第四十五話「最後の警告」
藍染燈也の死亡が確認されてから翌日。
赤石は再び、藍染の研究室にいた。
「…………」
机。
棚。
モニター。
残された資料。
一度は見たものばかりだった。
それでも赤石は、一枚ずつ資料を確認していく。
「何かあるだろ……」
藍染が何も残さずに死んだとは思えなかった。
抗ウイルス試薬Aを作った人間だ。
完成には至っていなかったとしても、その過程まで消えるわけじゃない。
「何でもいい……」
「何か残ってねぇのかよ、藍」
赤石は探し続けた。
一日。
二日。
研究室と解析施設を行き来しながら、ほとんど眠らずに資料を読み続けた。
だが、見つからない。
試薬Aの組成。
製造方法。
実験結果。
どれも核心になる情報がない。
そして三日目。
赤石は藍染の椅子に座り、机を見つめていた。
「…………」
何度見ても同じだった。
綺麗に整理された研究室。
残された資料。
薬瓶。
シュレッダー。
だが、試薬Aに関する核心だけが見つからない。
「……何も残してねぇのかよ」
赤石が小さく呟く。
三日間。
何度探しても、何も出てこなかった。
「…………」
赤石は椅子にもたれ、目を閉じた。
そしてふと、藍染と最後に会った日のことを思い出した。
――――――――――
『全部終わったら会社作るぞ』
『勝手に決めんな』
『俺は昔から勝手だろ』
『知ってる』
二人は笑いながら歩いた。
そして、分かれ道。
昔も何度もここで別れた。
『じゃあな』
『あぁ』
『今度は六年消えんなよ』
藍染が笑う。
『努力する』
『努力じゃねぇ!』
赤石が笑いながら背を向ける。
数歩、歩いた。
その時。
『赤』
藍染が呼んだ。
赤石が振り返る。
『ん?』
藍染はしばらく何も言わなかった。
『……』
『なんだよ?』
そして。
『いや』
藍染はいつものように笑った。
『またな』
赤石も笑う。
『あぁ』
『またな、藍』
――――――――――
「…………」
赤石がゆっくりと目を開けた。
あの時、藍染は自分を呼び止めた。
なのに何も言わなかった。
「……なんだったんだよ、あれ」
今まで深く考えたことはなかった。
何か言おうとして、やめた。
ただそれだけだと思っていた。
だが、あの日、藍染と別れる直前。
二人は――
「…………」
赤石が顔を上げる。
唐揚げ定食。
最後に二人で飯を食った、あの店。
『赤』
あの声がもう一度、頭の中で響く。
「……まさか」
赤石が立ち上がった。
椅子が後ろへ動く。
上着を掴み、そのまま研究室を飛び出した。
――――――――――
街にはほとんど人の姿がなかった。
赤石は閉鎖された街を一人歩いていた。
向かっている場所に確信なんてない。
藍染が何かを残した証拠もない。
ただ、あの日。
藍染は自分を呼び止めた。
そしてその直前まで、二人がいた場所。
今の赤石には、そこしか思い浮かばなかった。
しばらくして足を止める。
目の前にはシャッターの下りた定食屋。
藍染と最後に唐揚げ定食を食べた店だった。
「…………」
当然、営業はしていない。
赤石はしばらく店を見つめた。
「……さすがに違うか、関係ないよな」
小さく息を吐き、背を向けようとした。
その時。
「……赤石さん?」
「え?」
赤石が振り返る。
そこにいたのは店の女将だった。
「赤石燈也さん……ですよね?」
「そうですけど……」
女将はその言葉を聞いた瞬間、ほっとしたように息を吐いた。
「よかった……」
「……俺を知ってるんですか?」
「藍染さんから聞いてます」
「それに昔よく食べに来てくれていましたよね」
「…………え?」
赤石の身体が止まった。
「数日前、藍染さんが一人で来たんです」
「藍が……?」
「はい」
女将は少し間を置いてから続けた。
「もし赤石がここに来たら、渡してほしいものがあるって」
「…………」
赤石は何も言えなかった。
女将は一度店の中へ入り、しばらくして一つの封筒を持って戻ってきた。
「事件のあと、渡さなきゃって思ったんですけど……」
「私、赤石さんがどこにいるのか知らなくて」
「テレビにも出てないでしょう?」
「だから、ここに来てくれるのを待つしかなくて……」
赤石はゆっくりと封筒を受け取った。
「……藍」
手が僅かに震える。
三日間。
世界中の研究者が探しても見つからなかったもの。
それを藍染は、研究所ではなく。
二人が最後に飯を食ったこの場所に残していた。
「中、使いますか?」
女将の言葉に赤石は小さく頷いた。
――――――――――
誰もいない店内。
赤石はあの日と同じ席に座っていた。
向かいの席には誰もいない。
赤石は封筒を開けた。
中には数枚の資料が入っている。
そして一番上には、藍染の字で短い文章が書かれていた。
『赤へ』
『ここに辿り着くとは、やるね。』
「…………」
赤石は僅かに口元を緩めた。
「何様だよ……」
そして、その先を読む。
『もし、いまこれを読んでたら、俺はもういないってことか、それに近い状況ってことだな。』
赤石の手が止まる。
つい数日前まで聞いていた藍染の声が、その文字から聞こえてくるようだった。
赤石は唇を強く噛む。
再び目に涙が滲んだ。
「……藍」
赤石は涙の滲んだ目で、その文字を見つめる。
そして僅かに口元を緩めた。
「さすがだよ、お前……」
「ちゃんと残してんじゃん」
震える声でそう呟く。
「どこまで先が読めてんだよ……」
目元を拭いながら、赤石は小さく笑った。
悲しいはずなのに。
悔しいはずなのに。
それでも今だけは、昔と変わらない藍染がそこにいるような気がした。
「……ほんと、敵わねぇな」
赤石は一度大きく息を吐くと、資料へ視線を戻した。
『ここには、まだ確証を持てない考察だけ書いてある。』
『まだ研究は途中段階で、経過を見ないと判断できない。』
『だから今の段階では、これが正しいとは俺にも言い切れない。』
『ただ、もし俺がいない状況で試薬Aが誰かの手に渡っていたら、この考察を無視しないでほしい。』
「…………」
赤石の表情が変わった。
試薬A。
藍染が撃たれたあの日、研究所から奪われた十本。
赤石は次の資料を手に取った。
そして。
そこに記されていたのは。
抗ウイルス試薬Aに関する、あまりにも衝撃的な考察だった。




