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第125話:深海エレクトリカル・パレード

 深度1500メートル。


 そこは、神が創造の過程で塗り忘れたかのような、完全なる虚無の世界だった。


 窓の外には、ただひたすらに重く、冷たい闇が広がっている。


 太陽の光は一粒たりとも届かない。


 上も下も、東も西もない。


 あるのは、船体をミシミシと締め上げる150気圧の水圧と、永遠に続くかのような沈黙だけだ。


「……ハァ、ハァ……ッ」


 狭苦しい船内に、テオの過呼吸気味の息遣いが響く。


「く、暗いです……。何も見えません……。まるで世界の終わりです……」


「おいテオ、頼むから静かにしてくれ。お前の吐息が耳にかかって気持ちわりぃんだよ」


「だ、だってぇ……! こんなの無理ですよぉ! 自分が落ちてるのか浮いてるのかもわからないんですよ!」


 テオが涙声で叫び、ボルスが青い顔で口元を押さえる。


 無理もない。


 人間は視覚情報が遮断されると、平衡感覚を失いやすい。いわゆる「空間識失調」の一種だ。


 加えて、この極小の密閉空間である。


 精神的にタフなボルスでさえ、この終わりのない闇にはまいっていた。


「……チッ。これだから素人は」


 晶は、コーヒーを啜りながら、呆れたようにため息をついた。


「ただ光がないだけだ。物理現象に感情を移入するな。非効率だぞ」


「社長は怖くないんですか!? この、永遠の闇が!」


「別に? 光がないなら、点ければいいだけの話だ」


 晶は空になった紙コップをくしゃりと潰し、操縦席のルナに指示を出した。


「ルナ。我々の存在を、この深海世界の住人たちに知らしめるぞ」


「ラジャ。作戦コード『エレクトリカル・パレード』、シーケンス起動します」


「……は?」


 ボルスが聞き慣れない単語に首を傾げた、その瞬間だった。


 カッッッ!!!!


 目が焼けるような閃光が、深海の闇を切り裂いた。


 いや、ただのサーチライトではない。


 直径3メートルの球体である『わだつみ号』の外殻そのものが、極彩色のネオンカラーに発光したのだ。


 赤、青、緑、ピンク、黄色。


 ゲーミングPCも裸足で逃げ出すような派手な色彩が、高速で点滅し、回転し、明滅する。


 静寂だった深海が、一瞬にして繁華街のネオンへと変貌した。


「うわあああっ!? ま、眩しっ!?」


「な、なんですかこれぇぇぇ!!」


 ボルスとテオが目を覆う。


 晶はニヤリと笑い、どこから取り出したか知れないサングラスを装着した。


「説明しよう! これは私がガンドの工房で開発した特製塗料――『魔導ルミノール・コーティング』だ!」


「るみのーる!?」


「そう、化学反応による発光現象だ! 通常、ルミノール反応は一瞬の輝きだが、そこに『光魔法』を定着させる触媒を混ぜ込むことで、半永久的に、しかもド派手に発光し続けることを可能にした!どうだ、素晴らしいだろ!?」


「「なんて無駄な技術力っ!」」


 ボルスとテオが同時にツッコむ。


「ここ、深海ですよ!? 隠密行動どころか、自分から『喰ってください』って宣伝してどうするんですか!」


「そうですぅぅ! こんなピカピカ光ってたら、深海中のモンスターが集まってきちゃいますよぉぉ!」


 だが、晶の暴走は止まらない。


「ルナ、BGMスタート! 客寄せには音が不可欠だ!」


「了解。深海生物の聴覚周波数に合わせて、低音をブーストします」


 ズンッ、ズンッ、ズンッ……!


 船外スピーカーから、腹に響くような重低音のリズムが放たれる。


 曲は、なぜか晶の記憶にある『夢の国のパレード曲』を、無理やりテクノ調にアレンジした謎の電波ソングだった。


 ♪〜 テッテレテーレ テッテレテレテレ テッテレテーレ テテレテテレテレ♪


「うるせぇぇぇ!!」


「ここ深海ですよね!? 静寂の世界ですよね!?」


「ふはははは! 見ろ、ポチたちも喜んでいるぞ!」


 窓の外を見る。


 そこには、ネオンに照らされた海中で、スライム形態のタロウがミラーボールのように光を乱反射させながらクルクルと回っていた。


 そして船内では、ポチが窓ガラスにへばりつき、外で回る弟分に合わせて楽しそうに叫びながら、尻尾をブンブンと振り回している。


「完全にパーティーじゃねぇか……」


「酸素の無駄遣いですぅ……」


 ボルスとテオはガックリと項垂れた。


 だが、この馬鹿げた『エレクトリカル・パレード』を、戦慄と畏怖の眼差しで見つめる者たちがいたことを、彼らはまだ知らない。



 深海深度2000メートル。


 切り立った海底崖の洞窟に、彼らは潜んでいた。


 半魚人――あるいは『深きものども』と呼ばれる、深海の亜人種族である。


 全身をヌルヌルとした鱗に覆われ、ギョロリとした巨大な目と、水かきのある手足を持つ彼らは、地上とは隔絶された独自の原始的な社会を築いていた。


 その集落の長老、ギョルギョスは、洞窟の奥で震えていた。


 長老の横に控える若き戦士、ギョバもまた、槍を持つ手を震わせている。


「ちょ、長老……! あれは、一体……!」


 ギョバが指差した先。


 漆黒の海の上方から、とてつもないものが降りてきていた。


 光だ。


 太陽を知らぬ彼らが、かつて見たこともないほどの、強烈かつ暴力的な光の塊。


 七色に変化し、目を刺すような輝きを撒き散らす『銀の球体』。


 そして、その周囲を回る、不定形の『透明な眷属スライム』。


 さらに、海水そのものを振動させるような、雷のごとき轟音(BGM)が響き渡っている。


 ♪〜 テッテレー テッテレー! 〜♪


「……伝承にある通りだ」


 長老ギョルギョスは、唇をわななかせた。


「数千年に一度、天より『輝ける御使い』が降臨し、深淵の闇を払うという……」


「で、では、あれは……!」


「神だ。……『光の乱舞神』の降臨じゃあぁぁッ!!」


 長老が叫び、洞窟から這い出て平伏した。


 それにつられて、岩陰に隠れていた数百匹の半魚人たちが、一斉に飛び出した。


「オオオオオッ!」


「カミサマ! カミサマ!」


「マブシイ! スゴイ! ウツクシイ!」


 彼らは武器を捨て、光り輝く『わだつみ号』に向かって泳ぎだした。


 襲いかかるためではない。


 ただひたすらに、その神々しく見える光を浴び、崇めるために。


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