特訓開始
翌日から、などという甘いことはなかった。
それどころか、ヴィクターに暇乞いをして執務室を一歩出た瞬間、キャロルに「さっそく始めましょう」と誘われてしまった。
訂正。命じられてしまった。
わたしは、これまで運動らしきことをしたことがない。他の多くのレディ同様、健康の為に皇宮の森をのんびり散策しては、「あー、よく運動したわ」などと満足していた。ほんの少し歩きまわっただけで、めちゃくちゃ運動したと勘違いする。まさしくアレである。
正直なところ、キャロルの特訓についていける自信がなかった。逆に体力、気力ともにすぐに限界がきてしまうだろう、とその点では自信があった。
しかし、キャロルは急がなかった。彼女は、ド素人のわたしでもついていけるよう、ちゃんとペース配分や難易度を考えてくれていたのである。
というわけで、まずは基礎体力をつけるところから始まった。
駐屯地の近くには、訓練の為の道がある。その道は例のルビー鉱山へと続いている為、兵士たちの訓練に使われているのだ。起伏にとんだ道は、休憩をはさみつつハイキング感覚で歩くのなら何の問題もない。が、兵士たちはその道をひたすら行進する。それこそ、ほんのわずかな休憩をはさみつつ、しかも重装備で三日三晩歩き続けるのである。ここに来てその行進が何度かあったけれど、戻ってきたときにはどの兵士も息も絶え絶えだった。
まずは、そこを歩くことから始めた。
とはいえ、ド素人のわたしである。装備はいっさいなし。手ぶらで出発した。
キャロルはもちろんのこと、小隊が付き添ってくれている。
キャロルは、オーディントン国軍で将校を務めていたらしい。この駐屯地には、彼女の部下だった兵士たちが大勢いる。その中の小隊が付き添ってくれているのである。
ほんとうは、その小隊はキャロルやわたしになにかあってはと護衛の役割を担っている。しかし、キャロルは護衛がつくことをよしとしない。
弟のヴィクター同様強い彼女は、なにがあっても対処出来る自信がある。たとえ大勢の暗殺者たちに襲われようと、他国の軍がやってこようと、頭脳と腕力でもって退けるだけの力を備えている。
だからこそ、彼女は護衛などと知れば「必要ない」と拒否するにきまっている。
しかし、ヴィクターたちにすればそういうわけにはいかない。というわけで、彼女の部下たちが一緒に行きたがっているということにしてついてくることになったのである。
キャロルは、真実に気がついていると思う。彼女は、けっして肉体的にすごいだけではない。頭脳明晰であり、柔軟な対応力があり、沈着冷静でもある。
しかし、彼女は機嫌よく元部下たちの同道を許した。
そこが彼女のすごいところかもしれない。
そして、その日のお昼過ぎに第一歩が踏み出された。
わたしの「最強伝説」への第一歩が。
せいぜい「最弱伝説」にならないよう、努力だけはするつもりである。
最初はきつかった。とにかくきつかった。
「きつい」「つらい」「苦しい」。
この三つの単語以外思いつかない。その三単語を口の外に出すことさえ出来ない。
ただ歩くだけなのに。ただ足を交互に動かすだけ。腕は、わずかに振るだけ。なにも考える必要はないし、なにも思い悩む必要はない。
単純なこと。厩舎にいくときのように、あるいは居住区内や駐屯地内を移動するときのように、ただ歩くだけ。
それなのに、それなのにどうしてこんなにきついの? つらいの? 苦しいの?




