31... 魔力が砕け、消え失せる魔族は不完全な終わりある生命体に過ぎん。
「何だろうね、この格好……。囚人? とは違うかな……」
その指摘を聞いてはじめてオレは自分の様相を確認した。オレもジウも、湖に飛び込んだ時点の格好と一式異なる。橙色の布が器用に体に巻き付いたような、そんな感じ。
あの湖は命あるもの、命あったものだけをどうにかする故に、身に付けていた服はあの湖の底に沈んでいったのかもしれない。あーあ。オレの服、お気に入りだったのに。お金払ったのに。
胸元の布に指を引っ掛けてぐいと引っ張ろうとしてみたが、その布を引き剥がすことはできなかった。まさに肌にくっついている。下に皮膚がある筈なのに、一切衣類のズレは無い。
魔族時代を思い出した。あの時は、服の下に皮膚すら無かったけどね。
「……分かんないし、とりあえず歩いてみよう」
立ち止まっていても景色は変わらない。天帝もいない。ジウの手を緩く引くと光の空間を進んでみた。目が回りそうだよ。足音すら響かせられない。
「どこまで行けばいいんだろうねっ?」
「ほんとにね」
オレたちは裸足でずっと歩いている。ずっと。真っ直ぐに。体感で1時間は歩いた筈。それでも視界には何も映らない。
「方向間違えた、とかあるかなっ!?」
「方向とか方角とかある? もう運でしょ」
3時間は経った?
「……終わりはあるのかなぁ」
「どうだろ」
5時間くらい経ったんじゃない?
「疲れないんだね、体!」
「トイレも行きたくならないな」
何時間経ったんだろ。
「無限かな? この空間っ」
「そうかもね」
もう時間の感覚は失われている。生理現象も何も起こらない。オレたちの存在が、ただあるだけ。
オレは元魔族だから無意味にも長い時間に耐性はある。人間の体だとしても、魔族の時の記憶と思考が失われた訳じゃないから。
有限の時だけを生きてきたジウの精神的負荷は計り知れないだろうな。流石に笑顔も咲かないようで。
「天帝様! 来てっ!」
苦肉の策の足掻きとばかりにジウが声を張り上げると、とうとう景色に変化が浮かぶ。目の前がザラついた。
「来たか」
はあ? 呼んだら来るの? それ早く教えてくれる?
満を侍して現れた天帝は、名状し難いけれど、知り得る語彙で説明するのなら細長い鱗のある蛇のようで、鳥のような手足があって、獣の牙があって、長い髭があって、ぎょろりとした二つの目が付いている。オレの見たことのない生き物の形を保っていた。
姿を持っているんだ。風そのもの、とかだと想像していた。
「ギョーセーはどこにいるのっ!?」
「急き立てるな。時間はある。とこしなえの命よ」
「……ここ、どうなってるの? ここはどこ? どうしてオレたち、疲れたりしないの?」
「質問の多い童子だ。……此処は我の世界。我が作り、決める世界。汝たちの世界とは異なるもの。生に囚われた器を捨て、共に超越するのだ」
先刻から一切の生理現象が起こらない。この世界は、すべてこの天帝の思うがままのようだ。
「病気もないの? 老いることも?」
「今こそが永遠だ」
ジウは気を呑まれて手足を竦ませるようだった。
生理現象が無くて、肉体は表面的で、病も老いも無い。
「……魔族みたいだね」
「知った口振りを。魔力が砕け、消え失せる魔族は不完全な終わりある生命体に過ぎん。故に、現今消える運命と陥った」
「ここは、死なないの?」
「死の概念など無い」
空間も時間も何もかもが規格外。元魔族のオレでも話をしていると頭がおかしくなりそうだ。
「ねえ、ギョーセー以外のみんなもここにいるのっ? 死が無いのなら、遥か昔の人たちも? もしかして、魔族も?」
「其処に居る」
言葉の終わりと同時、突如背後から人の気配が漂ってきた。二人揃って振り返ると果てなく続く世界に人間や動物が現れる。ぽつん、ぽつんと置かれている。
「……なに、これ」
ジウの引き攣った声。握り合う手に力がこもる。
いったい、どれだけの時間を此処で過ごしてきたのだろう。その誰もが、正常な状態を失っている。まさに気が触れた生き物を目の当たりにしていた。
誰かは何事か叫び、誰かは寝転んだまま一切動かず、誰かはあらぬ方向を見て何かを唱えて、誰かは動物に何か罵倒を繰り返している。誰も彼も怪我など負わなくとも、もっと酷い光景もあった。
常軌を逸している人間に比べると、角の生えた魔族は比較的落ち着いていた。目を瞑ってやり過ごしている。オレも魔族の頃に、人間の攻撃を受けて視覚や動きや封じられたことがあるから、その無力さは少しだけ分かる。終わりの見えない永遠。希望の無い暗闇。
永遠の国。まるで極楽の極地とばかりな言い方をしていたが、扉を開けてみればとんだ地獄の沙汰だ。狂気が蔓延っている。冒涜的だ。
「み、みんなを返してよっ」
思わずジウが悲痛に叫んだ。
「一人のみ。約束を違うな」
「一人なんて……そんな……」
ジウは目に余る生き物の状態に、当初の目的が錯乱している。
「ギョーセーを返して」
オレは迷いなく告げた。
「他に、見覚えのある顔があるのではないか?」
「ギョーセーを返して」
玩具で遊ぶように惑いを生ませる言葉に耳を傾けなくていい。確かにオレはある程度の長さを生きているから、見覚えのある魔族だっているけれど。どうせそれらを連れて帰ったって、オレたちの世界で消えるだけだ。無意味な問答。
「あい分かった。……浮遊の娘、汝はどうする」
「ジウもオレと同じ考」
「黙れ」
ジウの代わりの受け答えは許されないようだ。ぴしゃりと咎められる。
「わ、わたしも……ギョーセーを……」
恐れを抱きながら同意を示そうと口を開く。
見知らぬ誰かよりも、既知のきみを。
「汝の生みの親が居ても尚、それを選べるのか?」
「え……?」
その見知らぬ誰かが、実の両親だったら?
それでも、知り合ったばかりの人間を選べるのか。
瞬きをすると、ジウの目の前に大人が二人座り込んでいた。
ジウの親だとするには、五つくらいしか年が変わらない男女。でも、他人と呼ぶには余りにも顔立ちが似過ぎている。ジウがもう少し大人になったら、この人間のようになるのだろう。まるで未来図だ。
しかし表情はまるで正反対。表情がころりと変わるジウと違って、この人間の瞳には何の気持ちものっていない。意識はあるのに、意思がない、そんな色。
長い年月をこの場で過ごしていたのかな。
「お、お母さん……? お父さん……?」
「ジウ。こんなの嘘だよ。ジウの反応を見て遊んでいるんだよ」
辛苦に責められた呼び声に一抹の希望を植え付けられて、怖々と一歩を踏み出すジウを引き留める。天帝が作り上げる世界、どんな幻があったっておかしくはない。
そんなオレの心根など把握されている。
「戯れ事を。薄々勘付いているのであろう。娘の真実の親だと」
「……」
ジウが生まれた時に消えた親。ずっと時が止まっていたのなら、目の前の二人の年齢を鑑みておかしくはない。
でも。
「ここずっと、人間の土地では一斉に行方不明者が出る災厄は起こっていないはずだよ」
「ああ、起こさなかったんだ」
「……どうして?」
「起こす必要が無い故に」
「それは……、……」
「聡いな。気付いたか?」
オレの考えを読み解いて天帝はせせら笑う。
かぶりを振って最悪の想像を振り払った。
「う……」
ジウによく似た人間が僅かに身じろいで呻く。
「あっ……お母さんっ! お母さんが!」
その反応に誘われて、ジウが駆け寄ろうと前のめりになった。ふたり繋ぐ手だけがそれを妨げる。
「ジウ! 当初の目的だけを見よう!」
オレの張り上げた声は、寂しさに埋もれた幼心には届かない。想いの空白を埋められやしない。
「いやっ! お母さん!」
ジウが、必死に繋ぎ止めるオレの手を振り解いて母親を抱き締めた。
わんわんと大粒の涙を零すその姿を見て、オレに何が出来るって言うの。




