第六話「覚醒の燈」
春。
二人の燈也は、それぞれの大学生活を始めた。
高校を卒業するまで、ほとんど毎日のように一緒にいた二人。
だが今――
その隣に、互いの姿はない。
「赤石! 次の講義こっちだぞ!」
「分かってる! ちょっと待って!」
大学のキャンパスを、赤石燈也が走っていた。
入学してまだ間もないというのに、すでに何人もの友人に囲まれている。
それは高校時代と何も変わらなかった。
頭が良く、明るく、誰とでもすぐに打ち解ける。
気付けば自然と輪の中心にいる。
それが赤石燈也という男だった。
「そういや赤石、お前なんで情報工学選んだの?」
友人の一人が聞いた。
「ん?」
赤石は少し考えてから笑った。
「色々できそうだから」
「雑すぎるだろ」
「ハハッ! でもマジだよ」
コンピューター。
AI。
データ解析。
プログラミング。
これから先、あらゆる産業に関わるであろう技術。
赤石には、まだ具体的に作りたいものがあるわけではなかった。
ただ、一つだけ決めていることがある。
いつか。
藍染と再び一緒になった時――
どんなことをしていたとしても、隣で戦える人間になっていること。
(藍は薬学だったよな)
(あいつが何やりてぇのか、結局教えてくれなかったけど)
赤石はスマートフォンを取り出した。
藍染とのトーク画面。
卒業後も、何度か他愛のないメッセージを送っていた。
返事は遅い。
時には翌日。
時には数日後。
それでも、それは昔からだった。
『大学どうよ?』
短いメッセージを送る。
「赤石ー! 置いてくぞ!」
「今行く!」
スマートフォンをポケットへしまう。
赤石は仲間たちのもとへ走っていった。
新しい友人。
新しい知識。
新しい生活。
赤石燈也の大学生活は、希望に満ちていた。
――その頃。
藍染燈也は、一人だった。
薬学部。
講義室の一番後ろ。
藍染は教授の話を聞きながら、ノートに文字を書き続けていた。
だが――
教授が黒板に書いている内容とは違う。
薬物動態。
細胞生物学。
分子遺伝学。
遺伝子発現。
ウイルスの増殖機構。
そして、
細胞死。
大学一年生のノートとは思えないほど、異なる分野の情報が一冊に入り乱れていた。
隣の学生が、ちらりとノートを見る。
「藍染、それ何の授業?」
「別に」
「いや、今そんな内容やってなくない?」
「そうだな」
「……?」
藍染はそれ以上答えなかった。
高校時代とは明らかに違っていた。
話しかけられれば笑い、いつも誰かが周囲にいた高校時代。
しかし大学では、自分から人と関わろうとしない。
必要最低限の会話。
必要最低限の人間関係。
休み時間になれば、一人で論文を読む。
講義が終われば、すぐに姿を消す。
容姿も頭脳も目立つ。
それなのに誰も、藍染燈也という人間をよく知らなかった。
やがて周囲では、
「何考えてるか分からない奴」
「謎の天才」
そんな印象が定着し始めていた。
だが藍染にとって、どうでもいいことだった。
友達を作るために大学へ来たわけではない。
薬剤師になるためだけでもない。
藍染には――
やることがあった。
講義を終えた藍染は、大学の図書館へ向かった。
机の上に何冊もの専門書を積み上げる。
薬学。
生物工学。
遺伝子工学。
医学。
免疫学。
専攻の境界など関係なかった。
必要なら学ぶ。
ただそれだけ。
ページをめくる手が止まる。
藍染の視線が、一つの文章に向けられた。
細胞死と組織再生。
しばらく、その文字を見つめる。
そしてノートを開いた。
何かを書き始める。
一つの仮説。
そこから矢印を伸ばす。
新しい仮説。
さらに矢印。
否定。
修正。
再構築。
その速度は、まるで頭の中にすでに答えが存在し、それを書き写しているかのようだった。
やがて――
藍染の手が止まった。
「……違うな」
小さく呟き、数ページ分を一気に線で消す。
そして、最初から組み直す。
数時間後。
窓の外は暗くなっていた。
図書館から人の姿が減っていく。
それでも藍染だけは動かなかった。
スマートフォンが震える。
画面を見る。
赤石からだった。
『大学どうよ?』
藍染は数秒、画面を見つめた。
高校時代の帰り道が頭をよぎる。
――お互いレベルアップして、また一緒に! な!
藍染はスマートフォンを伏せた。
返事はしなかった。
再びノートへ視線を落とす。
そこには薬学部の講義ではまだ扱わないような専門用語が並んでいる。
その中の一つを藍染は指でなぞった。
「細胞の死滅」
「死ぬって――」
藍染が呟く。
「なんだ?」
心臓が止まることか。
脳が機能を失うことか。
細胞が壊れることか。
なら。
その境界を、人間の手で動かすことができたら?
藍染は新しいページを開いた。
真っ白な紙の一番上に、
一つの言葉を書く。
『死滅した細胞の再構築』
ペンを置く。
しばらく、その文字を見つめる。
そして――
藍染の口元が、
ほんのわずかに上がった。
「……面白ぇ」
誰もいない図書館の片隅。
この時、
世界の誰一人として知らなかった。
一人の青年が考え始めたこの小さな仮説が、
やがて世界中の人間を巻き込むことになるなど――。
もちろん赤石燈也もまだ知らない。
親友が、自分とはまったく違う場所へ進み始めていることを。




