29...違う世界に行かなくちゃいけない。
魔王のように大地を震わせる威圧感のある声。
この身がちっぽけであることを諭すかのような脅威的な物言い。
思わず畏怖し押し黙りそうになりながらも、ジウが身を震わせ懸命に声を絞り出す。
「誰なの!? 連れてったのはきみなの? ギョーセーはどこっ!? 行方不明のみんなはどこにいるの!?」
「質問をしているのは我だ」
ぴしゃりとにべもなく疑問を閉ざされる。曇天には光ひとつ差し込まなかった。
その合間にも声の主を探そうと天を仰ぐが、ただただ荒れた風が唸っているのみ。その姿は視界には映らない。声の出処自体、頭上であること以外捉えられない。そう、まるで天上自体、そのもののような。
「そ、そんなこと言われても……っ。生まれたときから飛べるし……ギョーセーを助けに来たのっ!」
ジウが負けじと声を張り上げて威嚇するが、荒れ狂う天気の中では飛ばされないようにする精一杯の小動物の虚勢でしかないだろう。
そもそも相手は明らかに魔族でも人間でもない。得体の知れないものだ。名状し難い何かだ。
……まさか、これが噂の天帝様? 実在するの?
「生まれた時から……? 左様か、なんと興味深いことよ」
まるで愉悦含有した笑い声すら潜んでいそうな圧倒的強者の態度。
「何やら愉快な身体が釣れたと思うたら、其れを助けに愉快なものが飛び込んでくる顛末。喜劇か悲劇か。はて、どう始末を付けようか」
声の主には余裕どころか遊びすら垣間見える。
威勢良く飛び出したとて、所詮オレたちは手のひらの上で踊っているだけの存在のようだ。だって現に、魔族と人間の転換のことすら理解していそうな言い方だし。
「天帝様なの?」
虚飾なしに試しに問い掛けてみる。その答えの有無も、きっとこの声の主の気紛れ次第なのだろう。
「そう祀る者もいる」
つまり、あの村は間違っていなかったということ?
「正しい者を永遠の国に導いているの?」
わははと鷹揚な笑い声が天に満ちる。
「滑稽な。我の前では正しさ、過ちなど取るに足らんもの。全ては我の心次第」
湖の村の話のすべてが間違っているわけではなく、すべてがその通りというわけではないようだ。
ひとつ偽りないのは、行方不明者を出す災厄を起こした張本人が、この天帝様という存在であること。
「だ、だめ……? 返して、もらえない?」
オレを抱き締めるジウの手に怯えによる力がこもっていく。こんな相手に力づくで奪い返そうなど考えるだけ無意味そう。暫時、残酷に風の音だけが響いて。
「相分かった。汝らには特に強い縁を感じる。此方まで来た力に免じて還してやろう」
「ほ、ほんとうにっ!?」
「嘘は言わん。ただし、汝ら以外で還すのは一人のみ。我の世界への入り口は汝らで探せ」
「そんな……」
「他の者は連れて来てはならん。我と由縁ある汝らのみ、別格の措置として再びの我の世界からの帰還を許す故」
「再び……?」
飛んでいるジウはぽかんと穴の空いた顔。再びってどういうことと問いたげな唇が開くより先に、一際強い風が曇天を連れて通り過ぎていく。
「我の気が変わらぬ内に」
はぐれないように抱き締め合うことしか出来ないオレたちは、無力に空から転げ落ちていった。
ようやく地面に膝と手がついて、二人で肩で息を整える。髪も服も乱れて酷い有り様。命があるだけ有難いと感じる日が来るなんて。
「コクー……大丈夫?」
「うん……互いに生きてて良かったね」
「ふふっ、ほんとにっ。ほんとに……。……ねえ、あれって何だったの!?」
ジウの困惑に満ち溢れた反応は最もだ。何ならオレも詳しく知りたいくらい。せめて知っている情報のみは提示した。
「一部で天帝様って呼ばれてる災厄を起こす張本人みたいだよ。オレも詳しく知らないけど」
「もう……わけ分かんないっ! わけ分かんないけど、ギョーセーのこと助けに行かなくちゃっ! 我の世界って言ってた。探さないと!」
がくがくと未だに震える足を叱咤させてジウが立ち上がる。きっと見えない内側で恐怖心と鬩ぎ合っているだろうに、尚も立ち上がることをやめない。
しかし、向こう見ずな部分もあるから待ったを掛ける。
「探すったって、どこ探すの?」
ジウは視線を右へ左へと忙しなく送ってから、胸の前で両手を組んでご発表。
「んん……、それはぁ……とにかく端から端まで……」
「時間がいくらあっても足りないでしょ。気が変わったらお終いだよ」
「うっ……」
ジウは肩を顕著に落としている。眉が困ったように下がっていた。
「……オレ、ひとつ予想があるんだよね」
予想は予想の域を超えないから確定ではない。けれど、幾分かの確信がある。
「え、知ってるのっ?」
「多分だよ。……天帝は、オレが使った国って言葉じゃなくて、わざわざ世界だと謳っていた。ということは、この世界じゃない、別の世界こそがあの天帝のいる場所なんだよ」
「うぅん……うん……」
「違う世界に行かなくちゃいけない。……でも、……」
「どうしたのっ? コクー」
次ぐ言葉に詰まったオレを、ジウが隣から覗き込む。
可能性はある。多分、合ってる。
でも、違ったら、普通に死ぬかもしれない。死んで全ては終わるかもしれない。取り返しがつかない。
「……」
「コクー……」
珍しく迷いが生じるオレの名を、心配そうに紡がれた。
死の危険に関してはジウも知る権利があるから、端的に告げる。
「……いや、死ぬかもしれないから」
「それはっ……死にたくないけど……。うん、そうだね……」
無慈悲な一驚から徐々に顔を下げていくジウ。
けれど、オレの片手を両手で包み込んできた。
「ねえ、コクー。出会った時に、わたしに言ったこと覚えてる?」
何の話か分からずに、見返すことしか出来ない。
「今こそ、きっと、あとは覚悟を決めるだけなんだよっ!」
過日の声が脳裏に染み渡っていく。
『それでも、どうしてもやらなくちゃいけないと思える時がきたら……その時は覚悟決めるだけ。たったのそれだけ』
『覚悟……?』
『戦う覚悟じゃないよ。後悔しない覚悟。自分の取る選択に』
戦っても、戦わなくても、逃げても、立ち向かっても、その結果ではなく、自分の選んだ道に後悔をしないこと。
オレは過去の自分と向き合わされている心地だった。
あの人間魔族転換薬を飲んだ時から、ギョーセーとは命を乾杯と分け合っているようなもの。
進むしかないね。
ジウの手を握り返す。
「行こう、ジウ」
「え、どこに?」
「体を食らう湖」




