


「だ、黙れ……!」


 晶は震える声で遮った。


「い、今のは……そう! 敵を油断させるための高度な心理戦だ! 演技だ! 計算だ! 決して私がパニックになって素が出たわけではない!」


「へぇー、演技ですか。随分と迫真でしたけどねぇ?」


 テオが意地悪く突っ込む。


 晶は走りながら真っ赤な顔で、二人を指差した。


「いいか貴様ら! この件に関しては最高レベルの『箝口令』を敷く! 他言無用! 酒の席でのネタにするのも禁止だ!」


「えー、でもポチちゃんにも教えないと……」


「ポチにもだ! もし誰かに喋ったら……今月分の給料と危険手当、全額カットだからな!」


「「そりゃねぇよ!!」」


ズドォォォォォンッ!!


 その悲鳴をかき消すように、背後の隔壁が水圧で吹き飛んだ。


「うわぁぁぁッ! 水だ! 鉄砲水が来たぞぉぉ!」


「議論はあとだ! 全力で走れぇぇッ!」


 もはや給料の話などしている場合ではない。


 天井が崩れ、頭上から鉄骨の雨が降り注ぐ中、晶は白衣を乱して死に物狂いで駆けた。


 社長の威厳もへったくれもない。あるのは剥き出しの生存本能のみ。


 ボルスがポチを抱えて飛び、テオが悲鳴を上げながら瓦礫を避ける。


 崩落していく通路を、彼らは転がるようにして駆け抜けた。


 一行は、ドックに停泊していた潜水艦『わだつみ号』のハッチへと、雪崩を打つように転がり込んだ。


「ハッチ閉鎖! 緊急発進! 逃げるぞ!!」


 晶がコンソールを叩くと、後部のハイドロジェットが爆発的な水流を噴射する。


 『わだつみ号』は弾かれたように急加速した。


 だが、遅かった。


 背後ではすでに、崩壊の濁流よりも速く――全てを無に帰す「破滅の光」が、彼らを飲み込もうとしていた。


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