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第111話:黒き獣

 通路の突き当たりに鎮座する、見上げるほど巨大な封印扉。


 その前に立った晶は、脇にある古びたコンソールパネルにPDAを接続した。


「……開けるぞ」


 晶がキーを叩き、最終セキュリティを解除する。

 

 ズズズズ……ンッ。


 腹の底に響く地響きと共に、通路の突き当たりにある巨大な封印扉がスライドした。


 分厚い複合装甲のプレートが左右へ退くと同時に、猛烈な突風が吹き荒れる。


 それは単なる空気の流れではない。数万年の時を経て濃縮された、腐敗と死の臭気だ。


「うっ……!」


 晶は反射的に白衣の袖で口元を覆った。


 鼻をつくのは、有機物が腐ったような甘ったるい匂いと、金属が酸化した鋭い刺激臭が混ざり合った、生理的な嫌悪感を催す悪臭だった。


 一行は、その「中」へと足を踏み入れた。


 そこは、底が見えないほど巨大な円筒形の縦穴だった。


 直径は優に数百メートルはあるだろう。見上げれば遥か頭上まで、見下ろせば奈落の底まで、壁面には無数のパイプやキャットウォークが血管のように張り巡らされている。


 だが、そのすべてが異常だった。


 かつて白かったはずの構造物は、タールのような黒い粘液に覆われ、ドロドロに溶解し、原形を留めていない。


 そして、その穴の底から、這い出してくるモノがあった。


 『アァァァァ……オォォォォ……』


 空間そのものを震わせる、重低音の咆哮。


 それは、山のように巨大な「泥の塊」だった。


 不定形の黒い体躯は、常にドロドロと崩れ落ちては再生し、その表面には飲み込まれたであろう古代の重機や、鉄骨の残骸が浮き沈みしている。


 推定全長、50メートル以上。


 見上げるほどの質量を持った、絶望の具現化。

「な、なんて禍々しい……。あれが『黒き獣』……神話に語られる魔王なのか?」


 ボルスが震える声で呟く。


 歴戦の冒険者である彼でさえ、その圧倒的な質量と悪意を前にしては、本能的な恐怖で足がすくむ。


 剣も、銃も、魔法さえも通じない不死身の怪物。


 どうやって戦えばいいのか、誰もが絶望に飲み込まれそうになった。


 だが、たった一人。


 晶だけは、冷徹に言い放った。


「いいや。魔王なんて立派なもんじゃない」


 晶は瞳を鋭く光らせ、目の前の怪物を睨みつけた。


「あれは、管理を放棄され、エラーを吐き出しながら食って増えることしかできなくなった成れの果て……。タチの悪い『産業廃棄物(ゴミ)』だ」


 晶は懐からPDAを取り出し、データ転送用の太いケーブルを接続した。


「総員、聞け。あれを『生物』だと思うな。あれは『暴走したシステム』だ。倒す必要はない。止めさえすればいい」


 晶は、泥の巨体の中央、胸の位置にあたる部分を指差した。


 脈動する黒い泥の奥深くで、心臓のように不気味に赤く明滅している球体が見える。


「あそこだ。あれがオリジナルの制御ユニット――奴の『コア』だ」


 晶はPDAのコネクタを掲げて見せた。


「あの核には、メンテナンス用の物理ポートがあるはずだ。そこにこいつを直結して、さっき作った『停止プログラム(ワクチン)』を直接流し込む」


 無線通信は、泥が発する強力なジャミングで遮断されている。


 ヤツの端末たる泥人形には接触通信で効いたが、本体サーバーを落とすには、物理的な有線接続が必要不可欠だ。


「距離およそ50メートル。……あの泥の海を越えて、私が直接あそこまで行く」


 その言葉に、全員が息を呑んだ。


 正気の沙汰ではない。


 触れるだけで装備を腐食させ、あらゆる物質を飲み込む泥の海。それを生身の人間が突っ切るなど、自殺行為でしかない。


「ポチ、私と共に突っ込むぞ」


「任せるのだ! ボクは誰よりも速いのだ!」


 ポチが前に出る。


 その体から、眩いばかりの銀色の魔力が溢れ出し、閃光が周囲を包み込んだ。


 カッ!!


 光が収まると、そこに愛らしい少女の姿はなかった。


 現れたのは、全身が白銀の毛並みに覆われた、体長3メートルを超える「巨大な銀狼」だった。


 ポチの真の姿、神獣フェンリル推参!


 鋭い眼光と、鋼をも噛み砕く牙。その四肢には、大地を駆けるための爆発的な力がみなぎっている。


「乗るのだ、あきら! 振り落とされないよう、しっかりつかまるのだ!」


 ポチの念話には、力強い意志がこもっていた。


「ああ、頼むぞ」


 晶は銀狼の背に跨り、その太い首元にある毛をしっかりと掴んだ。


 まるで小山に乗っているような高さだ。


「いいか、チャンスは一回だ」


 晶は銀狼の背から、全員を見回した。


「ポチの移動は神速だ。お前たちでも追いつけない。だから……」


 晶は、眼前に広がる絶望的な泥の海を指差した。


「ここから全員の火力を集中して、泥の海に『一本の道』を穿て。……ポチという弾丸を、コアに叩き込むための滑走路を作るんだ」


 作戦はシンプルだ。だが、全員の体力は限界に近い。


 気力だけで立っている彼らを見て、晶は懐から小瓶を取り出し、全員に投げて渡す。


「総員、これを飲め。……ゆうべガンドが飲んだアレを魔改造した『ギガエナジー・FINAL』だ。副作用で後で動けなくなるかもしれんが、今だけは限界を越えて動ける筈だ」


 ガンドがニヤリと笑って小瓶を受け取り、栓を抜いた。


「へっ、望むところだ! あの時の『全能感』がまた味わえるなら、後で動けなくなっても構わねぇ!」


「毒を食らわば皿まで、ですね!」


 セシリアも覚悟を決めて飲み干す。


 全員が一気に煽る。


 晶は、フェンリル化したポチの巨大な口にも、一本分をしっかりと流し込んだ。


 ドクンッ!!


 心臓が早鐘を打ち、枯渇していたはずの魔力と体力が、暴走するほどの勢いで湧き上がってくる。


 全員の顔つきが変わった。


 自分たちがやるべきことは「戦う」ことではない。「届ける」ことだ。


 全員の瞳に怪しくも、しかし、力強い光が宿る。


「……それでアネキ。あたいらは、ポチが走る道をつくればいいんだな!?」


 リナがミスリルの剣を抜き、切っ先を怪物に向けた。その姿には決死の覚悟が宿る。


「了解です。アキラ様たちのために、風と炎でトンネルを掘ります!」


 セシリアとテオが杖を構え、膨大な魔力を充填し始める。


「詠唱中の護衛は俺に任せろ、背中を気にする必要はないぞ」


 影の中から、クロウが音もなく現れた。


 両手には逆手に持った短剣がキラリ。


「頼もしいのう! ならば露払いは任せるのじゃ! 邪魔な雑魚は吹き飛ばしてやるのじゃ!」


 タマが腕を回し、コキコキと音を鳴らす。


「へっ、在庫処分セールだ! 派手にいくぜ!」


「エルフの眼からは逃げられないよ」


 ボルスとガンドが大量の爆弾を抱え、エルウィンが愛用の剛弓を引き絞る。


 10人の意思が一つになった。


 『ギィィィィィッ!!』


 殺気を感じ取ったのか、産業廃棄物の王が咆哮を上げた。


 全身から無数の触手が槍のように伸び、さらにその体表から、どす黒い霧が噴き出した。


「霧だ! 気をつけろ、あれは『分解ガス』だ! 触れると分子レベルで装備が腐るぞ!」


 晶の警告。


 迫りくる死の霧。


 だが、誰も引かない。


「今だッ!! 道を開けろぉぉぉッ!!」


 晶の号令と共に、全員が動いた。


「風よ! 彼の者の道を清めたまえ! 『烈風の回廊(ストーム・コリドー)』!」


「燃えなさいっ! 『爆炎槍(イグニス・ジャベリン)』!」


 テオとセシリアの合成魔法が炸裂する。


 螺旋を描く暴風と、圧縮された炎の渦が絡み合い、前方に立ち込める分解ガスを強引にねじ伏せた。


 黒い霧が晴れ、一直線の「風のトンネル」が形成される。


 ズボボボッ!


 だが、魔法の痕跡を感知した泥が活性化し、地面から無数の泥人形が湧き出し、無防備なセシリアたちに襲いかかる。


「おっと、そいつは通さねぇよ!」


 クロウが疾風のごとく割り込んだ。


 踊るようなステップで泥人形の群れを翻弄し、そのコアらしき部分を正確に斬り刻んでいく。


 一撃離脱。決して足を止めない神速の護衛。


「食らいやがれぇぇッ!」


 ボルスとガンドが、ありったけの爆薬を左右の壁に向かって投げつける。


 だが、手投げ弾の信管では起爆のタイミングがバラバラになり、綺麗な壁は作れない。


「エルウィン!」


「心得たッ!」


 エルウィンが放った矢は、空中で分裂したかのような連射となった。


 ヒュンヒュンヒュンッ!


 放たれた矢は、投げられた爆薬の信管を、空中の「最適な位置」ですべて射抜いた。


 ドォォン! ズガァァァンッ!!


 神業的な空中起爆。


 連続する爆発の衝撃波が、押し寄せようとする泥の波を左右に押し留め、不可視の壁を作り出す。


 さらに!


「どくのじゃぁぁぁぁぁッ!」


 タマが、近くにあったコンテナほどの瓦礫をボーリングの球のように転がす。


 ブレスは吸収されるため使えないが、元・竜の怪力による物理攻撃は健在だ。


 豪快に転がる瓦礫が、進路上の泥人形を次々と圧殺し、道を平らにならしていく。


 霧が晴れ、壁ができ、地面が均された。


 泥の海が割れた。


 核へと続く、わずか数秒だけの、一直線の滑走路。


「行くぞっ!ポチッ!!」


 ゴーグルを装着した晶が叫び、ポチの首にしがみつく。


 銀狼が、大地を噛むように爪を食い込ませ――爆発させた。


 バッッ!!


 轟音。


 それは加速音ではない、衝撃波の音だ。


 周囲の景色が線になって後ろへ流れる。


 重力が晶の体を後ろへと引き剥がそうとするが、晶は歯を食いしばって耐えた。


 速い。


 音すら置き去りにする速度。


 それはもう、走りではなく「超低空飛行」に近かった。


 泥の触手が遅れて襲いかかるが、ポチの速度には遠く及ばない。


 鎌首をもたげた触手が空を切る音すら、遥か後方に聞こえる。


(まだだ……! まだ来るぞ!)


 晶はゴーグル越しに感じる風圧をものともせずに前方を凝視した。


 正面から新たな触手が、ポチの進路を塞ごうと壁を作る。


 ヒュンッ! ヒュンッ!


 後方からの支援射撃だ。


 エルウィンの矢が、触手の先端を正確に弾き飛ばし、ポチの鼻先1メートルのところで進路を抉じ開ける。


 核まであと20メートル。10メートル。


 一瞬で距離が詰まる。


 だが。


 ズゾゾゾッ!


 核の直前で、泥が巨大な防壁のように隆起した。


 さらに無数の棘が密集して突き出される。


 絶対防御態勢。


 いかにポチの神速といえど、この至近距離での出現は避けられない。


 回避すれば減速し、飲み込まれる。突っ込めば串刺しだ。


(あきらを送り届けるまで…)


 ポチは減速しない。


 むしろ、棘の壁に向かってさらに加速した。


 自らの肉体を砲弾として、壁をぶち抜くつもりだ。


「ボクは、ぜったいに……止まらないのだぁぁ!」


 玉砕覚悟の激突、そう思った瞬間。


 キィィィィィィィンッ!!


 耳をつんざくような高音が響いた。


 後方から飛来した「銀色の閃光」が、ポチの横を追い越していった。


 それは、リナが全身全霊で投擲した愛剣、ミスリルソードだった。


 リナの膂力と風魔法による後追いブーストが生み出した、音速を超える投擲。


 剣は、ポチよりも速くその壁に到達し――。


 ズガァァンッ!!


 核を守る棘の壁を、粉々に粉砕した。


 身代わりとなった名剣が砕け散る。


「ナイスなのだ、リナ!」


 こじ開けられた小さな隙間。


 ポチはトップスピードに乗って、その穴へと飛び込んだ。


「あきらーッ! 飛ぶのだー!」


 ポチが前足を踏ん張り、急ブレーキをかける。


 その強烈な慣性の法則を利用し、晶の体をカタパルトのように前方へ放り出した。


「うぉぉぉぉッ!」


 空中に射出された晶。


 スローモーションのように流れる時間の中で、世界が止まって見えた。


 砕け散った剣の破片。


 眼下で蠢く泥の海。


 そして、目の前には剥き出しになった赤く脈動する「核」。


 晶は空中で体勢を整え、PDAのコネクタを構えた。


 泥の触手が晶の足を掠める。


 白衣が溶ける。


「……くっ!」


 だが、届く。


「チェックメイトだ。……ガラクタめ!」


 晶はPDAのコネクタを、核のメンテナンスポートへと突き刺した。


 ガシュッ!!


 接続完了。


 PDAの画面に『Transfer Ready』の文字が躍る。


「転送ッ!!」


 晶の指が、エンターキーを叩いた。


 致死性の毒(停止プログラム)が、光の速さで怪物の心臓へと流し込まれた。


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