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第121話:海から来た希望

 ピピピッ、ピピピッ!


 音源は、ルナだ。


 彼女の左耳のイヤリング型パーツが、蛍のように青く明滅している。


「……マスター。港町ポルトゥスのモーガン組合長から、緊急通信です」


「モーガン? こんな時間にか?」


 晶が顔を上げると、ルナは無言で右手を前に差し出した。


 彼女の掌から青い光の粒子が噴き上がり、空中で扇状に展開する。


 ブゥン。


 空中に15インチほどの「ホログラムウィンドウ」が出現し、そこに困り顔のモーガンが映し出された。


『……夜分にすまねえ、姉ちゃん。緊急事態でよ』


「どうした、藪から棒に。魚の値段交渉なら明日にしろ」


 晶が空中のウィンドウに向かって不機嫌そうに答える。


『いや、違うんだ。……漁師の網に、とんでもねえ「石板」が引っかかってな』


 モーガンが画面越しに、一枚の黒い金属板を持ち上げて見せた。


 そこには、幾何学的な模様と、ミミズがのたうち回ったような奇妙な記号がびっしりと刻まれている。


『気味が悪いから海に捨てようかって話になってたんだが……』


「待て。……なんだその模様は?」


 晶が目を細める。ただの汚れではない。明らかに知性を持った何者かが刻んだ「意図」を感じる。


 だが、晶の知識では、その意味までは読み取れない。


「ルナ。……読めるか?」


 晶が短く問う。


 ルナの深紅の瞳が、チカチカと高速で明滅した。


 彼女の視覚センサーが、ホログラム内の映像を静止画としてキャプチャし、内蔵された古代語データベースと照合マッチングを開始する。


「……解析完了。言語、古代大陸語。……翻訳します」


 ルナが掌を軽く振ると、ホログラムの映像の横に、新たなウィンドウがポップアップした。


 そこには、石板の文章が現代語に翻訳されて表示されている。


「これは古代の海洋生物研究所の端末ログです」


「内容は?」


「……『対象生物の細胞活性化プロセスについて。本装置を使用することで、特定部位の急速な細胞分裂を促し、局所的な肥大化を実現する』……」


 ピクリ。


 晶の眉が跳ね上がった。


「……局所的な、肥大化?」


「はい。『従来種のサイズを数倍にまで成長させることが可能』『肉付きを良くし、ボリュームを増大させる』との記述があります」


 ドクン。


 晶の心臓が早鐘を打った。


 彼女の脳内で、超光速の論理飛躍が発生する。


 細胞活性化。


 局所的肥大。 


 ボリューム増大。


 つまり――。


「……『豊胸』だ」


 晶が確信を込めて呟いた。


「は?」


 ルナが真顔で聞き返す。


 だが、晶の耳にはもう、ルナの声など届いていなかった。


 彼女はガタリと椅子を蹴倒して立ち上がり、虚空を仰いで両手を広げた。その瞳は、狂信者のようにギラギラと輝いている。


「間違いない! これは古代人が遺した、夢を叶えるための機械に違いない!」


「いえ、どう見ても養殖魚の成長促進装置でしょうが!」


「黙れルナ! 生物学的に考えろ! 魚も人間も同じ動物だ。マグロのトロを増やせるなら、人間の脂肪細胞だって増やせるはずだ!」


 晶は自らの慎ましやかな胸元を、がしっと鷲掴みにした。


 そこにあるのは、悲しいほどのBだが、晶の脳裏には今、黄金色に輝く未来予想図が広がっていた。


「想像してみろ、ルナ。この装置を使えば、私の胸に革命が起きる。……そう、物理法則すらねじ伏せる『質量』が手に入るのだ!」


「はぁ……」


「重力に従って揺れる胸! 服の上からでも主張する圧倒的な存在感! 谷間に挟まる万年筆! それらが全て、科学の力で実現可能になるんだぞ!?」


 晶は熱弁を振るいながら、執務室の中をウロウロと歩き回る。


 その口元は、ニヤニヤと緩みっぱなしだ。


「くっくっく……。これこそが、私が求めていた『真理』だ。これまで数々のポーションや魔道具を試してきたが、どれも効果なかった。だが、細胞分裂を直接操作する古代技術ならば話は別だ!」


 晶は空中に数式を描くように指を動かす。


「『F=ma』。力とは質量と加速度の積だ。つまり、Fカップこそがパワーなのだ! この装置があれば、私は最強の物理エネルギーを手に入れ、この世界の頂点に立つことができる!」


(……マスター。とうとう過労で頭が沸きましたか?)


 背後から突き刺さるルナの冷ややかな視線を、晶は華麗に無視した。


(今度こそ、Fになる!)


 月面での肉体改造。


 あの時は、まさかのサブスクで3日天下のFカップだった。


 けっきょく、200年分の課金という屈辱的な手段で、ようやくBカップを手に入れたが、それはあくまで生体データの改竄(かいざん)過ぎない。


 だが、今回は違う。


 細胞そのものを活性化させる技術。つまり、課金切れのリスクがない、正真正銘の「天然モノ」への進化が可能になるのだ。


「自分の細胞が増えるんだぞ? 偽物じゃない、本物の脂肪だ! メンテナンスフリーの永久機関だ! これが興奮せずにいられるかっ!!」


 晶は叫び、通信ウィンドウに顔を近づけた。


「モーガン! その石板を金庫に入れろ! 傷一つつけるなよ! 今すぐ回収に向かう!」


『えっ? あ、ああ! わかったけど、姉ちゃん何しに来るんだ?』


「世界を救いに行くんだよ。私の世界……だがな!」


 晶は一方的に通信を切ると、白衣の裾を翻した。


「ルナ、総員招集だ! プロジェクト・ディープブルー、始動するぞ!」


「……はぁ。また始まりましたか」


 ルナは呆れたように肩をすくめつつも、主人の命令に従い、工場全体に招集サイレンを鳴り響かせた。

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