32...置いてなんていけないよっ!
頭で理解できない。できないというよりも、理解を拒む。目の前で何が繰り広げられているのか。悪夢か何かなの?
終わりの無い異次元で、失踪した母親を抱き締めるジウ。
これは幸運なの? 幸福なの? 母親が壊れていたとしても? 当初の目論見から外れたことに思考が鈍化する。それでも、今、現実を突き付ける役割ができるのはオレしかいなくて。
「……ジウ。連れて帰れるのは一人だけだよ」
ぐずぐずと鼻を鳴らすジウはこちらを見ない。
「分かってる……」
「母親と父親、二人は先ず選べないし」
「うん……」
「ギョーセーを連れて帰るためにここに来たんだよ」
「……」
嗚咽の合間に返事だけは紡がれていた唇が、沈黙に閉ざされる。言わなくても、言われずとも、そんなこと分かっているのだろう。尚もジウの瞳はこちらを向かない。理解と感情が交錯しているのか、責められている心地になっているのか。段々とジウの背中が小さくなっていくように感じた。街で見かけた迷子の幼児とそっくりだった。
漸く絞り出したジウの声は、とても震えている。
「分かってるから……。ギョーセーは必ず助けないと……。……わたしが、……わたしがここに残る……。コクーとギョーセーは、元の世界に……」
生まれて初めて頭にカッと血が上る感覚を覚えた。無性に腹が立つ。そんなの見捨てろと同義だ。オレにジウを見捨てろと言っている。こんな途方も無い場所に。
暫時怒りや失望がごちゃ混ぜになったが、無言を貫く合間にも段々と思考が落ち着きを取り戻していった。
人間は、血の繋がりに執着する傾向がある。一度も会ったことがなくともだ。そんなのは知っている。ならばジウをここに置いて行けばいいのか。……もう、考えるのをやめてそうしちゃえばいいんだ。これは不可抗力で、何もかも本人の意思なんだから。本人の意思。そう思えば。
黙ってジウの幼い後ろ姿を見つめた。
何となく、過日にジウが告げた言葉が想起される。
『……実はね、わたし、人間と魔族が仲良くなれないかなって……ずっと考えてたの』
そんなことを言うのは後にも先にもジウくらいだ。……だから何だ。そんな言葉に惑うな。
「ごめんね、コクー……」
ジウは目を合わせることすら出来ない申し訳なさに苛まれて、目の前の家族に縋り付く。
オレは今一度問い直した。
「……もう、ここからは出られないかもしれないし、ジウの家族は何も言ってはくれないかもしれないよ。ジウもここで心が尽きるのを待つだけ。それでもいいの?」
「それでもっ……会いたかったお母さんとお父さんがいる! 置いてなんていけないよっ!」
「……ジウの親は、ジウにそんなこと望んでないと思うけど」
あーあ、とんだ詭弁だ。ジウの親の思考なんて何も分かっちゃいないのに、どんな人間だったのか何も知らないのに。ただの説得の駒にしちゃってる。
それでもジウには堪えるらしく、一層母親を抱く腕が強くなる。
「これは、そう、ジウの意思じゃない。ジウの意思で残るんじゃない。ここに残らざるを得ない状況にさせられているんだ」
「わたしの意思だよ……っ!」
「ジウの意思は、家族全員で元の世界に戻ること。そうだよね」
「でも、それが許されないんでしょ!?」
遂にジウは振り返った。時間の観念が乱れているのかその姿はまさに子供。親を前にして、それが自分の正しい姿だと思い込んでいるのかな。
「なら、いつか迎えに来れるように考えよう。連れて行かれたなら、助ける方法だっていつか見つかるかもしれないし」
詐欺師よろしく耳障りの良い詭弁を重ねていく。屁理屈をこねくり回していく。これで助ける方法が見つからないままだったらオレは恨まれるのかな。……ジウはオレを恨んだりしないんだろうな。
不意にジウの腕の中の人間が微動した。掻き消されそうな声でもがく。
「ジ、ウ……」
「お母さん! そうだよ、ジウだよっ! 分かるの!?」
「ジウ……お母さんが守ってあげるからね……」
ジウの母親は腹部を両手で押さえていた。ぎゅうと守っている。確か人間はお腹に赤ん坊を宿すんだっけ……。その赤子は目の前で誇らしいほどにもこんなに大きくなっているのに。子の成長を認識できていない。
「お母さん……わたし、ここにいるよ……。分かんないの……?」
肩を掴んで向き直そうとしても虚ろな瞳は目の前のジウを求めない。
「哀れだな。何度もこうべを下げて、必死に助けを乞うた自身の赤子を思い解くことさえ出来ないとは」
「……お母さん、わたしを助けようとしてくれたの?」
「然なり。母も父も、汝を知らん人間どもも、希った。腹に宿る児だけはと。汝の命は、幾重もの願いの上に成り立っている」
その命こそが親に愛されていた何よりの証左だと突き付けられる。
「それで、お腹の中にいたジウだけは元の世界に還してくれたんだ?」
「他者の為に身を伏せさせる様が余りに憐れでな。腹から赤子を取り出して、血の形が一番近しいところへ落としてやった」
「落とすって……ジウの浮遊の力、」
「ああ。我の念力で祝福を授けてやったのだ。赤子をそのまま落としたら死ぬであろう?」
誰にも扱えない空を思うがままに渡る唯一無二の能力。それは聖なる力でも、ましてや魔力でもなく、天帝の念力によるものだったなんて。親を閉じ込めた存在が与えた能力だったなんて。
明かされいく自身の生い立ちに、ジウは身を掻き抱いている。吐きそうなほどに苦しくても、この世界では嘔吐すら許されていない。それなのに涙は溢れる、悪趣味だね。
「ひどいよ……っ。どうしてお母さんたちがこんな目に合わなくちゃいけないの!?」
「孤独は侘しい。器を捨てて共に超越した存在となるのだ」
「なんでっ、お母さんたちだったの? なんで、お母さんたちじゃないといけなかったの? すごく、良い人間だったから……? 悪い人間だったから? 何か理由があるんだよねっ!?」
ジウは心ごと叩き付けるように言葉を吐き出す。
「否、選ばれただけに過ぎぬ」
「天帝様が無作為に選んだの……?」
「この者たちに関しては、我ではない」
淀みのない答え。ジウは惑った手を握り合わせる。欲しい答えが見つからない。
オレは天帝を見上げた。
「……ねえ、天帝。答え合わせしてもいい?」
「許す。答えてみよ」
今まで得た情報を組み合わせて、数珠繋ぎの言葉を尽くす。
「……街の人間が言っていた。ある時から、王の計らいで災厄が一切起こらなくなったって。村の人間も災厄が起きていないって言い伝えてた。でも魔族の土地では今も変わらずに災厄が発生している。……そして、ジウの親は災厄が発生していない期間にここに連れて来られている」
事実を並べるオレに丸い瞳で窺うジウは、まだ答えに辿り着いてはいないようで。
「どういうこと……?」
「つまり、人間の土地では、災厄は起こっていないのに人は行方不明になっているってこと」
「うん……」
「さっきの天帝は、災厄を起こす必要がなかったって言ってたよね。孤独を癒すために人間を集めているのにさ」
「そう、だね」
「……それらを鑑みると、人間側が何かしているとしか考えらんない」
「何かって、なに……?」
オレは無意識に一呼吸を置いてしまった。
きっとジウが欲しがる答えとはまるで違う、残酷な答えだと思う。耳を塞ぎたくなるような。
「……。……昔は、天帝が災厄として強風と共に適当に人間を拐っていたんだと思うけど、……ある時から、国が生贄として選んだ人間を差し出しているんじゃないかってこと」
「え?」
「無作為な人選の災厄を避けるために、ジウの両親含めて、国がここに人間を送り込んでいるの」




