35...先ずは服の心配をしたらどうだ?
「きゃああああっ」
悲鳴が耳を劈いて、オレは目を開けた。
そこは真っ新な光だけじゃない、あらゆる色に覆われた世界。新しい朝を迎えている、魔族と人間が生きる世界だ。
付け加えると、元の世界の、空の上。青の中。天の下。
「は!?」
ものすごい速さで落下していく。
さらに言えば裸だ。確かに服は湖の底に沈んでいった、と思われる。でもせめて回収して着せて欲しいよ。裸一貫で投げ出されてどうしろって言うの。
「人間は外で裸になっちゃだめのはず!」
「今それ言っている場合ですか?」
淡々とした声のする方へ視線を送ると、ギョーセーが落っこちていた。悲鳴を辿るとジウも少し下に居る。
「きゃあああっ、裸ーっ!」
「ジウもですか……」
誰だって裸で空に放り出されたらびっくりしない? 赤ん坊じゃないんだから。いや、赤ん坊でもびっくりすると思うね。
これで寒さを然程感じないのは、温度の法則のない空間の名残か。今は息苦しさも無い。無敵のような心地。それに胡座をかいて地面に衝突した結果、無惨なものにはなりたくない。
「ジウ飛べますか!?」
ギョーセーが声を張り上げた。ジウはハッとしてから慌てた様子で身体に聖なる力を纏う。……いや、聖なる力だと勝手に思ってたけど、この力は天帝の力なのか……。浮遊の力に鉱石使わないんだとは思ってたにしても……。
そんな事実が脳裏を過ぎるなか、ジウひとり落下速度が変わったことによって、手足を折り畳み体を隠さんと縮めた身がオレらの高さと同位置に来た。
「捕まらせてっ!」
ジウの首裏に両手を伸ばして真ん前から抱き付く。不可抗力で裸同士の肌の触れ合いになったからか、ジウが「きゃーっ!」と羞恥に染まった悲鳴をあげていた。でも許して。死んじゃうから。
ギョーセーも、ジウの後ろで肩に捕まっている。
依然落下したまま。
「んんんんっ! むりかもむりだよ重すぎるよ〜っ!」
「むりって言うのはオレらしぬってことじゃない?」
幾許かは落下速度が緩やかになったとはいえ、着々と地上に近付いていく。何とかしなければと思索が巡る。
「これ、落ちる寸前に聖なる力を地面に放って落下速度を反発させられない?」
「聖なる力の爆発に呑み込まれない自信があれば、ですね。あと鉱石がないので怪我は免れないと思います」
「ギョーセーってば冷静〜」
結局無傷は無理ということ。耳元で風を切る音とジウの踏ん張るうめき声が聞こえる。ならばと、顔を退けて。
「ねえ、ジウとギョーセーでゆっくり下に来て」
「コクーはどうするのっ!?」
「聖なる力で落下速度をいなしてみる。即死しないようにだけするから、速攻で治癒お願い」
「危険過ぎるよっ!」
「みんなで痛い目に合うよりはマシのはず」
「コクー! 無茶です!」
引き止めようと伸べる二人の手を掻い潜ってこの身を荒っぽくジウから離せば、浮遊した二人よりも先に地上へ向けて真っ逆様。
人間って、どの程度から死ぬんだろう。手足くらいの損失にしないとたぶん即死しちゃうよね。逆を言えば、手足くらいなら瞬間的には生きれるかも。
剥き出しの両手両足に、地面に向かって放つ予定の聖なる力を溜めていると、視界の端がチカチカと輝きに点滅する。陽光の煌めきでは無い。動きがある。
「……なに?」
眩い日の光に抗って目を凝らすと、何かがこちらに近付いて来ていた。空の中を一直線に。鳥じゃない、ひたすらに爆音を轟かせている。
「なんなのあれ」
見たことのない生き物。じゃない、乗り物? 乗り物だとしても、こんな乗り物見たことがない。聞いたこともない。誰かが立ったまま乗っている。疾風の如くどんどんと距離を縮めてきた。まるで太陽から飛び出してきたみたい。
「……ヨカ?」
あの丸い眼鏡は見たことがある。光を遮断する色も。眼鏡というよりかは帯で固定された保護眼鏡に近い。肩に掛けられた外套は風に大きく靡いて、煽られて、それでも地響きとともに突っ込んでくる。
あれはヨカだ。
「コクー! こっちだ!」
「ヨカ!」
「力を使うな!」
「分かった!」
端的な会話を終えると同時、下に落ちるオレの身体は刹那の間に横への移動に変わった。
変な乗り物に乗ったヨカが受け止めてくれたからだ。膝裏と背中に手を添えられ支えられたまま、空を切って進んでいく。上を見上げると、ジウとギョーセーが舞うように下りていた。大丈夫そう。
「死ぬかと思った助かった〜。何もかもが訳分かんないけど、ありがとヨカ」
「貴様は……会う度に服を汚していると思ったら、とうとう服を着るのを止めたのか?」
「あっ、裸なのは! 不可抗力で……決して個人の趣味では無く! 人間の倫理などに反そうとは思っていなくて……」
「舌を噛むぞ。このまま下りる」
「そもそも2回目の服の汚れは半分くらいヨカも悪い」
「聞け」
がくん! と突如視界が大きく下がる。
「下りるというか落ちてない?」
「落ちたくなかったら大人しくしていろ。重量超過だ」
唸る爆音が控えられていくと、高度が少しずつ下がっていった。何これ、どうなってるの?
地面に到着する頃には、あれだけ轟いていた音を鳴らさなくなった。オレは疲労しているヨカの腕から降りると、しゃがんで足元の装置を見た。底や後ろに満遍なく鉱石が備わっている。鉱石を通した聖なる力の放出で飛んでたってこと? 力技〜。
「先ずは服の心配をしたらどうだ?」
「無いものは無いし」
呆れ果てたため息と一緒に、頭にもこもこの付いた外套を置かれた。過日を想起する所作。人間の決まりを破りたくもないので「ありがと〜」と礼を言いつつ身体に纏っておいた。この格好も、これはこれでどうなんだろうと街に馴染んだ思考が巡る。
「コクー。助けられたんですね」
振り返るとすぐ後ろにギョーセーが立っていた。その小さな影に体を隠すべく蹲ったジウがいる。両手で必死に胸元を隠していた。なるほど。人間はここまでしなくちゃいけないんだと。
可哀想だから何か着るもの貸してあげてと伝えようと思ってヨカを見上げると、二人に背を向けていた。
「見ないようにもしなくちゃいけないんだ」
「どこの野生で育った発言だ?」
「野生って」
オレがお願いするより先に、ヨカが着用していた上着を脱いで後ろ手に放った。さらに中の衣服にも手を掛けて、
「ついで野生児に教えてやるが。人が衣類の着脱をしている時は礼節として見ないようにしろ」
「あ、はい」
オレは視線を下に向けた。
ぱさりと後ろで衣擦れの音がするから、きっと脱いだそれを投げたのだろう。オレが地面に人差し指を這わせることしか出来ない合間にも、後ろでがさごそと着替える音が聞こえる。
「ありがとうヨカさん、ほんとにありがと〜っ!」
ヨカの上着を着込んだジウが心からのお礼を伝えている。二人は身長差があるから、ジウの体はすっぽりと隠れていた。
「助かります。ありがとうございます」
倍は身長差のあるギョーセーも、ヨカの服を着て腕捲りをしながら告げる。
ちなみに身包みを剥がされたヨカが何故か上半身裸にされる始末。しかし尚腕を組んでる姿に確認したいことはたくさんあった。
「ねえ、なんでここにいるの?」
「一飯の恩義があった」
「一飯?」
「ああ……半飯か?」
「分かった。ビレイにお願いされたの?」
半分のご飯に感じる恩義なんて、少し前に五人で食卓を囲んだ日しかないでしょ。
「ああ、そうだ。連絡が来て、もし災厄のある土地に来る予定があるなら、途中体を食らう湖の側の村を通ってきてくれ……貴様たちが去っていった方向だから、と」
「ビレイさんに心配掛けちゃったね……」
「うーん……どうだろ……。ま、後で謝っとこ」
ジウがしょんもりと肩を落としていた。わざわざヨカにお願いしたってことは、余程の心配を掛けた、はたまた監視対象が突然消えて慌てているか。
「上空から様子だけ見て行ってやろうと思えば、まさか更にその上から降ってくるとはな。噂で浮遊の力があることは知っていたが、腕力とは別物だと聞いている。二人抱えて飛ぶのは難しいだろう? 何をしていたんだ?」
「んー……話すとわちゃわちゃに長くなり過ぎて夜になると思うから、今度でもいい?」
「……」
不満顔。納得がいかなそうだけど、長い睫毛を伏せさせ僅かに首に傾斜を付けることで、渋々了承の意を示してくれた。意地悪で説明しないんじゃない。ヨカが王族側の人間じゃないことは知っているし、もしかしたらヨカの父が知ってしまったことかもしれないし。ただ多分ヨカが思ってるよりも途方もない出来事で。加えるなら、ジウの前で改めて振り返る話をしたくないしね。
ジウを横目に見遣ると、心許ない格好への居た堪れなさに意識が削がれているようだ。人間になって一層分かったのは、考え方は一人の時に捗ってしまうこと。
「因みにさぁ、この乗り物は?」
オレは不思議と謎を詰め合わせたそれを指で突っついてみる。ヨカは口角を上げてとくとくと語り始めた。
「フッ……静聴しろ。これは俺が開発している新しい移動手段だ。付属の鉱石に聖なる力を注ぐと、意識せずとも一方向からのみ、上限値の決まった力が放出できる。そういう鉱石の加工の仕方が分かった。とはいえ、飛行の安定度合いも持続距離も力の使い手に大きく左右され、そもそもが体幹の弱い人間にはどう足掻こうと操縦するのは無理だな。加えて荷物を乗せるとなると鉱石の量、聖なる力の放出量が増え過ぎる。まだまだ一般用には到底出来ない……が、俺一人乗る分には十分の域だ」
腕を組んで目を細めるヨカは自信に溢れたまま説いている。
「ジウじゃなくても空を飛べるってこと?」
「ああ」
「え〜、それってかなりすごくない? すごすぎない?」
「ハハハッ! 分かるか? この世を変える発明が! 俺以外はまだ無様に落ちるだろう。しかし誰でも乗れるように進化を繰り返せば、この空を我が商会が支配する日も近い! 浮遊の力以上の利便性を持って、だ!」
ハハハ! とひとしきり笑った後に、フンと満足そうに鼻を鳴らしている。笑い声は騒々しいけどまあ楽しそうだし、それはそれとしてかなりすごいと思うし。
昔から人間がそういう開発をしているのは聞いたことがあった。でも、鉱石に注いだ力の放出先、放出量に意識が集中しすぎるらしい。力の許容量を超えれば鉱石は砕けるし、力の放出する向きを誤れば自らで乗り物を壊してしまう。空での事故は致命的だ。
「それって……空にいる誰かと、接する、足掛かりを得られるかも、ってこと?」
ジウが胸の前でぎゅうと拳を握り締めている。天帝を思っているのだろう。
「まあ……そうだな。鳥と同じ立ち位置を得てどうするんだという話ではあるが」
不可解そうなヨカが返事をしている。
「ギョーセー。天帝に捕まった時ってどんな感じだった? オレたち、体を食らう湖からあっちの世界に行ったからさぁ。あれは、そもそも命が無いの?」
「まさか。あれの作り上げた世界ならともかく、この世界に命の無いものは居ないでしょう。この世界の法則下に居なければ、存在出来ません。あれも、僕たちの世界では命を保つ器が必要です。現に、風に呑み込まれた時、瞬時にあれの世界に飛ぶのではなく、真っ暗闇の……恐らくあれの器の中に収まったんだと思います。壁がある狭さで、他の人間の声もしてましたから。それが少し経って、あれの世界に飛んだので……ぼくたちも器に入れられた状態で、……そうですね、恐らく湖に入ったんだと思いますよ」
ギョーセーが考え込みながら言葉を繋いでいく。つまり、生き物の胃の中に入れられたような状態になって、その生き物ごと湖を通ったらしい。
「じゃあ、見えないだけで何かしら肉体? みたいなのはあるんだ」
「ええ、恐らく。魔族が魔力で出来た器を持っていたように、……何か……ぼくたちの知識の範囲外かもしれませんが……。けれど、決してこの世界のおいて無敵の存在ではありません。魔王がそうだったように」
この世界ならば、天帝を倒せる可能性がある。それがいつの話かなんて分からないものの、可能性としては。
話し込むオレとギョーセーに対して、ヨカは内容がいまいち掴めないまま怪訝そうに耳を傾けていた。ジウは曇天に差し込む希望を見ている。
「対等な立ち位置をもって話し合ったら、天帝様も分かってくれるかな……っ。この心の痛みと……孤独を抱えているなら、会いに行けばいいって相手を尊ぶことっ」
それでも尚傷付けるより先に、話し合おうとする姿勢はジウにしか持てないと思う。
「永遠なんて無くても、寿命が異なっても、一瞬でも、誰だって一緒に生きて笑うことはできるはず」




