第101話『崩れ去るモノ』
「――こんばんはです! こんな時間に奇遇ですね皆さん! 夜のお散歩の途中ですか?」
そう訊ねながらひよりは俺たち一人一人とわざとらしく目線を合わせてくる。
……なるほどな。これが小夏の言っていたやつか。
今こうしてひよりの元へ歩み寄る前に小夏が、ひよりには目を合わせた相手の記憶を読み取る力があると俺と葵雪に話してくれた。
その対策として、小夏は自身の力である『力を無効化する力』を俺と葵雪に使っている。小夏の力の恩恵を最も受けるためにはキスが必要とのことだが、唾液を唇に触れさせるだけでも短い時間なら効力が発揮するらしく、俺と葵雪の唇には小夏の唾液が少量だけ塗りつけられている。
ちなみに葵雪はめちゃくちゃ嫌がっていた。
俺はというと、死ぬほど恥ずかしかった。
間接キスとは訳が違う。唾液を直接塗られるという行為自体が精神的にクリティカルヒットで、未だに心臓はバクバクと激しく脈打っているし、俺の唇を撫でる小夏の指の感触も忘れられない。
指だけでこうならば、本当にキスをした時にどうなってしまうのか分かったもんじゃなかった。
ともあれ、今はそんなことを考えている場合ではないからと思考を切り替える。
小夏の力のおかげで、今のひよりの力は空振り状態らしい。ようは力を使ったところで目的としている記憶を読み取ることは絶対に出来ないとのこと。これはこれまでの世界で確認済みらしい。
「これから学校でバスケするつもりなんだけど、花澤さん暇? 良かったら一緒にどう?」
「……バスケ、ですか」
不意にひよりの視線が落ちる。何処を見ているのかと視線の先を追ってみると、自分の腕を気にしているようだ。怪我をしているのか、もしくはワイシャツで見えない部分に何かあるか。
「ひよりは下手ですから、皆さんの邪魔になっちゃいますよ。なので、折角ですけど遠慮させて――」
言いながら踵を返そうとするひよりの細い腕に葵雪の手が伸びる。葵雪に腕を掴まれると同時に、ひよりはビクッと肩を震わせて振り返る。
「悪いけど、超絶運動音痴のあたしが参加している時点でひよりの参加は確定事項なの。拒否権? 無いわ。文句を言う暇があるのなら黙って付いてきなさい」
「りょ、了解です」
笑顔という名の威圧に征されたひよりは恐怖のあまり首を縦に振ることしかできなかった。
ひよりの返事を聞いた葵雪は満足そうに頷くと、握っていた腕を離し、その場でぐーっと伸びをする。微かに持ち上げられた服の隙間からは白くて綺麗な肌がチラリと見え、俺は少し恥ずかしい気持ちになったから目を逸らして一人先に歩き始める。
「ふと思ったんですけど、学校はもう閉まっていますよね? バスケ出来なくないです?」
先陣を切った俺の後ろを子犬のようにトコトコとついてきたひよりはそんな疑問を投げかけてくる。
「勝手に使う」
「……バレたら怒られますよ?」
「バレなきゃどうとでもなる」
「……」
表情は見えないが呆れているのは何となく分かった。
まぁでも、泣き顔なんかよりはずっといい。
のんびりのんびりと歩く俺たち四人。住宅街を抜け、川沿いのあぜ道を進む。
静かに流れてる川の音が静寂を際立たせる。なびく風の音。それによって揺れる草花の音。そして俺たちが刻む足音のリズム――それだけしか無い。
話すべき内容はいくらでもあるはずなのに、言葉が何も出てこない。まるで今の俺たちは物言わぬ死人のようだ。
死人は何も語らない――語れない。
だから待ち続ける。ひよりが口を開き、俺たちに生を与えてくれるのを待ち続けるしかない。それが今の俺たちにできる唯一の優しさ。
こういうことは俺たちが自ら訊ねていいことではない。それは心の中を土足で踏み込むのと同じことだ。だから待ち続ける。ひよりが俺たちのことを信用してくれているのなら、きっと自分から話してくれるはずだから。
「……どうして、何も聞いてこないんですか」
そしてその時がついにやってくる。
さぁ、死者でいる時間は終わりだ。でも、これはまだ始まりに過ぎない。ひよりが話してくれると決まったわけではない。
「話したくないことを聞く必要は無い」
「修平の言う通りね。あんたが話したいと思うなら話せばいいのよ。あたし達は黙って聞いてあげるわ」
「私たちは、私たちからは何も聞かないよ。このままバスケをして帰るもよし。話したいと思うのであれば話すもよし。決めるのは花澤さんだからね」
今、ひよりが抱え込んでいるモノの全てをさらけ出して尚且つ、ひよりが俺たちに助けを求めてくるのであれば、俺たちは全力でひよりに手を差し伸べよう。
俺たちから手を差し伸べるのは簡単なことだけど、それでは意味が無い。ひよりが本当に望んでくれなければ、俺たちがやることは空虚なものになってしまう。
「……意地悪ですね。それ、遠回しに言えって言っているようなものですよ」
渇いた笑顔を作ると、ひよりはため息を吐き、そのまま俯き加減で歩み続ける。
悩んでいるのだろう。これはひよりの問題だ。だからこそ自分でどうにかしなければならないという気持ちが大きいのかもしれなかった。
何事も話して楽になるとは限らない。話すことで余計に辛くなってしまう場合だってある。
ひよりとは付き合いが短い……いや、この世界での付き合いはまだ短いが、何となく覚えているのだ。ひよりは優しいから、何事も一人で抱え込んでしまう性格だと。そして――人に迷惑をかけることが嫌いだと。
他人に迷惑をかける選択を取る――それが自分のせいなのだとすれば、ひよりが最も取りたくない選択。話したくないというのも頷ける。
「……」
しかし……何だろうか。迷惑をかけてしまう――それだけでは無いような気がするのだ。こう……何と言うのだろう……根本から俺たちの考えが間違っている? 俺たちはものすごい誤解をしているのではないだろうか?
「……ああ――」
――そうか。そういうことなのか? 今考えたばっかじゃないか。ひよりは優しい……優しすぎる。ひよりの性格を考えればそういうことだって有り得る。
「……なぁ、ひより。正直に答えてくれないか?」
これはあくまでも俺の妄想に過ぎない。根拠があるだとか、それが真実かどうかなんて知らないし、この際どうでもいい。ただこの妄想が現実なのだとすれば見当違いも甚だしい。
「……お兄ちゃん?」
「修平?」
このタイミングで俺が口を開くとは思っていなかったのだろう。小夏と葵雪は驚いたようにこちらに顔を向けてくる。
しかし今はそんな些細なことを気にしている余裕は無い。目の前にある壁は何よりも高く、今ここで踏み込まずに待つという選択を取ってしまえば、この壁は越えられないほど高くなってしまう。
だから意を決して俺はひよりの前に立ちはだかり、無理矢理顔をこちらに向けさせて視線を合わせる。
「……っ」
その瞬間、ひよりの顔が歪んだ。力を使って俺の記憶を読んだのだろう。そしてその反応は、俺の考えが正しかったことを決定付ける。
俺は悔しくて唇を噛んだ。鉄の味が口の中に広がって吐き出したくなる。けど、俺の口から出たのは血の混じった唾ではなく――この話の真実だった。
「……お前が悩んでいるのは、俺たちのせいだから――だったのか」
「………………え?」
「どういう……こと…………?」
「……」
俺の告げた真実に小夏と葵雪は戸惑いの声を漏らし、ひよりは黙りを決め込む。
そう。ひよりが抱えている問題は全て俺たちのせい。ひよりはそれを全て一人で抱え込んで、俺たちに迷惑をかけないようにしている。
結論は結局のところ変わらない。迷惑をかけたくない――それだけだ。
ただ、考えが根本から間違っていた。俺たちは話を聞くことによって関係者になるのではない。俺たちはもう既に関係者だった。
それなのに俺たちは他人を装ってしまった。第三者に成り果ててしまっていた。
今日こうしてひよりに出会わなければ、俺たちは関係者のくせして、ひよりに全てを擦り付けて日常をのほほんと笑いながら過ごす最低な人間になっていた。
隣にいる友達が押し潰されそうになるくらいの苦痛を味わっていて、しかもそれが俺たちのせいだというのに、何も知らずに、何も気付かずに、何も無かったかのように過ごす――ああ、なんて最低なんだろうか。
何も知らずに悩みを解決してあげようとか考えていた数分前までの自分をぶん殴りたい。
何もかも俺たちのせいじゃないか……。全てはあの日だ。あの日の出来事――佐々木たちとぶつかってから何気ない日常に亀裂が入り、今日までの間に取り返しのつかないところまで亀裂が侵食してしまっていた。
「……どうして……どうして!! 何も言ってくれなかったんだよ……っ」
あの日から今日まで、もう三週間近く経っていた。
この間にひよりは佐々木たちに何をされてきたのだろう。考えただけで辛くなってくる。でもそれ以上に……自分が許せなくなってくる。どうしてもっと早く気づくことが出来なかったのか。楽観視せず、もっと佐々木たちに注意を向けていればこんなことにはならなかったかもしれない。
「それは違うだろ……それは!! 一人で抱え込む問題じゃないだろ……っ。すぐにでも俺たちに話すべき内容じゃないか……!!」
「……いッ」
ひよりの肩を掴むと、さほど力を入れていないのにも関わらず苦悶の表情を浮かべた。反射的に手を離すと、ひよりは右肩を庇うように一歩身を引いた。
「……ひより、ちょっと強引に確認させてもらうわ」
「あ、ちょっと葵雪さん!? やめて――」
あまりにも大袈裟すぎる反応に不信感を抱いた葵雪はひよりの言葉を聞かずに襟を掴むと、抵抗する間を与えずにそのまま肩をはだけさせる。
「……あ」
服の下に広がっていた痣を見た小夏はそんな情けない声を上げた。葵雪も、俺も、痣を見下ろしたまま何も言うことができず、ひよりは葵雪の手を軽く振り払うと、泣きそうな笑顔を俺たちに向けた。
「……修平さんは、ひよりのことを……どう思っていますか」
「そんなの決まっているだろ……? 聞かなくても分かるだろ? 友達だよ……俺たちは、ひよりの友達だよ!! ここにいる全員、ひよりのことを友達だ!!」
俺の叫びにひよりは、そうですか。と微笑み、目元に溜まった涙を零した。頬を伝って流れる涙を見ても、俺は何もしてあげることが出来ない。
友達だと伝えて、それ以上言葉が出てこなかった。何か言わなければならないと理解しているのに、何を言えばいいのか分からない。
「友達なら……ひよりのお願い、聞いてくれますよね?」
「あ、当たり前だ!! 何でも言え!! 何だって聞いてやるから!!」
何としてでも繋ぎ止めなければならない。今ここでひよりとの繋がりを切るわけにはいかなかった。
「俺たちに出来ることだったら何だって協力してやる。今この場にはいないけど、巡と椛だって力を貸してくれるはずだから……!!」
少しでも俺たちの思いがひよりの心に届くようにと、必死になって俺は言葉を綴る。そんな俺を見て、小夏と葵雪は焦りを隠すことは出来ず、俺と同じように半ば冷静さを失って声を掛け続けた。
「……そうですか、ありがとうございます」
それからどれほど時間が経ったか分からない。
もしかしたら一分も経っていないかもしれない。ひよりが再び口を開くまで、体感ではものすごく長く感じた。
「ひよりのお願いは――たった一つです」
そしてひよりは真っ直ぐに俺たちを見据える。
涙で顔を汚したまま、これまで見てきた笑顔と何一つ変わらないまま――
「――もう……ひよりに関わらないでください」
――そう告げた。
「………………………………えっ?」
まだ残っていると思っていた絆が、かけがえのない大切な友情が、今この瞬間に、音を立てて崩れ去った。
to be continued
心音です、こんばんは。
とりあえず一言。書いてるうちが死ぬほど辛くなってきてやばいです。
前の話でバスケをさせると言いましたが、わりと小夏ルートが話数積んでいることに気づき、このままダラダラと続くのもあれだと判断してアクセル踏み込みました。
小夏ルートは残り10話程度です。
果たしてどんな結末が待っているのか。希望はあるのか。
それでは次のお話でまたお会いしましょう。




