25... 人間に道徳や倫理を説くための。正しくあれば報われるって。
「あら、こんにちは。お邪魔しています」
人当たりの良いビレイは突如現れた謎の老人に対しても、隔てた様子なく挨拶を交わす。
「天帝様? なにそれ?」
オレは老人の告げた呼び名の方が気になって、矢庭に聞き返す。ビレイに「挨拶」と肘で軽く小突かれて「どぉも」と頭を下げた。
確かに、外部に行く時は邪険にされないようにしなくちゃだけど、オレはそれをすっ飛ばしがち。老人は気にしないでくれたよう。
「天帝様は、この世を作り出したと言われる存在じゃ」
「この世を……? 超常的存在が三つの根源に分かれたことから始まった、って街の人に聞いたけど」
王族ネハンにうっかり聞いた話を、言っていいか分かんないままに口に出す。でもオレに堂々と話していたってことは言っていいはず。
ビレイは「そうなの……?」って小声で首を傾げていた。既出じゃないもんね。老人も同様に首を傾げてから。
「それは知らんが、天帝様が世界も人間も魔王も生み出したんじゃよ。わしらは、天帝様を祀っている」
「祀るとどうなるの?」
「どうにかするために祀っているのではない。祀られるべき尊い存在だから祀っているんじゃ」
「じゃあ、ほんとに祀っているだけ?」
ただ崇めてこうべを垂れる。それのみなのか。
老人は悩む素振りとして白い髭を指の腹で撫でていた。
「そうじゃのう……天帝様に見初められたものは、永遠の国にいける、ということを信じているから、かもしれんな」
「自分のこと気に入って、永遠の国に導いてください! ってこと? 永遠の国って始めて聞いたー」
「飢えもない、老いもしない、病や怪我もない。極楽の地じゃ。そこで皆、毎日を楽しく笑顔で暮らす」
「へえ、都合がいいもごもご」
「おばか! あんた、おばか! さっきからズケズケ尋ねていると思ったら!」
人間を経験したオレにとっては、お金も体調も気にせず毎日を遊んで暮らすなんてとんだ絵空事。そういう甘い話には、当然裏がある。そう、例えば家賃タダの共同住居が監視施設だったように。
単純に都合がいい話。その指摘は、ビレイに口をばちんっと手のひらで塞がれたことによって、音が言葉にならずに口内で立ち止まってしまった。
そもそも。そもそもだ。そのすべてに当て嵌まる存在を知っている。ま、なんちゃら。まぞ、なんちゃら。今告げようとしたとて、ビレイに止められるだろうから言わないけれど。その存在になるのとは違うのだろうか。
じたばたともがいて、ビレイの手を退ける。
「もご……ぷはっ」
「いいんじゃよ。夢物語に聞こえるのは否めん」
「……ねえ。どうやったら、見初めてもらえるの?」
「正しく生きるのじゃ」
「正しくって……?」
「その人にとって、正しくあるのじゃ。さて、旅の人たち。アマノハラ楽園のものかの?」
カゴを背負い直して、オレたちの視線の先を歩き始めた老人は、背中越しに問い掛ける。ビレイが慌てて返答をした。
「え、ええ。そうです」
「村に案内しよう。わしがこの村の長じゃ」
村の人なのは一瞬間で分かったけど、村長なんだ。ビレイと顔を見合わせた後、ゆったりとしたその歩調に付いて行く。
風ひとつない、木漏れ日のなか。
流石だ。現地の人間は繁った道も歩き慣れている。ゆったりとか言ったけど、オレたちはさらにゆったりだった。
老人は太めの木の枝で邪魔な草を退けながら、ずんずんと村の方向へと進んでいった。
オレとビレイはその後ろを手こずりつつ追い掛ける。
「分かった? こういう感じの村よ。ここに来て、思想を変えられちゃう子もいるみたい」
確かに王国の首都とは考え方が異なるようだ。
それにしても、あの村長の……穏やかで自分の芯にあるものを疑わない物言い、なんとなく、ネハンを思い出す。
「オレからすると楽園も大して変わんないよ」
「それは……そうなのかしら。自分だと分からないわ。楽園は実在している王や国を、主導者として置いているだけよ?」
「この人たちにとっては、天帝様も実在してるんじゃない? それの教えに従ってるだけでしょ」
「……違うと感じるのに、うまく言い返す言葉が浮かばないわね……。あたしには、ここのお話は夢物語に聞こえるのに」
「実際、ただの夢物語なんじゃない? 人間に道徳や倫理を説くための。正しくあれば報われるって。その結果は知らないけど、村のみんながその正しさに満たされてるなら、オレたちが嘘だ偽りだって言うのは野暮になるし」
喧嘩だ争いだと醜く蔓延っているよりは、息をしやすそうに感じる。蓋を開けてみたら、天帝様の教えが万と並んでいるかもしれないけどね。上部だけは美しくて、触れてみたらヤバいとか。ここの湖みたいだったり。
「そうね……どれだって、ひとの心の拠り所なのよ。これを信じていたら間違いないって、信じたい。大樹を崇めるひともいる。海に神秘を見る者もいる」
「国が絶対だと崇拝してる者もいる?」
「……どれも助けちゃくれないのにね」
ころんと落っこちるような、諦めにも似た声音。
それでも、信じるだけ無駄なんて言わないんだ。縋りつきたい気持ちが分かるのかな。
「ビレイ」と様子を窺うべく名を呼んでみたら、「なんでもないわ」と返ってきた。
遠くで村長が、おーいと手を振ってくれている。二人揃って歩みを早めた。
小さな規模の村かと思えば、各々の家が密集しているだけでたくさんの人間が住んでいた。子どもも多い。外部の人間が珍しいのか、「だれ?」「だれー?」「だーれー!?」と道行く先々で叫ばれる。
ごく普通の村のようで、やっぱりみんながみんな、頭に橙色の帽子やら傘を被っていた。そこだけ少し異様に映る。
「わしの家で申し訳ないが、ここの空き部屋を使ってくれて構わん。必要なものは揃っているはずじゃ」
「ありがとうございます。使わせていただきますね」
村長の家は街の真ん中辺りにあった。やっぱり屋根は橙色。空き部屋二つを借りて、ビレイが礼を告げている。
それぞれの空き部屋に入ったなら、荷物を部屋に置いて小休憩。寝台に座っていると、ふと目に入ったのは机の上に置かれた一冊の本。これみよがし。
立ち上がって、紙面をなぞる。
教典。天帝様の教え。
……まあ、別に、絶対信じろと押し付けられているわけじゃないからそこまで気にはならない。とても良いものだから、もしよかったら……という感覚なのかもしれないしね。
適当な頁をめくってみた。
昔、各地で稀に起こっていた行方不明者が突如として多発する天災。あれは天帝様の導きだと書かれている。人間が、永遠の国に誘ってもらえたのだと。正しさが認められたのだと。
近年、その天帝様による導きが無くなったのは、正しさが足りていないらしい。励め的なことが綴られている。
……なんか、ネハンが言ってたな。
昔の王様がこの天災を止めたとかなんとか。
真実ってなに? みんな言いたい放題じゃん。
次の頁をめくる。
村の者が死んだら、その死体は湖に流せ。
死を哀れんで、正しさを憐れんで、永遠の国に行けるかもしれない。
部屋の扉が数回叩かれる。
「コクー? 準備出来たら早速行きましょ」
「あ、はぁい」
ビレイに呼ばれて、鉱石のついた杖だけ持って部屋を出た。
この村は、死の間際まで希望を残しておいてくれるんだ。
でも、死は残らない。魔族みたいだね。




