第104話:黒光りおじさんと地獄の配管
居住区画のゲートを抜けた先は、これまでとは全く異なる世界だった。
白く清潔な壁は消え失せ、剥き出しの鉄骨と、血管のように這い回る無数のパイプが視界を埋め尽くしている。
天井の赤色灯が明滅し、どこからかシューッ、ガン、ガン……という蒸気の噴出音と、重機が稼働する低いノイズが響いてくる。
「……空気が悪いな」
晶は眉をひそめた。
油と鉄錆、そして微量なオゾンの匂い。
いかにも「工場」といった、荒々しい気配が漂っている。
「ポチ、大丈夫か?」
晶が声をかける。
先頭を歩くポチは、力強く振り返った。
「平気なのだ! ボクはリーダーなのだ! みんなを案内するのだ!」
タロウとの約束がある。
タロウがいるこの遺跡を守るためにも、自分がしっかりしなければならないと、小さな胸を張っているのだ。
「頼もしいな。よし、進むぞ」
一行はメイン通路を進んだ。
だが、数百メートルほど進んだところで、足が止まった。
「……行き止まりか」
通路が、完全に塞がっていた。
天井が崩落し、巨大な瓦礫とひしゃげた鉄骨が道を埋め尽くしている。
数万年の経年劣化か、あるいは過去に何らかの爆発事故があったのか。
「ガンド、撤去できそうか?」
「無理だなぁ。ドワーフの採掘技術を使っても、この量を退かすにゃあ数日はかかるぜ」
ガンドが瓦礫を叩いて首を振る。
そんな時間はかけられない。
「迂回路を探すしかないか。……ポチ、鼻は効くか?」
「任せるのだ! 風の匂いを探すのだ!」
ポチが鼻をヒクつかせ、周囲を嗅ぎ回る。
そして、崩落した壁の足元にある、一枚の金網の前で止まった。
「こっちなのだ! この奥から、向こう側の風が吹いてくるのだ!」
ポチが指差したのは、壁に設置された「通気口」、メンテナンスダクトだった。
金網を外すと、直径1メートルほどの穴が、暗闇の奥へと続いている。
「……ここを通れと?」
晶が嫌そうな顔をする。
人間一人が這って進むのがやっとの狭さだ。
中は埃まみれだろうし、何より狭くて暗い場所は精神衛生上よろしくない。
「迂回路はここしかなさそうです……。地図データとも一致します」
セシリアがPDAを覗き込む。
背に腹は代えられないか。
晶は覚悟を決めたが、ここで物理的な問題が発生した。
「おいおい、待てよ」
巨体のボルスが、自分のお腹とダクトを見比べて冷や汗を流している。
「俺とガンドは無理じゃねぇか? 肩幅とお腹が突っかえるぞ」
「む……。確かに、ドワーフの肩幅ではギリギリじゃな」
筋肉質のボルスと、骨太なガンド。
この二人が詰まれば、全員が生き埋めになる。
「……仕方ない」
晶は近くにあったドラム缶の蓋を開けた。
中には、まだ粘度を保っている琥珀色の液体が入っていた。
工業用潤滑油だ。
「やむを得ん、これを使わせてもらおう!」
「へ? 何に使うんだ?」
「塗れ。……全身にな」
晶の無慈悲な命令が下った。
……ボルスとガンド、ドン引きである。
◇
「うわぁ……。最悪だ……」
数分後。
そこには、全身ヌルヌルの油まみれになったボルスとガンドの姿があった。
テカテカと黒光りするおっさん二人の姿は、視覚的暴力に近い。
もはやセクハラ、歩く『いやがらせ』である。
「なんであたいが、ヌルヌルのおっさんの尻を眺めながら進まなきゃなんねーんだ!」
最後尾のリナが悲鳴を上げている。
隊列はこうだ。
先頭:ポチ&タマ(狭い所が得意な偵察班)
中央:晶、セシリア、クロウ、テオ、エルウィン(標準体型)
後方:ボルス、ガンド(詰まり要因)
殿:リナ(押し込み係&後方警戒)
「行くぞ。……絶対に詰まるなよ」
晶を先頭に、一行は暗黒のダクトへと身を投じた。
ズリッ……ズリッ……。
中は最悪だった。
数万年分の埃と、鉄錆の匂い。
膝と肘をついて這い進むたびに、服が汚れていく。
(き、汚い…)
晶のSAN値がガリガリと削られていく。
極度の潔癖症ではないが、不衛生な環境は嫌いだ。
さらに。
(暗いよ……狭いよ……怖いよ……)
それに、閉所特有の圧迫感が、じわじわと首を絞めてくる。
(こんなもん、面◯財閥の跡取りじゃなくてもイヤに決まってるだろうが!)
「はぁ、はぁ……。酸素濃度は……正常か……?」
息が荒くなる。
前後を人間に挟まれ、逃げ場のないチューブの中。
もしここで地震が起きたら? もし前から何か来たら?
悪い想像が頭をよぎる。
「アキラ、大丈夫なのだ? もうすぐ出口なのだ」
先頭を行くポチの声が、唯一の救いだった。
ポチとタマにとって、ここは楽しいアスレチックらしい。
「秘密基地みたいなのだ! 探検なのだ!」
「ほっほっほ、こんなもんスイスイじゃ」
二人は暗闇の中でも夜目が効くため、迷うことなく進んでいく。
一方、後方では地獄絵図が展開されていた。
「ぐっ……! く、苦しい……! 腹が……!」
「ボルス! 止まるな! 詰まるぞ!」
「だ、駄目だ……! 肩が引っかかっ……」
ギュウゥッ。
恐れていた事態が発生した。
狭くなっている継ぎ目で、ボルスの筋肉質の体がコルク栓のようにハマってしまったのだ。
「止まった!? おい、動けよデカブツ!」
「無理だリナ! 抜けない! 前にも後ろにも行けねぇ!」
「ふざけんな! あたいをここで道連れにする気か!」
リナがキレた。
彼女は仰向けになると、両足でボルスの巨大なお尻を捉えた。
「どけぇぇぇッ!! ケツキック!!」
ドゴォォォォンッ!!
ミスリルの具足によるフルパワーの蹴りが炸裂した。
油の潤滑効果も相まって、ボルスはロケットのように射出された。
「あべしっ!?」
スポォォォーン!!
ボルスが抜け、それに押されてガンドも転がり、玉突き事故のように前列へ衝撃が伝播する。
「きゃあっ!?」
「うわっ!」
前方の晶たちも、玉突きになってダクトを滑っていった。
「出口なのだ! みんな、飛ぶのだー!」
ポチが叫び、出口の金網を蹴破った。
ガシャーン!
次々とダクトから吐き出されるメンバーたち。
ヌルヌルのボルスに押し出され、全員が床へと折り重なって落下した。
「いってぇ……」
「死ぬかと思った……」
晶は埃まみれの白衣を払いながら、ヨロヨロと立ち上がった。
最悪の移動手段だったが、なんとか崩落箇所を抜けることには成功したようだ。
「……着いたか」
顔を上げると、そこは巨大な吹き抜け空間だった。
空調の効いた静かな居住区とは違う。
頭上では無数のベルトコンベアが交差し、巨大なアームが火花を散らしながら動いている。
熱気と騒音。
ここは、何かを製造し続ける「自動生産ライン」だ。
「ここが工場の心臓部か……。一体何を作っているんじゃ?」
タマが見上げた、その時だった。
ジュッ!
鋭い音がして、晶の額に「赤い光点」が当たった。
「……?」
晶が眉をひそめる。
次の瞬間、無機質な機械音声が工場全体に響き渡った。
『侵入者検知。防衛システム、起動』
『排除モードへ移行します』
工場のあちこちで、赤いランプが一斉に点灯し始めた。
「……やれやれ。歓迎会の始まりか」
晶は覚悟を決めて白衣を翻した。




