第100話『三人の夜道』
「お兄ちゃーん。バスケしよー」
バスケットボールを両手で持って、小夏はニコニコと俺を誘ってきた。壁に掛けられた時計を見てみると、18時を超えたあたり。本来なら夕飯をどうするかと考え始める時間帯だった。
読んでいたラノベをパタンと閉じ、宝石のルビーのような小夏の瞳を覗き込む。
「賭けるものは?」
「今日の夕飯当番」
「乗った」
「さすがお兄ちゃん」
パァンとハイタッチを交わし、俺と小夏は運動着に着替えて意気揚々と家を出た。
この辺りでバスケが出来るところといえば学校しかない。俺たちの足は必然的に通学路を歩み始める。
ド田舎だからなのか、この町には街頭という概念が存在しないに等しく、俺たちが今歩いている通学路を照らすのは空にぼんやりと浮かんだ月の光のみ。しかし、都会のような光害が無いから夜空の明るさだけでも問題なく歩くことが出来る。
毎朝使っている通学路も時間帯が変われば抱く印象も変わってくるものだ。周りの景色は何ひとつ変わらないのに、周りを彩る色が違うだけで別世界に迷い込んだような感覚を覚える。
この道が本当に正しいのか曖昧になり、同時に自分自身の道すらも見失ってしまいそうになるから、俺と小夏の歩みはゆったりとしたものだった。
ふらふらと歩く俺たちの前に白い影がよぎる。
否、それは影ではなく、暗闇の中でも目立つ雪のように真っ白な髪。暗やみを照らすように道の角から現れた葵雪はこちらに気づくと、軽く手を挙げてやる気なさげにひらひらと振る。
「こんばんは。奇遇ね」
「よお。こんな時間に何処行くんだ?」
「こんな時間ってほどの時間じゃないでしょ。あたしはただの散歩よ。修平たちは何処行くの?」
「体育館」
「……体育館」
「学校」
「……学校」
葵雪は返答に悩み、オウムのように言葉を繰り返す。
けれどもすぐに人間に戻り、首を傾げながら口を開く。
「この時間はもう閉まっているから使えないと思うんだけど?」
「知ってます。けどそれはあくまでも学校側のルールです。私たちには私たちのルールがあります。学校とかいう学生の牢獄に囚われていたら自由なんてあったもんじゃない」
なので――と、小夏は言葉を続け、ショルダーバッグの中から細長い金属を取り出した。ところどころ折れていた痕跡が残っている。おそらく市販のクリップを伸ばしたのだろう。
「開かぬなら、開けてしまえよ、体育館」
「徳川精神でいきなさいよ」
パシッと小夏の手から針金を奪い去ると、葵雪は大袈裟にため息を吐いた。
「なんで小夏はそう攻撃的なの」
「その言葉、水ノ瀬さんにだけは言われたくなかったんですけど」
「正論ね」
苦笑しながら葵雪は小夏の手に針金を戻す。
なんだかんだ言っておきながら体育館をこじ開けること自体は賛成らしい。もしくは何を言っても聞かないと諦めたかの二択だ。
「それで? 体育館で何を――ああ、バスケ」
小夏がバスケットボールの入ったケースを見せると、葵雪は納得したように頷いた。けれど、さほど興味は無いのかそれ以上の言葉が紡がれることはなかった。
きっと余計なことを言えば俺たちに巻き込まれると思ってあえて壁を立てたのだろうが……悪いな。暇そうな人間を見つけてスルーするほど俺は人間が出来ていない。
「なぁ、葵雪もどうだ?」
「……あたしが運動音痴っての知ってるでしょ。教えたわよね? 忘れたって言うのかしら? 世界が変わってもあたしの運動音痴は無くならないの。分かる?」
「運動音痴って言うか、体力が無いだけだろ?」
「同じよ」
ドヤ顔で言い切る葵雪。なんでここまで自信満々になれるのか俺には理解できなかった。
さてどうしたものかと、俺は髪をわしゃわしゃと掻く。葵雪をこの賭けに参加させることが出来ればタダ飯にあり付けると思っていたのだが……。
「……ねぇ、修平? あんた今とんでもなく黒いこと考えていなかった?」
「……いや?」
「じゃあ今の間は何?」
「……」
葵雪のアメジスト色の瞳が俺を見つめる。惚れ惚れするような笑顔。そこだけ見れば可愛いところもあるんだなと思えたのだが、笑顔の裏から滲み出ている、嘘を吐くことは許さない。という絶対的な圧が俺を磔にした。
ただ見つめられているだけなのに、全身が凍りつくような恐怖。殺意とまではいかないが、それに似たようなものを感じる。
「今日の夕飯を誰が作るか賭けていた。葵雪が加わればお前の家で飯を奢ってもらおうかと」
「あんたらが確実に勝つ勝負じゃない。嫌よ、帰るわ」
「いや待て待て待て」
颯爽と踵を返そうとする葵雪の手を掴んで制止する。
折角会えたのだからこの世界のことを少しでも聞いておきたいという気持ちがあった。
「あんたのその性格はどの世界でも変わらないわね。まぁそういうところにあたしは惹かれたんだけど」
すぐに諦めたようにこちらに顔を向ける。もう手は離しても平気だろうと思い手を離すと、葵雪はほんの少しだけ残念そうに笑った。
「お兄ちゃん、水ノ瀬さん。こんなところで立ち話もあれですし、とりあえず学校に向かおうよ」
「この際バスケをするのは構わないわ。けど、夕飯の奢りは無しだから」
夜道に三人並んで歩き出す。
雲間から差し込んできた月明かりがぼんやりと地面に俺たちの影を映していた。葵雪の歩幅は小さく、必然的に歩みは遅くなるけれども、夜の涼しい風を感じながらゆったりと歩くのも悪くは無い。
「なぁ、葵雪。俺と葵雪が付き合っていた時って……どんな感じだったんだ?」
そんな俺の質問が予想外だったのか、葵雪は一瞬だけ驚いたような顔をする。しかしすぐにいつものクールはを身に纏って口を開く。
「質問が大雑把ね。まぁでもその大雑把さに相応しい回答をするのであれば――ラブラブだったわ」
「……大雑把だな。というか、お前の口からラブラブなんて言葉が出るとなんだろう……寒気がする」
「殺すわよ?」
ぶるっと全身を震わせると、拳を固く握り締めた葵雪が満面の笑みに似合わない物騒な言葉を俺にぶつけてきた。
葵雪の場合、冗談抜きで殺してくる可能性があるから発言には注意した方がいいと、たった今心に誓った。
「記憶が無いとにわかには信じられないよな。言い方は悪いが、今の俺は葵雪のことをどうとも思っていないし、今以上の関係になるなんて考えられない」
そもそも俺が今一番気になっている女の子は小夏。まぁ、口が裂けてもこんなことは言えないのだが、前に聞いた話からすると、俺と小夏が恋人だった世界もあるとのこと。
ならばこの気持ちを表に出してもいいのでは? と、思ってしまう。だってそうだろ? 小夏に前の世界の記憶があるということはつまり、俺に抱いていた感情も残っているということなのだから。
「どストレートな振られ方をした気がするわ。まぁでも、ここはあたしの世界じゃないみたいだから最初から期待なんてしていなかったけど」
「……葵雪の世界では、ない……。じゃあ誰の――ああ」
葵雪のその言葉に、俺はふと、この町に来た初日にした小夏との会話の内容を思い出していた。
『やっと――私が主役になれたってことだよ』
『――私たちの物語を紡ごう、お兄ちゃん』
ああ……そうか。この世界は小夏の世界なのか。
あの時は全く意味が理解出来なかったけれど、この世界の秘密を知った今の俺ならば分かる。ここは小夏の為の世界。小夏の幸せの為の世界なのだ。
「ふふっ、どうしたの? お兄ちゃん。何か言いたいことでもある?」
俺の視線に気がついた小夏は微笑を浮かべながら訊ねてくる。ただ察しのいい小夏のことだ。俺がこの世界が小夏のための世界であると理解したのを知った上で訊ねてきている。
ほんと意地の悪い性格だ。誰に似たのやら――まぁ……俺以外にいないわけだが。
「……今はなにもねーよ」
そう言って俺は小夏の頭に手を伸ばすと、そのまま少し強めに撫でた。
柔らかく、さらさらとした髪質が指をすり抜けて心地よい。手を動かす度にほのかに香る柑橘系の優しい香り。小夏がよく使っているシャンプーのそれだ。
ずっと昔から変わらない小夏の香り。ずっと傍で感じ続けていた香りは、まるで精神安定剤のように俺の心を落ち着かせるのだ。
小夏の隣に居続けることが出来れば、俺はいついかなる時も平常心でいられる。加えて、小夏の傍にいることで俺は幸せを感じることができる。
手を伸ばせばすぐに届く距離に小夏がいて、何気ない話で笑いあったり、互いの意見をぶつけあったり、共感したり――。そんな日常が、そんな当たり前が――俺の幸せに繋がっている。
俺は小夏が好きだ。妹としてじゃない。一人の女の子として好き。決して妹に抱いてはいけない感情。世間一般では許されない禁断の想い。
でも、互いに好きあっているのであればそれでいいのではないだろうか? 小夏だって俺のことを兄ではなく、一人の男として見ている。
二人の想いが繋がっていれば、周りからどんな目で見られようと、蔑まれても、きっと耐えられる。俺たちが築いてきた絆はその程度で崩れるほど脆いモノではない。
「今は、ね。ふふっ、そっかそっか。今は――ってことは、今後に期待してもいいってことだよね?」
「さぁな。……まぁでも、期待を裏切らないようにはしたいと思っている」
こうしてお互い好きあっているのが分かっているのに話を先延ばしにしたのは逃げたからではない。
ただ単純に、そういう場では無いというのと、今はもう少しの間、兄妹としての時間を大切に楽しみたいと思ったからだ。
「一応言っておくと――」
ある程度自分の中で結論を出した時、夜空を見上げながら歩いていた葵雪が口を開く。
「あたしはあんた達がそれで満足なら何も言うつもりはないわ。ただ……小夏なら分かるでしょ? 運命の日は確実に7月7日に来る訳では無いのよ? 残された猶予は最長でも一ヶ月半程度。最悪の場合、明日終わることだって有り得るんだからね」
そう忠告しながらも葵雪は俺たちの方を見ようとはしない。葵雪にとって俺と小夏の関係がどうなろうと、自分の世界ではないから関係の無いことなのだろう。無関心とまでは言わないが、まぁどちらにせよ同じようなものだ。
「まぁそれもそうですけど、焦ってどうにかするような問題もありませんからね」
「勝者の特権ってやつね。まぁ、この世界があんた達の幸せな形で終わるならそれでもよし。また繰り返すのであれば今後の世界にあたしは期待しておくわ」
その言葉にハッとする。
葵雪は世界が変わっても記憶が残る。それはつまり、俺に対する恋心も残っているということ。この話を聞いた時にすぐに分かりそうなことなのに、小夏のことで頭がいっぱいになっていた俺は今になってその事実に気づいた。
「――そんな顔をする必要は無いわ」
夜空を見上げたまま、葵雪はそう呟く。
「修平のことなら顔を見ないでも雰囲気で察せられるの。先に言っておくけど――謝る必要は無い。記憶が無ければそうなるのは当然のこと。確かに他の子に取られて悔しい気持ちはあるけれど、あたしには修平との思い出がある。それだけで十分よ」
「葵雪……」
何を言っても意味は無い。だから俺は名前を呟くだけでそれ以上のことは何も言えなかった。
小夏も何も言わない。その代わり俺を離さないと言うように服の袖を掴んできた。
そのまま俺たちは無言で夜道を歩き続ける。
学校に着くまでずっと続くと思っていたけれど、それは葵雪の発言で破られることになった。
「……あら? あそこにいるのってひよりじゃないかしら?」
「あれ? 本当ですね。用事があるって言ってたけど、こんな時間まで何やっていたんですかね?」
「声を掛けてみれば分かるだろ。おーい!! ひよりー!!」
叫んでみると、こちらに気づいたひよりが振り返る。
しかしそれだけでいつものようにこちらに駆け寄ってきたりしない。何やら慌てた様子で顔を拭っているようだった。
……泣いていたのか?
察しのいい俺たち三人はすぐにひよりの異変に気づく。一瞬だけ顔を見合わせた俺たちは、なるべく気づいていない様子を装ってひよりの元に歩み寄った。
to be continued
心音ですこんばんは!
ついに100話です!!この物語の残りは……残りは……いくつでしょう……?




