40... 気付かないと無いの間には大きな差異があるだろ。
耳を傾けていたオレは、過去を想起して口を開く。
「オレも昔、うっかりいじめられたことあるから……その迫害されてた奴の気持ちは実際分かんないけど、でも、やり方はどうであれ自由を守ってくれた相手に感謝しちゃうよね」
「へー……君みたいに、人見知り? しませんけど? 誰にも怖気付きませんけど? みたいなひとでもいじめられるんだ……」
「オレのことなんだと思ってるの?」
「だから……人見知り? しませんけど? 誰にも」
「うん分かった分かった分かった。オレの……家族? が人を殺しちゃって、そのせいでさぁ。オレが悪いことをしてなくったって、そんなのは辛い目にあった人たちには関係がないんだよ。辛さや苦しさを紛らわすのに必死なんだから」
カンライがオレをそんな目で見ているんだという発見は置いておいて。
魔族時代の過去が脳裏を流れていく。あれは確か、自分がこの世界に生まれてまだ間も無い頃だったはず。家族、というのはもちろん他の魔族のことだ。実際には家族なんて存在しないから。
少し話の要素が重たくなって、カンライは真剣に口を開いた。
「それは……いじめた人たち、恨んでるよね……?」
「別に。だって身動きが一切取れなかったりするだけで、痛みとかは無かったし。ただ、窮屈だったなあってだけ」
探り足と裏腹に舌の先は滑らかで。途中段差が大きくなってきたから、先に上ったヨカが手を差し出してきてくれた。
「それでも、心は傷付いたんじゃないか? 気付いていないだけで、見ないふりをしているだけで」
オレがその手を握ると、段差の先へと引っ張り上げられる。
「気付かないっていうのは、無いのと一緒じゃない?」
オレは次を歩くカンライに手を差し出して、同様に上へと引っ張った。ヨカが全員上るのを見守っている。
「気付かないと無いの間には大きな差異があるだろ。傷があるなら、貴様の行動は無意識の内にその傷を庇っている可能性だってある。つまり、負った傷が人生に干渉しているかもしれない」
険しい野道に息も上がる。人間の身体にはまだまだ慣れてないし。ヨカやジュソーは平気そうだけれど、カンライも疲労の色が見え始めていた。
オレは乱れつつある呼吸の合間に小さく反復する。
「傷付いてる……」
「もしかしたら、の話だ。……しかし傷付けられるような経験があったなら、放っておかずに正しく専門家に相談援助してもらえ」
「まさかそれをヨカに言われるなんて……。自分の傷は放っておくくせに……」
「余計な一言の多い奴め。俺は自分一人だと気付けない、ということに気付かされたからな」
ヨカはフンと居丈高に鼻を鳴らしている。
ジュソーは前を向いたまま話題に触れた。
「おれの迫害されてた知り合いも、怒らねーし悲しまねーんだよなぁ」
「……それ、何となく分かるかも……。自分が傷付いたってことを認識すると、さらに深く傷付くんだよね……。だから他人事のように、俯瞰した視点で考えちゃう……」
カンライが自嘲気味に声を落として、俯瞰とは反対に空を仰いだ。現今、薄暗い森を進んでいる。当然、陽の光が無ければ真っ暗闇に覆われるだろう。完全な日没を迎える前に夜を過ごす準備をしなくてはならない。オレ含め他三人もその意図を汲んで、少し開けた場所に荷物を置いた。
さて、火を起こす段取りを整えなくては。不幸中の幸いか、木の枝は近場にでもたくさん落ちている。
ジュソーは先に大きめの石を並べながら、目線を森の奥へと送っていた。
「思ったより土地への被害がでけーな。だいぶ魔族側の土地に来ちまった」
「ああ。国はこの辺りから開発を進めたかったようだが、これを整備するのは時間が掛かるだろうな」
ヨカも言葉につられて周囲を見渡している。景色は変わらず悲惨なものだ。一朝一夕で元の状態には到底戻せない規模。
火を起こしたなら、オレたちはそれを囲むように腰を下ろした。間も無く一帯が暗闇に染まり、四人の顔が篝火の赤に照らされる。揺らめく炎がぱちりと小さく爆ぜていた。せめて疲労を労うべく、携帯食料を口にすると今度は微睡みが目蓋に重く襲い掛かるから、順番に仮眠を取ることにした。
オレは先に寝るべく薄い布を身体に纏って、固い地面に横になる。寝台の有り難み……。絶対寝れないでしょと考えていても、それでも睡魔は思考を停止させた。
「んん……。まだ夜?」
不意にぱちりと目が開く。あれからどれだけの時間が経っただろうか。本当は疑問を口にする前に、真っ赤な炎と黒の帳が視界に入ったから答えなんて分かっていたのに、おはようの代わりとして舌をつるんと滑っていく。
「まだ夜だな」
現在見張り番らしいヨカが木の枝を焚べながら答えた。火中で枝が華やかに燃えていく。
「といれ……」
「気を付けて行け」
「ん……」
うつらうつらと眠気に顔を上下させながら、朧げな意識で小さなランプを手に取った。気抜けたままふぁと欠伸を零しつつ粒のような照明で足元を確認して行く。
焚き火の明かりが一切見えないところまで進むとさっさと用を済ませた。破壊された森のど真ん中に獣が出てくるとは思えないし、魔族のオレが闇を怖がるわけもないけど、人間的真理が働いているのか暗がりはどこか気を急かしてくるから。
早める足音だけが星空の下に響く。
そうして夢うつつに森を進む頃、あれ、と意識が覚醒した。
あれ。足音、多い?
歩みを止めずに少しだけ歩調を急がせると、間違いなく後ろから跫音が近付いてきていた。人間? 魔族? この規則性はとても獣の出す音には聞こえない。
まだ歩ける魔族がいたのかな。……そういえば、魔王城に続く森だしね。魔王城に近付くほどに宙に残存する魔力は増えていく、よって両足の揃った魔族くらい居残っている可能性はある。
オレは休憩前に分けて貰い服に忍ばせていた小さな鉱石を密かに握り締めた。でも、使わずに済ませたい。
わざわざ元同族と戦いたくもないし。どうにか撒いてから戻ろうと相手との距離を測るべく振り返る。
後ろを向いたこの瞳に映った、大きな手のひら。
一瞬間で距離を詰められていた。戦う必要がないなんて呑気に構えているから。昼間にあの魔族を見たせいで悠然と備えてしまっていたから。
やば、と紡ごうとした声は喉で堰き止められた。
首を掴まれている。ぎりり、と強く激しく締め付けるべく。オレがその手を引き剥がそうと両手で退けるより先に、首を掴んだ勢いのままに背後にひっくり返された。
どん、と背中が固い地面に容赦無く打ち付けられる。
その衝撃で鉱石が手のひらから抜け落ちていった。
突然、空気を遮られたオレはもがくしかなくて。足を衝動的に動かす。首を締め付ける手を両手で掴み退かそうと試みる。……ああ、下へと押さえ付ける手は凶器以外の何物でもない。
息苦しさに目を閉じて、これ以上は意識を失うからと鉱石が無くとも無理矢理に聖なる力を放出させた。小さな爆発音。途端に首を締め付ける力が弱まり、肺が空気で満たされたため、上に存在する何かを思い切り突き飛ばして転がるように距離を取る。
はあっ、と深く呼吸をすると、遅れて両掌にじんじんと鈍痛が走った。ゆっくりと両手を持ち上げれば皮がずるりと剥けて血に彩られている。……力を抑えたつもりだったが、乱雑に放ったせいで怪我が大きくなってしまった。
痛い。痛い痛い痛い。でもそんな泣き言を言ってられない。
視線を鮮烈な赤から前方へと移そう。
こちらへ緩慢な所作で歩いてくる相手が、落ちたランプの灯りにぼんやりと照らされる。
どうやら星の巡り合わせが悪かったみたいだね。
ひとの形をした誰かの額には、大きなツノがあった。




