第124話:晶、「死にたがり」と間違われる
その日、港町ポルトゥスの朝は、重苦しい沈黙に包まれていた。
晴れ渡る青空。穏やかな海。
絶好の行楽日和だというのに、ドックに集まった漁師や町民たちの表情は、まるで葬列を見送るように暗い。
彼らの視線の先には、テオの浮遊魔法により浮いている直径3メートルの銀色の鉄球――深海探査艇『わだつみ号』があった。
「……なぁ、本当に乗るのか? これに」
鉄球の内部。
ボルスが脂汗を浮かべながら呻いた。
「文句を言うな。設計上、これ以上の居住スペースを確保すると強度が落ちる」
「いや、強度とかじゃなくてな……!」
ボルスが叫びたくなるのも無理はない。
直径3メートルの球体内部は、計器類と配管、そして酸素ボンベで埋め尽くされ、人間が座れるスペースはわずかしかなかったからだ。
配置はこうだ。
中央の計器盤の前に、船長の晶と、オペレーターのルナ。
そしてその後ろの予備シートに、ボルスと、テオが、体育座りで膝を突き合わせて押し込まれている。
さらに、晶とルナの足元――計器盤の下のわずかなデッドスペースに、ポチとタマが小動物のように丸まってスッポリと収まっていた。
「せ、狭ぇ……! おいテオ、もっとあっち行けよ! お前の骨が当たって痛ぇんだよ!」
「理不尽ですよぉ! 壁際なんてもう配管しかありません! 私だってあなたと密着なんかしたくないです!」
「うるさいのじゃ! お主らの足が妾の頭に当たっておるぞ!」
「ボルス、汗臭いのだ……」
「俺のせいじゃねぇよ!!」
熊のような男と、枯れ木のような男が密着する地獄絵図。さらに、ちびっこの喚き声。
室温と湿度と不快感が無駄に上がっていく。
「ふむ。人口密度が高いな」
「他人事みたいに言わないでくださいよ!」
晶は無視して、ルナに指示を出した。
「ルナ、システムオールグリーン。ハッチ閉鎖」
「ラジャ。……ハッチ、ロックしました。これより内圧調整に入ります」
プシュウゥゥ……!
重厚な金属音が響き、外界との繋がりが絶たれた。
完全なる密室。
窓の外に見える穏やかな港の風景が、急に遠い世界のものに感じられる。
「……ちなみに、マスター」
ルナが淡々とした口調で補足情報を読み上げた。
「目的地の深度で外殻が破損した場合、水圧により私たちが圧死するまでの時間は推定0.03秒です」
「やめろ! 具体的な数字を出すな! 想像しちまうだろ!」
「安心しろボルス。人間の神経伝達速度より速い。痛みを感じる暇もなく、自分が死んだことに気づく前にミンチになれる」
「何の慰めにもなってねぇよ!!」
船内が絶望的な空気に包まれる中、外では出航の準備が整っていた。
窓の外、岸壁に集まった漁師たちが、哀れみの眼差しでこちらを見ているのがわかる。
「あんな鉄の棺桶に入って……かわいそうに」
「遺書は書いたのかねぇ……」
「まだ若いのに……借金でもあったのか……」
聞こえないはずの声が聞こえてくるようだ。
まるで、市場に売られていく子牛を見送るような空気である。
晶は船外マイクのスイッチを入れた。
『……あー、テステス。本日は晴天なり』
スピーカーの調子が悪いのか、晶の声は酷いノイズ混じりで港に響き渡った。
それが余計に、断末魔のメッセージ感を煽ってしまったらしい。おばちゃんがハンカチで目頭を押さえているのが見えた。
『諸君! 我々はこれより、前人未踏の深海へと旅立つ! 必ずや古代の叡智を持ち帰り、この世界に革命を起こすだろう! 凱旋を待っていてくれ!』
晶は力強く拳を突き上げた。
が、狭いので天井にぶつけた!
(くっ!締まらないじゃないか!)
そんな晶のスピーチに対する観衆の反応は、パラパラとした力ない拍手だけだった。
「……よし、行くか」
「観衆の反応薄っ! 完全に死にに行く人扱いじゃないですか!」
「まぁいい。テオ、リリースだ。魔法を解け」
晶が指示を出すと、テオは杖に込めていた魔力を切った。
数トンの鉄塊が、重力に従って落下した。
ドボォォォンッ!!
巨大な水柱が上がり、視界が真っ白な泡に覆われる。
次の瞬間、窓の外は青空から、エメラルドグリーンの海中へと変わった。
「うおぉっ!? ゆ、揺れる!」
「きゃぁっ! お魚さんがいっぱいなのだ!」
ポチだけが無邪気に窓にへばりついている。
機体はブクブクと泡を吐きながら、ゆっくりと、しかし確実に沈んでいった。
◇
深度500メートル。
太陽の光はまだ届くが、海の色は濃い藍色に変わり始めていた。
「……社長!」
震える声でボルスが指差した。
「あれ……なんだ?」
「ん?」
晶が視線を向けると、サファイアガラスの窓の外に、「半透明のゼリー状の物体」がへばりついていた。
アメーバのように不定形なそれは、窓ガラスにへばりついたまま、器用に触手みたいな手を振っている。
「うわぁぁぁ! タロウだ! タロウが外に出てるぞ!」
「ひぃぃ! つ、潰れちまう! 水深500メートルですよ!?」
テオが悲鳴を上げた。
そう、それはタロウだった。彼は人間形態を解き、完全なスライム姿となって、船の外壁に張り付いて随伴しているのだ。
「騒ぐな。今のあいつは『耐圧スライムモード』だ」
晶はモニターで水圧グラフを確認しながら、コーヒーを啜った。
「人間形態だと、発声器官としての『肺』という空洞を再現しているから、水圧でペシャンコになる。だが、今は違う」
「な、何が違うんですか!?」
「あいつは今、体内の空洞を全て排除し、純度100%の『非圧縮性流体』になっているんだ」
「ひ、ひあっしゅく……?」
テオが目を白黒させる。
「簡単な理屈だ。水を入れた風船を海に沈めても、割れることはないだろう? 中は水、外も水。圧力が拮抗しているからだ」
「は、はぁ……」
「今のタロウはそれと同じ。全身が液体で満たされた塊だ。だから、どれだけ潜っても潰れることはない。……理論上、あいつは深海最強の生物だ」
その時、船内スピーカーから、タロウの能天気な念話が響いた。
『姉さん、聞こえますかー? すごいですよここ!』
ノイズ混じりだが、苦しんでいる様子は微塵もない。
『全身がキュウゥゥッて締め付けられて、なんだか極上の指圧マッサージを受けているみたいです〜。肩こりが治りそうですねぇ』
「……だ、そうだ」
晶は肩を竦めた。
ボルスとテオは、窓の外で気持ちよさそうにうねるスライムを見つめ、さらに、その横ではしゃいでいる姉のポチを見比べた。
(こいつら、恐怖という概念がないのか!?)
ボルスは呆れ顔になる。
(いまだけでいい、こいつらみたいになりたい)
テオにいたっては半べそだ。
((この……化け物姉弟め!))
二人の心が一つになった瞬間だった。
◇
深度1000メートル。
ついに、窓の外から青色が消えた。
「……トワイライト・ゾーンを抜けたな」
晶が呟くと同時に、ルナが操作パネルを叩いた。
カッ。
機体前方の魔導ライトが点灯し、漆黒の闇を切り裂く。
そこに映し出されたのは、雪のように舞い落ちるマリンスノーと、見たこともない形状をしたグロテスクな深海魚たちの姿だった。
「ひぃっ! い、今、変なのが窓を叩きましたよ!?」
「でけぇダンゴムシみたいなのが泳いでるぞ……」
逃げ場のない密室空間は、さながらパニック映画のような惨状を呈していた。
――だが。
ボルスとテオが外の世界に戦いているなか、ポチとタマはおやつを巡って、不毛な口喧嘩を繰り広げていた。
事の発端は数分前。
暇そうにしてるポチとタマを見た晶が、各々の好みに合ったおやつを配ったのがきっかけだ。
「タマにはこれをやる。ポチは辛いの苦手だから、特製燻製肉な」
「おおっ! 赤いのじゃ! 辛そうじゃ!」
「わーい! お肉なのだ! あきら大好き!」
ポチは手にした燻製肉をさっそく齧っていた。その横で、タマが涎を垂らして幸せそうな表情のポチを見ていた。
「ポチ、その肉、美味そうじゃの! ……妾のせんべいと交換するのじゃ!」
「えー? やなのだ。それ辛いのだ」
「ん? ちょっとピリッとするが、美味いぞ? ほれ、交換じゃ!」
タマはポチの手から大好物の特製燻製肉の一枚を強引に奪い取ると、代わりに自身に配られた『地獄の激辛マヨせん・ハバネロ増し増し』をポチのポケットに無理やりねじ込んだ。
「むぅ……タマちゃんのいじわる」
大好物を取られ、苦手なものを押し付けられてふくれているポチに、晶が前を向いたまま諭すように言う。
「まぁそう言うなポチ。辛いのは苦手だろうが、カプサイシンは体を芯から温める効果もある。持っておけば、もしかしたら何かの役に立つかもしれんぞ?」
「……ホントなのだ?」
「あぁ。私の計算に狂いはない」
「わかったのだ! じゃあ、大事に持っておくのだ!」
ポチは「あきらが言うなら」とあっさり納得し、真っ赤なせんべいを大事そうにポケットの奥に忍ばせた。
「……お前ら、こんな深海でよくおやつなんかで喧嘩できるな……」
ふたりのケンカを見たボルスが、げっそりとした顔でツッコミを入れた。
だが、晶の表情はそんなボルスとは真逆に輝いていた。
知的好奇心と、そして何より――この更に下に眠る「豊胸の秘術」への期待感だ。
「来たぞ、深海へ」
晶はニヤリと口角を上げた。
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