第七話「消えた燈也」
大学生活が始まって、半年ほどが経った。
赤石燈也の生活は充実していた。
講義を受け、友人たちとくだらない話をし、空いた時間には情報工学の勉強をする。
大学に入ってから本格的に触れ始めたプログラミングも、赤石は驚くほどの速さで吸収していった。
教授から出された課題を終えるのも早い。
周囲から質問されることも増えた。
高校時代と同じだった。
どこへ行っても人に囲まれ、
どこへ行っても、何でもできる。
ただ――
一つだけ違う。
隣に藍染がいない。
「……」
講義を終えた赤石はスマートフォンを見る。
藍染とのトーク画面。
数ヶ月前。
『大学どうよ?』
既読。
返事はない。
その後も何度か送った。
『薬学部忙しい?』
『今度飯でも行こうぜ』
『生きてるかー?(笑)』
最初の頃は、たまに短い返事があった。
『忙しい』
『また今度な』
それだけ。
そしていつしか――
既読すらつかなくなった。
「……あいつ、相変わらずだな」
赤石は苦笑してスマートフォンをしまった。
もともと連絡がマメな男ではない。
高校時代だって、用事がなければ藍染から連絡してくることなどほとんどなかった。
大学も違う。
勉強も忙しいのだろう。
赤石自身、入学してから新しい生活に追われていた。
だから、あえて深く考えなかった。
その日の帰り道。
赤石は久しぶりに、藍染の家の近くを通った。
祖父母から残された、あの家。
幼い頃から何度も遊びに行った場所。
何となく家を見る。
そして――
足が止まった。
「……ん?」
暗い。
時間はまだ、それほど遅くない。
それだけなら何もおかしくない。
だが、赤石には分かった。
何かが違う。
郵便受け。
庭。
窓。
カーテン。
ずっと人が生活していないような、
妙な静けさがあった。
「藍……最近ここ帰ってんのか?」
考えてみれば、大学に入ってから一度も藍染を見ていない。
家が近いのに。
半年間、一度も。
赤石はスマートフォンを取り出した。
『おつかれ!』
文字を打つ。
『最近家にも帰ってないみたいだし忙しくしてんの?
久々に遊ぼうぜ!』
送信。
「まぁ、そのうち返ってくんだろ」
そう言って、赤石は家へ帰った。
――二日後。
返事はない。
既読もつかない。
三日後。
変わらない。
一週間後。
赤石はもう一度、トーク画面を開いた。
未読。
「……」
いつものこと。
そう思おうとした。
だが――
違う。
赤石には分かっていた。
藍染はレスポンスが悪い。
自分から連絡してこない。
何日か放置されることだって珍しくない。
でも。
これは何かが違う。
(もともとレスポンス悪いし、確かにそういう奴だけど……)
赤石は画面を見つめる。
(なんか違う……)
嫌な予感がした。
事故。
病気。
あるいは何かのトラブル。
考えれば考えるほど、不安が大きくなっていく。
そして赤石は決めた。
直接、藍染の大学へ行く。
数日後。
赤石は藍染が通っているはずの大学を訪れていた。
「すみません」
教務課の職員に声をかける。
「人を探してるんですけど」
「学生ですか?」
「はい。薬学部の――」
赤石は迷わず名前を告げた。
「藍染燈也です」
職員がパソコンを操作する。
「藍染……燈也さんですね」
「はい」
検索。
職員の手が止まった。
「……?」
もう一度入力する。
赤石はその様子を見ていた。
「どうしました?」
「少々お待ちください」
別の画面を開く。
再び検索する。
職員の表情が少しずつ変わっていく。
「……おかしいですね」
「何がですか?」
「その名前の学生が見当たりません」
赤石が眉をひそめる。
「いや、薬学部です」
「確認しています」
「今年入学してます」
「……」
職員はもう一度調べた。
しかし――
結果は同じだった。
「藍染燈也という学生は、在籍していません」
「……は?」
赤石の表情が変わる。
「いやいや、そんなわけないでしょ」
「ですが記録には――」
「特待で入ってるはずです。成績もトップクラスのはずで――」
「申し訳ありません」
職員は首を振った。
「そのような学生の記録はありません」
赤石は言葉を失った。
入学記録。
学籍番号。
成績。
そのどこにも――
藍染燈也という名前が存在しない。
「……なんだそれ」
赤石は教務課を出た。
しかし、帰る気にはなれなかった。
聞いていた薬学部の教授を探し、直接尋ねる。
「すみません。藍染燈也って学生、知ってますよね?」
「藍染?」
教授が考える。
「……うちにそんな学生いたかな?」
「は?」
赤石の声が低くなる。
「いや、いましたよ」
「……?」
「半年前に入学してるんです」
学生リストを確認してもらう。
やはり――
名前はない。
「そんなわけねぇだろ……」
赤石の中で、不安が確信へと変わり始めていた。
何かが起きている。
ただ連絡が取れないだけじゃない。
藍染燈也という人間そのものが、
この大学から消えている。
その時だった。
赤石は、開いていた研究室の前を通りかかる。
「……」
足が止まった。
机の上。
一冊のノートが置かれていた。
何気なく見えた文字。
赤石の目が見開かれる。
「……藍?」
間違えるはずがなかった。
幼い頃から何度見てきたか分からない。
藍染の筆跡だった。
机には、いくつかの薬瓶も残されている。
赤石がノートへ近づく。
だが――
その内容を見ても、何が書いてあるのかほとんど理解できなかった。
細胞。
遺伝子。
組織。
死滅。
再生。
薬学だけではない。
いくつもの分野が入り混じっている。
「なんだよ……これ」
確かに、藍染はここにいた。
なのに。
大学には、藍染がいたという記録だけがない。
数日後。
赤石は自宅のパソコンを開いていた。
検索欄に入力する。
『藍染燈也』
何度検索しても、大した情報は出てこない。
「……何してんだよ、藍」
その時だった。
検索結果が更新される。
見慣れた名前が表示された。
赤石の目が止まる。
「……え?」
数日前にはなかった。
新しく発表された一本の論文。
著者。
藍染燈也。
赤石は慌てて開く。
そして――
そのタイトルを見た。
『人間細胞における抗死滅性遺伝子の活性化』
「……」
大学には存在しない。
連絡もつかない。
家にも帰っていない。
それなのに――
藍染燈也の名前で、
新しい研究成果だけが世界に現れた。
赤石はモニターを見つめた。
「消えたのに……」
「生きてる」
そして、
論文の内容をスクロールする。
赤石には専門外だった。
それでも一つだけ分かる。
高校を卒業して、まだ半年。
たった半年で――
親友は、自分の想像を遥かに超える場所まで進んでいる。
「しかも……」
赤石は小さく呟いた。
「前よりずっと先に行ってる……」
スマートフォンを手に取る。
藍染とのトーク画面を開いた。
そして、文字を打つ。
『よう!
この前お前の大学行ったら藍染燈也なんて入学してないって言われたんだけど、なんか面白い遊びでもしてんのか!』
少し考えて、続ける。
『さすがに焦ったぜ!
その後、論文発表されてるしドッキリ大掛かりすぎな!(笑)
忙しそうだけどたまには連絡返せよ!』
送信。
赤石はしばらく画面を見つめていた。
「藍……」
「この半年で、一体何があったんだよ」
――未読。
そのメッセージが、
既読になることはなかった。
同じ頃。
場所も分からない、薄暗い研究室。
机には大量の資料。
無数の薬瓶。
そして、一人の青年。
藍染燈也。
その腕には、いくつもの注射痕が残っていた。
首元にはアザ。
服の下にも、
自らの身体を使って実験を繰り返した痕跡が広がっている。
藍染は顕微鏡を覗く。
しばらく無言で観察する。
そして――
ゆっくりと顔を上げた。
その口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
「……やっと」
藍染は呟いた。
「行けそうだ」
机の端。
スマートフォンの画面が一瞬だけ光る。
赤石燈也
その名前が表示されていた。
藍染は――
画面を見ない。
そのまま、次の薬瓶へ手を伸ばした。




