第132話:竜宮城の合言葉
「さて……ここからは我々だけだ」
晶がスロットルを押し込む。
わだつみ号は、単騎で未踏の深淵へと沈んでいく。
深度9500……9800……。
ピキッ……。
不意に、鋭い音が船内に響いた。
「ヒッ!?」
「な、今の音! 今の音は何ですか社長ぉぉ!」
テオが悲鳴を上げる。
音は止まない。ミシッ、ピキキッ、と船体のあちこちから、骨が軋むような音が聞こえてくる。
「船殻がきしんでいる音だ。現在の水圧は約1000気圧。指先ほどの面積に1トンの重りが乗っている計算になる」
「1トン!? 潰れます! ペシャンコになりますぅぅ!」
「騒ぐな。この船の設計限界深度は12,000メートルだ。まだ余裕はある。……理論上はな」
「理論上って言った! 今、理論上って言いましたよ!?」
恐怖で錯乱するテオを無視し、晶は前方の一点を凝視した。
「……来るぞ。深度10,000メートル。到達だ」
その言葉と同時だった。
永遠に続くかと思われた暗黒の向こうに、ぼんやりとした「光」が現れたのは。
「……あ?」
ボルスが声を漏らす。
最初は小さな蛍の光のようだった。だが、船が近づくにつれて、それは圧倒的な質量と輝きを持って彼らの視界を覆い尽くした。
巨大なドーム状の防壁。
その内側に広がっていたのは、極彩色に輝く海底都市だった。
透き通る水晶のような塔が林立し、その間を発光する珊瑚の森が埋め尽くしている。
青、緑、紫。幻想的な光の粒が街全体を包み込み、優雅に泳ぐ発光魚たちが、まるで空を飛ぶ鳥のように行き交っていた。
「す、すげぇ……」
ボルスが窓に張り付く。
「なんだこりゃ……宝石箱かよ……」
「キラキラなのだ! 竜宮城なのだ!」
ポチが尻尾をブンブンと振って跳ね回る。
「乙姫様がいるのだ! タイやヒラメの舞い踊りなのだ! ご馳走なのだ!」
以前、晶から子守唄代わりに聞かされた浦島太郎のおとぎ話。
ポチは健気にもそれを信じていた。
「伝説は本当だったんだ……。深海の底に、こんな楽園があったなんて……」
テオも恐怖を忘れて見惚れている。
だが、そんなロマンチックな空気を、晶は鼻で笑って粉砕した。
「何を言っている? あれは『魔導バイオプラント』だぞ?」
「……はい?」
「旧文明が海洋生物の軍事転用や、食料事情解決のための品種改良を行っていた実験場だ」
晶は冷めた目で、輝く塔や珊瑚を指差した。
「あの綺麗な塔は『培養タンク』兼『実験棟』。光る珊瑚の森は、垂れ流される廃液を分解するための『バイオマス浄化槽』だ。泳いでいる魚も、恐らくは警備用の自律型ドローンか、廃棄された実験体の成れの果てだろうな」
「やめて! 夢を壊さないで!」
「竜宮城じゃないのだ?」
「残念だが、ここは『工場』だ。……もっとも、私にとっては竜宮城以上の宝の山だがな」
晶はニヤリと笑い、操縦桿を操作して都市の入り口へと船を進めた。
都市を覆うドームの正面には、巨大な金属製のゲートが聳え立っていた。
材質はオリハルコンだろうか。数千年の時を経ても錆びひとつなく、威圧的な輝きを放っている。
『――警告。』
不意に、船内の通信機にノイズ混じりの音声が割り込んできた。
ルナが即座に翻訳する。
「マスター、外部からの通信です。古代語で……『警戒レベル・MAX。IDを提示せよ。さもなくば排除する』と言っています」
「は、排除ぉ!?」
「やばいぞ社長! 大砲みたいなのがこっち向いてる!」
ボルスの言う通り、ゲートの両脇に設置された防衛砲台が起動し、銃口がわだつみ号に向けられた。
「IDなんて持ってるわけねぇだろ! 逃げるぞ!」
「必要ない」
晶は慌てる様子もなく、コンソールを叩いた。
「ここに『マスターキー』がある」
「へ? 鍵?」
「以前、月面の遺跡をハッキングした時に解析しておいた、古代の管理者コードだ。……これさえあれば、世界中の古代遺跡は私の庭も同然だ」
晶はエンターキーを強く叩き、高らかにパスワードを詠唱した。
「開け! Fカップへの未来! オープン・セサミ!!」
(そこは「ひらけ・ゴマ」で良かったんじゃ……)
ルナが頭の中で虚しいツッコミを展開しているなか……
ズゴゴゴゴゴゴ……!!
重低音が響き渡り、巨大なゲートが左右に開き始めた。
防衛砲台が沈黙し、緑色の誘導灯が点灯する。
「あ、開いた……」
「どんなセキュリティしてるんですか、古代人は……」
呆れるテオをよそに、晶はわだつみ号を前進させる。
「搬入用ドックへ入るぞ」
わだつみ号は、開かれたゲートをくぐり、都市内部にある広大なドックへと滑り込んだ。
船が固定されると同時に、ドック内の海水が凄まじい勢いで排出されていく。
「排水完了。気圧調整、正常。空気組成、異常なし。……マスター、外に出られます」
「よし」
晶は立ち上がり、白衣の裾を翻した。
「行くぞ。ここからが本番だ」
プシューッ……!
エアロックが解除され、わだつみ号のハッチが開く。
一行はついに、深海10,000メートルの海底遺跡へと足を踏み入れた。
そこは、乾燥した冷たい空気に満ちていた。
少しカビ臭いが、呼吸には問題ない。
薄暗い通路の壁には、青白く発光する培養カプセルがずらりと並び、中にはホルマリン漬けのような奇妙な生物たちが浮かんでいる。
「うわぁ……なんか気味悪いところだな」
「お魚さん、死んでるのだ……?」
ボルスとポチが身を寄せ合う中、晶だけが目を輝かせてカプセルに駆け寄った。
「素晴らしい……! これは古代のキメラ技術の実証データか! こっちは細胞の再生プロセスを記録したメモリだな!」
狂気のマッドサイエンティストにとって、そこは金銀財宝の眠る竜宮城よりもなお魅力的な、禁断の知識の宝庫だった。
「さあ、探すぞ。この奥にあるはずだ。……私を『完全体』へと作り変える、神の技術がな!」




