48...使う人間と使われる人間。
洗濯物が乱雑に散らばっている。足首に触れるそれは日光を浴びてふんわりと厚みを帯びていた。
……全く想定していなかった事実の開示に思考が寄り道をする。違う。目の前の人間、ジュソーが元魔族についてだ。元魔族ということは。
「えぁ……あ〜……あっ! もしかしてジュソーが人間から魔族になって魔王を攻撃して、また人間に戻ったの?」
「違うよ。ジュソーは生粋の魔族生まれ魔族育ち、現人間だよ」
まだ現実を処理し切れていないジュソーの代わりにヨギリが紡ぐ。
「あぁ、そう……」
オレは再び閉口した。沈黙が続く。
ジュソーはじっとオレを見つめていた。
「……てめーも逃げたのか?」
「え?」
きょとんと漏れた一音。その意味を聞くべく声を発そうとするが、肝心な所でヨギリがイタズラのように笑って間に入ってくる。
「そろそろボクたち行かなくちゃ。用事があるからね」
「え。もう少しだけ、ダメ?」
「予め連絡を入れて来ない礼儀知らずな魔族が、他より優先されることはないよ。次はしっかり相談して日程決めてから来ようね」
「ぐう……」
何も言い返せない……。いつも行き当たりばったりで何とかなっていたから、ここに来て人間世界の常識を思い知る。
肩を落として眉を下げて背中を向けて、じゃあ帰りますよという体を装うと「待って待って」と追い出す本人が引き留める。
顔のみ振り返ると、こちらの方へ視線を寄越しているヨギリが口元に笑みを湛えていた。
「魔族を黙って帰したりしないよ。ボクは優しくないからね」
「別に……今のところ何かするつもりはないけど」
「魔族の口約束を信じるとでも?」
「じゃあもう署名でもするよ」
「魔族の名に懸けて誓われたって、それを信じるのは愚か者だけだよ」
「他に……何を懸ければいいわけ?」
「命しかないね」
冷ややかな言葉。心臓に刃を突き付けられた気分だ。
とはいえ突き放されて被害者意識を持つのも烏滸がましい。ヨギリは、勇者である双子の兄弟を見せしめとばかりに魔族に殺されているらしいし。魔族が人間を殺すことを知っている。そりゃあ簡単に心を許すはずもないか。傍にジュソーは置いているみたいだけど。
話の展開からして今ここで即オレの命を奪うとは思えない。じゃあどうされちゃうのか。狼狽えた唇が答えを急かす。
「……どうやって命を懸けるの? 爆発物と生活させる、とか?」
「そうだね」
こわぁ。やだぁ。オレはあからさまに嫌そうな顔をする。ヨギリは飄々と杖を握り締めた。
「脱いで」
「え」
「早く」
「えぇ……いいけど……他人に裸を見せたりするのは、人間ダメなんでしょ……? 命懸ける前に捕まるんじゃ……」
「ジュソーに身体を隠す布、持たせてるよ。上だけでいいから。他の衣類は汚さないように気を付けてね」
「なに。なんなの? いったい何が始まるの?」
動揺するオレを尻目に、ジュソーは白い敷布を手渡してくれた。あーあ。みたいな視線と一緒に。今はその視線が悪い予感を巡らせていく。
「脱げばいいの?」
会話の主導権はオレに無いから言われるがままだ。裸に羞恥心を覚える性質でもないので、普通に脱ぐ。下着はそのままでいいんだろうか。一応脱いどくか。上の着衣をぽいぽいと地面に放る。
因みに、同じく自他の裸に何も思わない元魔族ジュソーはオレから目を逸らさずにいた。ヨギリに「他人が着替える時はどうする?」と問われて漸く両手で顔を隠している。
元魔族相手でもその辺の礼節は大事にしてくれるらしい。逆に魔族の方に恥じらいが足りていない現状。だって服とかの概念ないし。
「分かんないけど、脱いだよ」
太陽をいっぱいに浴びた敷布は大きく柔らかだ。肩からすっぽり覆われるのに丁度いい。
「ジュソー。引き出しに入ってる鉱石取ってきて」
「あいよ。これだな」
ジュソーは引き出しを開けて簡素な容器を取り出し、さらにその中から小指の爪よりも小さな鉱石を摘み上げた。窓から注ぐ陽光で鉱石が瞬く。
「少しチクッとするけど我慢してね」
「少しでしょ、少しね? 少しだよね? ねえ、返事は?」
例えヨギリから不穏にも反応がなくとも、オレはそのチクッという言葉を信じる他ない。
「じゃあ行くよ。動かないでね」
杖を掲げたヨギリが開始を告げて早々に、オレの身体中に違和感が走る。空気が皮膚の上を這っていく感覚。薄らとした膜に包まれるみたいな……これは、ヨギリの聖なる力? それが身体の上を巡っていき、胸の上の辺りに集約した。
「なに、」
するの? という疑問は突然の強い痛みに掻き消える。濁った、あ、という声が絞り出された。
「うぐぁっ、痛い痛い痛い〜!」
オレは刺されたかの如く痛む箇所を両手で押さえながら蹲った。痛い。痛すぎる。穴、空いてない!?
痛覚が刺激された箇所からドパッと溢れる血は、纏った白を赤く染め上げていく。苦痛に顔を歪めつつオレはヨギリを見た。相変わらずどこを見ているのか分からない双眸をしている。
「な、な、なにしてっ」
じくじくと傷が痛みに疼いた。目尻に生理的な涙が生じてくる。
「最後に全部治してあげるから」
ヨギリは淡々とした声音のまま。動いたのは傍らで待機していたジュソー。オレの目の前にしゃがみ込むと、血に濡れる布を人差し指に引っ掛けて少しだけずり下ろし、露わになった傷口に無遠慮な指を突っ込んできた。
もう、はぁ? である。
「い、ぎぃ〜……っ!」
当然すごく痛い辛い苦しい。唇を噛み締めて痛苦をやり過ごす。時折ぜえはあと重たい呼吸を繰り返し、潤んだ瞳で二人を見た。
「治癒する時に異物を取り除こうとしちゃうから、ぎりぎりまで入れてて」
「おー。分かった」
そんな短い会話でさえ目を回しそうになる。ヨギリが杖を軽く振ると、傷口が不意に熱を帯びていき一際激痛に苛まれた。
「ぐっ……いだぁい……っ!」
意味がないと分かっていながら、無意味に頭を左右に振って痛みを逃そうと試みるばかり。しかしこの感覚は知っている、きっと治癒が施されているんだ。堪えろ堪えろと両手を握り締めた。
「そろそろ指抜くな」
塞がり始めた裂傷からジュソーが指を退ける。痛い。もっと優しくやってよ。けれど治癒のおかげか出血は止まり、ズキズキとした鈍痛くらいに移ろっていく。それもやがては終わりに繋がって、凪と変わった痛覚を起点に規則正しい呼吸を思い出した。
思考を正常化させるために、はぁ、と一度深い吐息を零してみる。
「……まさか、痛め付ける目的じゃないでしょ? 何したの」
オレは傷があった場所を指でなぞる。
「小さい鉱石を入れただけだよ」
「だけ……? とてもだけって言い切れる行為だと思えない……」
「人間を殺そうとしたら、その鉱石から心臓に向かって力を放つから気を付けてね。みんなは身の回りにしか聖なる力を注げないと思うけど、ボクは結構遠くまで聖なる力を伸ばせるから」
「死にたくなかったら大人しくしてろって?」
「人間を殺さないでってだけだよ。魔族さん。人間は脆いから、強い人間が守ってあげないとね。これが人間の生き延び方」
ヨギリはとんと杖先を地面に下ろす。
完全な監視ではない。魔族を相手に人間のお守りのようなものだ。けれど場所が常に特定出来るのだとしたら、偉い方々に近付くことは容易に出来ないだろう。城に近付いたら、こいつ何してるんだってなるしね。
これが楽園で一番強い人間、ヨギリ。
オレは布の汚れていない部分で血を拭いながら、緩慢に口を開く。
「……強い人間はたいへんだ。強いのに、弱い人間のために命を張ってばっか」
「強い弱い、賢い賢くない、出来る出来ない。そんなことに不公平を見ていたって自分の人生が豊かになるわけじゃないよ。出来ることをするだけだね。ボクも、勇者も、他の人類も。世界はそんな分け方をしていないから」
「どんな分け方をしてるの?」
「使う人間と使われる人間」




