魔法の言葉
「蒼くん、開けてくれ。ここを開けて、頼むからっ」
「お前、帰れよっ」
琢也が追いかけて来て僕を投げ飛ばした。僕は死んでもここを離れるつもりはなかった。
「蒼くんっ」
僕があんまりしつこくドアを叩くので、アパートの住人がドア越しからのぞいていた。すると、蒼くんの部屋のドアがそっと開いた。
彼の目が真っ赤に腫れていた。僕は胸が詰まった。
「蒼くん、中に入れて……」
蒼くんは素直に頷いた。
「蒼っ」
琢也の声が外で聞こえた。僕はドアをすり抜けて中に入る。鍵をかけてじっとしていると、外が静かになった。ホッとして顔を上げて愕然とした。
部屋の中は閑散としていた。
「ど、どこに行くの?」
「引っ越そうと思って」
蒼くんがぼそぼそと言った。
「ど、どこに?」
「琢也の部屋」
「えっ」
僕はびっくりして蒼くんの肩をつかんだ。
「僕が好きなんじゃないの? どうしてあいつのところに行くの?」
揺さぶると蒼くんは目を吊り上げて手を振り上げた。
「俺の事好きじゃないくせにっ」
バシンと頬を殴られた。その痛みは琢也に殴られたものより数倍痛かった。
「好きだよ」
「嘘だっ」
「嘘じゃないよ。本当だよ。一目惚れだった。蒼くんの事、毎日見ていた。君が琢也を好きでも、僕の事は絶対に好きにならないって分かっていても、君が好きだったんだ」
「俺だって一年の頃からお前が好きだった」
蒼くんが吐き出すように言った。
「え? 一年?」
僕は唖然として蒼くんの充血した赤い目を見た。
「え?」
もう一度聞き返すと、
「知らないだろ? お前、ほとんど休みだったもんな」
と蒼くんは息を吐いた。
「俺はお前のそばにいたくて、同じ列にいたり後ろの席を探したり、できるだけ近くにいようとした。いつか隣に座って声をかけようと思っていた。でもお前、学校は休むし、俺の事なんか見向きもしないし」
僕は背筋が冷たくなる。
「い、一年の時はその……僕もいろいろあって……」
「いろいろね]
ふんっと鼻で息を吐く。蒼くんがふとんに座り込んだ。
「セックスフレンドだろ? すごい噂が立ってたぜ」
「う、噂?」
「知らないのは本人だけか。お前は、周りの事なんてどうでもいいもんな」
琢也とまったく同じ事を言われる。
「蒼くんは知っていた…?」
「当たり前だっ」
歯を剥く彼を見て、僕はうな垂れた。
「ごめん……」
ごめん。それしか言えない。
「ごめんね。蒼くん」
ごめんね。君を傷つけていたんだね。
がっくりとすると、蒼くんがそっとそばに寄って、僕が持ってきたバッグを見てポツリと言った。
「俺こそ、ごめん…」
「え?」
「嫌がる事して、嫌われたら一番楽だと思ったんだ」
僕はゆるゆると首を振った。
「僕は君が好きだよ」
「コンドーム送られても? 腹が立たないのか?」
「腹なんて立たないよ。僕の方が君にひどい事をしていた。これを買うの恥かしかったでしょ?」
そう訊ねると蒼くんはみるみるうちに真っ赤になった。
「恥ずかしかったよ」
口を尖らせて、いつものように可愛い顔をする。僕はその頭を掻きこんだ。
「康平?」
「ごめん。ごめん」
僕はべそをかいて謝った。
蒼くんが、そろそろと僕の頭を撫でた。僕は、尚更泣きたくなった。
「君が欲しい」
「え…?」
蒼くんの体が硬直する。
「あ、そういう意味じゃない。僕は、君が好きだから、その全部が欲しいって意味で、僕の気持ちを受け取って欲しいって意味だから」
もう、何を言っているのか分からない。
僕は、そろそろと蒼くんの体に手をまわした。蒼くんは抵抗せずにおとなしくじっとしていた。
「最初からやり直したい」
恐る恐る聞くと、
「うん…」
と、小さくはにかんだ笑みで蒼くんが頷いた。
「好きだよ。誰よりも、自分よりも蒼くんが好きだよ」
そう言うと、蒼くんはぎゅっと僕にしがみついた。
「セ、セックスフレンドとは二度と会わないか?」
震える声で言う。僕は何度も頷いた。
「会わない。誓う。君以外の人とは寝ない。約束するよ」
「絶対か?」
「うん」
「なら……。いいよ」
にこっと蒼くんがほほ笑む。僕は胸がきゅんと鳴った。愛しいと感じる。
「ありがとう」
蒼くんは心が広い。僕みたいなろくでなしを許してくれるなんて。
「俺も…お前が好きだから」
僕は涙が出た。
「何で…泣くんだよっ」
蒼くんが驚いて体を起こした。
「うれしくて……死にそうだよ」
「ばか……」
言ってから蒼くんが笑った。僕は彼を抱き寄せながら、バッグの中の箱を取り出した。十二個入りの箱が十五個もある。
「これだけじゃ足りないや」
僕が言うと、
「えっ?」
と蒼くんがギョッとした顔をした。
「た、足りなかった?」
「うん。でも、大丈夫、これからは僕が買うから、君は何も心配しなくていい」
「ばか……」
はにかんだ笑顔。
蒼くん、君が本当に好きなんだよ。
僕は食べてしまいたいほどに愛しい彼に口づけをした。
「ねえ、どうしてほしい?」
囁くと、蒼くんはしばらく黙ってから、ぽつりと言った。
「俺だけを愛して……」
「うん」
「全部、使っていい?」
囁くと、
「え?」
蒼くんがびっくりして体を引く。
僕は愛しくてその目尻にキスをした。
「君が好きだから、これは君のために使いたい」
「ま、待って…」
蒼くんをどさっと押し倒すと、彼は身をすくめた。
「ちょ、ちょっと待って……」
「嫌だ」
僕はわがままだ。蒼くんが僕の事を好きだと言うのなら、どんな事があっても手放すつもりはない。
「でも、最初だから、ちょっとずつにするね」
僕が耳元で囁くと、蒼くんがぷっと吹き出した。
「ばーか」
蒼くんの言葉は、全て僕にとっては魔法の言葉だ。
「もっと、言って」
蒼くんが声を上げて笑った。