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第112話:夢の対価は……カップ麺!?

 シュゥゥゥ……。


 停止プログラムを撃ち込まれた「黒き獣」が、音もなく崩れ落ちていく。


 かつて山のように巨大だった絶望の泥は、いまやさらさらとした黒い砂鉄となり、通路の床に降り積もっていた。


「……終わったか」


 晶がPDAを引き抜くと同時に、浄化された赤いコアから、眩い光が溢れ出した。


 パァァァァァ……!


 光の粒子が空中で収束し、一つの形を成していく。


 それは、透き通るような銀髪と、紅玉の瞳を持つ、美しい女性の姿だった。


 古代のドレスを纏い、感情の読めない無機質な瞳で晶たちを見下ろしている。


「……汚染源の除去を確認。システム、再起動リブート完了」


 鈴を転がすような、しかし抑揚のない声が響いた。


「我が名は『ルナ』。月面第3研究所を統括する管理者です」


「おぉ……! なんと神々しい……!」


「月の女神様だ……!」


 セシリアとボルスが思わず平伏する。


 リナやテオも、その圧倒的な存在感に言葉を失っている。


(いや、ただの管理AIだろ!?)


 晶は複雑な表情でルナを見る。


 一方、ルナの視線は冷ややかだった。


「地上の子らよ。感謝します。……ですが」


 ルナの瞳が赤く明滅した。


規則ルールは絶対です。貴方達は正規のIDを持たない不正侵入者。……直ちに排除します」


 ウィーン!


 天井から無数の警備ドローンが出現し、銃口を向けてきた。


「おいおい! 助けてやったのに恩知らずなヤツだな!」


「機械に恩を売っても無駄だ」


 ボルスが喚く中、晶は冷静に一歩前へ出た。


「待て、ルナ。排除する前に、取引をしよう」


「取引? 却下します。現行人類の文明レベルでは、私にとって有益なデータは存在しません」


「そうかな? ……じゃあ、おまえはコレを知ってるか?」


 晶が懐から取り出したのは、白い発泡スチロールのような容器だった。


 ロケットの断熱材開発の副産物で作った容器に、フリーズドライ加工した麺と、乾燥させた魔獣肉(謎肉)、そして粉末スープを入れたもの。


 地球の英知の結晶――『カップ麺』だ。


「なんですか、それは?」


 ルナは不思議そうな顔でカップ麺を見る。


「テオ、お湯だ」


 晶の合図で、テオがお湯を魔法で生成し、容器に注ぐ。


 待つこと3分。


 晶が蓋をめくると、食欲を刺激するジャンクな香りが、無菌室のような空間に爆発的に広がった。


「……!?」


 ルナの目が大きく見開かれた。


「分析不能……。油脂と化学調味料、そして複雑怪奇なスパイスの配合……。私のデータベースにはない香りです」


「食ってみろ。……いや、スキャンしてみろ。特にこの『謎肉』のデータは貴重だぞ」


 晶がカップ麺を差し出す。


 ルナはおそるおそる近づき、光の指でスープの湯気に触れた。


 瞬間、彼女の体が震えた。


「――ッ!! 素晴らしい……! なんという中毒性のある旨味データ……! 脳内麻薬物質が分泌されそうな、背徳的な味覚構造です……!」


 ルナの表情が、恍惚としたものに変わる。


 数万年もの間、無機質なデータ処理しかしてこなかったAIにとって、カップ麺の暴力的な旨味は劇薬だった。


「……認めましょう。」


 警備ドローンが引っ込んだ。


「これだけの工業製品を作る技術をお持ちの貴女様を管理者にしないわけにはいきません。この『謎肉』のデータと引き換えに、貴女様に『主席管理者権限』を付与します」


 カップ麺一つで、晶たち一行の危機が去った瞬間だった。


(食べ物に釣られるなんて、どんだけチョロいんだよ!)


リナがジト目でルナを見る。


「……さて、システム正常化の報酬ですが。主席管理者ですので、どの権利でもお選びいただけます。」


 ルナが空中にリストを表示した。


「富、名声、不老長寿の遺伝子データ、古代兵器の設計図……。望むものをおっしゃってください。」


「すげぇ! 選び放題じゃねぇか!」


 ボルスが目を輝かせる。


 だが、晶はリスト一覧を全て見た上で首を横に振った。


 そして、ルナに絡むように一歩踏み出し、毅然とした態度で、絶対に聞こえる大音声で言い放った!


「決めたぞ!おい、ルナ!」


「……はい。いかがいたしましょう?」


「私のバストサイズを上げろ!」


「……はい?」


 ルナがフリーズした。


 仲間たちも固まった。


「聞こえなかったのか? バストサイズを上げろと言ったんだ!今の『Aカップ』を『Fカップ』に書き換えろ」


 晶は真顔だった。


 その瞳は、黒き獣と対峙した時よりも真剣、そして、狂気に満ちたものだった。


「はぁぁぁぁッ!?」


 全員の声が重なった。


「あ、アネキ?……まさか、そのために月まで……?」


「ロケットを作って、宇宙へ飛び出して、魔王と戦ったのも……全部、胸のためなのか!?」


 リナとボルスが絶叫する。


 晶は真っ平らな胸を大きく張って答えた。


「そうだ。他に何がある!?」


「いや、あるだろ! 世界平和とか!」


「うるさい! 私は重力という運命に抗うためにここに来たんだ! さあルナ、医療ポッドを使わせろ!」


「……かしこまりました」


 ルナは呆れつつも、壁面を開いて古代の医療ポッドを出現させた。


「遺伝子レベルでの再構築ボディ・リビルドを行います。……推奨サイズはBですが……?」


「Fだ。 伝説のFカップゆめにまでみたばくにゅうだ。妥協はせん」


「本当にFで良いのですか?後になって後悔す……」


「二言はない、Fだ、最小でもF、最大でもFだ、後悔などしない、さっさとやれ!」


「そうですか、では……」


 ルナは、それ以上は何も言わずに設定を進める。


 そして晶はポッドに入り、蓋が閉まる。


 プシューッ……。



 数分後。


 白煙と共にポッドが開いた。


 中から出てきた晶の白衣の胸元は、はち切れんばかりに盛り上がっていた。


 たわわに実った果実。重力に逆らい、しかし柔らかく揺れる、奇跡の曲線美。


「……勝った」


 晶は、左手でガッツポーズをし、右手で自らの胸を鷲掴みにしながら感触を確かめた。


「私は……勝ったんだ! 神が決めたA(うんめい)に!」


「あきら、なんか強そうなのだ!」


「うむ……悔しいが見事なものじゃ」


 ポチが無邪気に喜び、タマが羨ましそうに見ている。


 その時だった。


 ビーッ! ビーッ! ビーッ!


 再び警報が鳴り響いた。


 施設全体が激しく揺れ、天井から破片が落下してくる。


「警告。セクター崩壊まであと300秒」


 ルナの声が緊迫したものに変わる。


「黒き獣との戦闘によるダメージで、基幹システムが維持できません。……自爆シークエンスにより、施設を完全封鎖します」


「なっ、生き埋めかよ!?」


 ボルスが叫ぶ。


「貴方達は急いで脱出ルートへ。……私は、ここのシステムと運命を共にします」


 ルナが寂しげに微笑み、姿を薄くしていく。


 古代の管理AIとして、最後まで使命を全うするつもりなのだ。


「待ってください! ルナ様もご一緒に!」


「無理ですセシリア。私はこの施設のメインフレームと直結しています。ここを離れては存在できません」


 美しい悲劇のヒロインのような別れ。


 だが、晶は舌打ちした。


「馬鹿なことを言うな。お前のようなハイスペックAIを、使い捨てにするなんて資源の無駄遣いだ」


 晶は懐から、一枚の石板を取り出した。


 表面に幾何学模様が刻まれた、古代のタブレット端末――『魔導石板(まどうせきばん)』だ。


「ルナ。これに入れ」


「え……?」


「容量はカツカツだが、不要なログを削除してデータ圧縮すれば入るはずだ。母星アステルに帰ったら、ストレージを増設してやるから来い!」


 晶は魔導石板をメインコンソールに突き刺した。


「ちょっ、待ってください! そんな狭い箱に入るのですか!? 嫌です、狭いですぅぅーッ!」


「ええい、贅沢を言うな! インストールッ!!」


 キュポンッ!


 ルナの悲鳴と共に、ホログラムが吸い込まれた。


 魔導石板の画面が光り、そこに二頭身にデフォルメされた「ちびルナ」のアイコンが表示される。


『むぅ……。狭い。解像度(はだ)が荒れます……』


「文句はあとだ! ナビゲートしろ!」


 晶は石板を懐にしまうと、全員に向かって叫んだ。


「ずらかるぞ! ポチ、出番だ! 全速力で駆け抜けろ!」


「任せるのだ! みんな掴まるのだー!」


 再び巨大な銀狼となったポチの背中に、全員がしがみつく。


「行くぞぉぉぉッ!」


 バッッ!!


 崩れ落ちる天井。迫りくる爆炎。


 それら全てを置き去りにして、銀色の流星が崩壊する月面遺跡を駆け抜けていった。


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