第106話:生存率0%!処刑室に迫る死
晶の叫び声が、狭い密室に響いた。
だが、その声はどこか遠く、くぐもって聞こえた。
シュゴォォォォォ……!
天井の排気口が唸りを上げ、部屋の中の空気を根こそぎ吸い出していく。
気圧が急激に低下する。
鼓膜が内側から押し出されるような激痛が走り、ボルスが耳を押さえてうずくまった。
「ぐあああっ!? み、耳が……!」
「苦し……息が……!」
セシリアが喉を掻きむしる。
吸っても吸っても、酸素が入ってこない。肺の中の空気が無理やり外へと引きずり出される感覚。
窒息だ。
「風よ! 我らに息吹を! 『風の加護』!」
テオが必死に杖を振り、空気を作り出そうとする。
だが、杖の先から生まれた風は、一瞬で拡散し、排気口へと吸い込まれて消えた。
「だ、駄目です! 風が……留まりません……!」
その絶望をあざ笑うかのように、壁面に設置された大型液晶パネルが、ブゥン……と低い唸りを上げて起動した。
部屋全体が、不吉な赤色の警告灯に染まる。
パネルに映し出されたのは、無機質かつ無慈悲な、死への宣告だった。
『警告:汚染物質検知。急速排気ヲ実行シマス』
『完全真空マデ――00:58』
57、56、55……。
赤いデジタル数字が、心臓の鼓動よりも速いペースで減っていく。
それは、彼らの命の残り時間そのものだった。
(……チッ、ご丁寧に残り時間表示かよ!)
晶は痛む耳をこらえながらPDAを見た。
気圧計の数値もまた、壁のカウントダウンに合わせるように、恐ろしい速度でゼロに向かっている。
――音が、消えていく。
仲間のうめき声が、次第に遠くなっていく。
空気が薄くなり、音波を伝える媒質がなくなっているのだ。
代わりに襲ってくるのは、急激な「冷気」。
断熱膨張により、室温が一気に氷点下へと落ち込んでいく。
『00:45』
壁の液晶が点滅し、死へのカウントが進む。
(……まずい。あと30秒で意識が飛ぶ。1分で血液が沸騰して死ぬ)
これは毒ガスなどという生易しいものではない。
生物にとって最も過酷な環境――「宇宙空間」を人工的に作り出す処刑装置だ。
晶は薄れゆく意識の中で、必死に思考を巡らせた。
扉はロックされている。解除コードをハッキングしている時間はない。
魔法障壁で部屋を覆っても、中の空気が尽きれば終わりだ。
ならば、どうする。
システムを止めるしかない。
この部屋を動かしている心臓部――動力ケーブルを断つ!
(……あそこだ!)
晶の目が、壁の一点を捉えた。
入り口の脇にある、メンテナンス用のパネル。あの中に、排気システムの主電源があるはずだ。
晶はリナの方を向いた。
声はもう届かない。
だが、視線だけで意志を伝える。
――切れ!
リナが、その意図を汲み取った。
彼女は酸欠でふらつく足を踏ん張り、ミスリルの剣を抜いた。
音のない世界で、銀閃が走る。
ザンッ!
真空ゆえに風切り音すらない。
だが、その一撃は分厚い装甲パネルを紙のように切り裂き、内部を露出させた。
そこには、赤と青の太い動力ケーブルが束ねられ、不気味に脈動していた。
『00:20』
液晶の数字が赤く激しく明滅し、警告を強める。もう時間がない。
晶は震える手でケーブルを指差し、次にテオを見た。
口を大きく動かす。
『雷を、流せ!』
テオが目を見開く。
酸欠で視界が霞んでいるはずだ。だが、彼は最後の力を振り絞り、杖をケーブルに向けた。
声は出ない。
詠唱はできない。
だが、魔力は真空でも伝わる。
(……いっけぇぇぇぇッ!!)
テオの魂の叫びと共に、杖先から紫電が迸った。
バチィィィィッ!!
最大出力の雷撃魔法が、剥き出しの動力ケーブルに直撃する。
本来なら絶縁されているはずの回路に、規格外の高電圧が流れ込む。
バシュゥゥゥン!!
壁の奥で何かが破裂し、火花が散った。
過電流。
システムの中枢が焼き切れ、強制停止する。
その瞬間。
プツン。
壁のカウントダウンが『00:12』でブラックアウトし、消滅した。
『警告、システムダウン。安全装置作動。緊急給気を開始します』
天井の排気音が止まった。
代わりに、足元の給気バルブが全開になった。
ドォォォォォォッ!!
猛烈な突風が部屋に吹き荒れた。
圧縮された空気が、爆発のような勢いで逆流してくる。
「っ……!?」
鼓膜を叩く衝撃波。
そして、戻ってきたのは「音」と「酸素」だった。
「はぁっ、はぁっ……!」
「ごふっ……げほっ、げほっ!」
全員が床に倒れ込み、貪るように空気を吸い込んだ。
肺が焼けるように痛い。だが、それは生きている証だ。
「し、死ぬかと思ったのだ……! 息ができなかったのだ……!」
ポチが涙目で喉を押さえて転げ回る。
タマも青い顔をしてゼーゼーと荒い息を吐いている。
「耳が……キーンとしやがる。……地獄の入り口が見えたぜ」
「あたいもだ……。まさか、空気がないってのがあんなに怖いとはな……」
ボルスとリナが、冷や汗まみれで起き上がる。
剣や魔法で戦う彼らにとって、「何もできないまま死ぬ」という恐怖は、どんな強敵よりも恐ろしかったはずだ。
「……ふぅ。全員、無事か?」
晶はPDAの気圧計が正常値に戻ったことを確認しつつメンバーに声をかけた。
「な、なんだったのですか今のは……! 致死性の毒ガス室ですか!?」
セシリアが涙目で抗議する。
晶は首を横に振った。
「いや、ここは『除染室』の前室だ」
「くりーんるーむ……?」
「工場の奥へ、外部からの菌や塵を持ち込まないよう、空気を入れ替えて洗浄する場所なんだが……」
晶は焼け焦げたパネルを一瞥した。
「センサーが誤作動したか、あるいは我々を『異物』と認識して、全力で排除しようとしたのかもな」
「ゴミ扱いですか……! あんまりですぅ!」
「まあ、生きてるからいいだろう」
晶は配線をショートさせた壁を背にして、奥の扉に向き直った。
電源が落ち、安全装置が働いたことで、ロックが解除されているはずだ。
プシューッ……。
重厚な扉が、ゆっくりと左右にスライドした。
「行くぞ。……この奥が、工場の最深部だ」
一行はふらつく足取りで、扉の向こうへと進んだ。
そこは、先ほどの狭い部屋とは対照的な、広大な空間だった。
天井の高さは30メートル以上。
体育館をいくつも繋げたような、巨大な「資材搬入ドック」だ。
壁一面にコンテナが積み上げられ、床には黄色いラインが引かれている。
「ひ、広い……。ここが中枢ですか?」
「いや、まだ奥があるはずだ。……だが」
晶は足を止めた。
広大なドックの中央。
スポットライトのような照明の下に、巨大な影が鎮座していた。
「……なんだ、ありゃあ?」
ガンドが目を細める。
それは、高さ5メートルほどの、人型の鉄塊だった。
太いアーム、キャタピラの足、そして胸部には操縦席のようなガラス窓。
建設機械と鎧を混ぜ合わせたような、武骨な巨神。
「……古代のゴーレムか?」
「いや、違う」
晶が警戒色を強めた。
その巨体の頭部にあるカメラアイが、ギロリとこちらを向き、赤く点灯したからだ。
『ブオォォォン……』
腹の底に響くような重低音と共に、巨神が立ち上がる。
錆びついた関節が悲鳴を上げ、積もっていた埃が雪崩のように舞い落ちる。
「ありゃあ『重機』だ。……しかも、とびきりデカい軍事用のがお出ましだぞ」
晶の言葉が終わるより早く、巨大な鉄のアームが唸りを上げた。
酸素欠乏の危機を抜けた彼らを待っていたのは、圧倒的な質量による暴力だった。




