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第四十四話「希望の死」

藍染燈也が撃たれてから二日。


世界は未だ、その現実を受け入れられずにいた。



《藍染燈也氏 捜索続く》


《現在も発見には至らず》


《感染者数 増加続く》



各国の研究機関では昼夜を問わず解析が続けられていた。


しかし藍染がいなくなった穴は、あまりにも大きかった。



「ダメです! 既存の試薬では反応がありません!」


「こっちも同じだ!」


「発症速度に解析が追いつかない!」



世界中から送られてくるデータ。


鳴り続ける電話。


各国政府からの問い合わせ。



「治療法はまだなのか」


「藍染氏の研究データは残っていないのか」


「試薬Aを再現できないのか」



研究員たちは必死に答えを探していた。


だが、誰一人として答えを出せない。



藍染の研究室に残されていた資料も調べられていた。


異様なほど綺麗に整理された棚。


残された資料。


薬瓶。


シュレッダー。



何度調べても、そこにあるのはこれまでの研究に関するものばかりだった。



抗ウイルス試薬A。


その詳細な製造方法も、何を基に作られたものなのかも分からない。



「……本当にこれだけなのか?」


研究員の一人が資料をめくる。


「試薬Aを作った人間の研究室だぞ」


「何か残ってるはずだろ……」



別の研究員がモニターを見る。



《218,731,405》



数分後。



《219,084,712》



「……また増えた」



誰かが小さく呟いた。



藍染はいない。


試薬Aもない。


作り方すら分からない。



それでも感染者だけは増え続けていた。



――――――――――



世界各地の病院では、すでに限界を超え始めていた。


隔離区域から聞こえる異様な物音。


壁や扉に身体をぶつける音。


人間のものとは思えない声。



「隔離区域には入らないでください!」


「でも中に家族がいるんです!」


「危険です! 下がってください!」



家族の名前を叫ぶ者。


その場に座り込み泣き続ける者。


何もできず、隔離区域の扉を見つめ続ける者。



医師も看護師も休むことなく動いている。


それでも次々と運ばれてくる感染者に、対応が追いつかない。



待機スペースのテレビには、藍染の捜索状況が映し出されていた。



《捜索範囲をさらに下流へ拡大》


《警察・消防による捜索続く》



「……まだ見つからないのか」


感染者の家族の一人が呟いた。



「あの人がいなくなったら……」



その先を言う者はいなかった。



誰もが分かっていた。


これまで何度、世界があの男に救われてきたのか。



――――――――――



街から人の姿は消えていた。


閉鎖された駅。


シャッターの下りた飲食店。


誰もいない学校。


稼働を停止した企業や工場。



かつて人で溢れていた場所は静まり返り、世界から日常そのものが消えようとしていた。



人々は外出を避け、それぞれの家からニュースを見つめている。



《221,482,116》


《222,017,309》


《222,806,471》



感染者数は増え続ける。



『藍染は本当に死んだの?』


『まだ生きてるだろ』


『頼むから早く見つけてくれ』


『あの人しかいないんだよ』


『試薬Aもなくなったんだろ?』


『じゃあ誰が止めるんだよ』



藍染が川へ落ちてから二日。


遺体は見つかっていない。



だからこそ世界には、まだ僅かな希望が残っていた。



どこかで川から上がっているかもしれない。


重傷を負い、動けずにいるだけかもしれない。


いつものように突然姿を現して、また世界を救ってくれるかもしれない。



根拠なんてなかった。


それでも人々は、その僅かな可能性に縋っていた。



その時、テレビ画面が切り替わった。



《速報》



ニュース速報を知らせる音が響く。



《河川敷で男性の遺体を発見》



各家庭でニュースを見ていた人々が息を呑む。


病院で待ち続けていた家族たちが顔を上げる。


研究員たちの手も止まった。



《藍染燈也氏が転落した地点から数十キロ下流》



「…………」



誰も言葉を発しない。



まだ藍染だと決まったわけじゃない。


別人かもしれない。



世界中の人間が、同じことを願った。



――――――――――



赤石も速報を見ていた。



モニターに映っている河川敷。


ブルーシート。


その周囲を行き交う警察官。



「…………」



赤石は画面から目を離せなかった。



昨日、藍染の研究室へ行った。


誰も座っていない椅子を見た。


綺麗に整理された棚を見た。



それでもどこかでまだ、生きていると思っていた。



いや、そう思いたかった。



「……違うだろ」


赤石が小さく呟く。


「藍じゃねぇだろ……」



返事をする者はいない。



続報はなかなか入らなかった。



十分。


三十分。


一時間。



赤石は何度も仕事へ戻ろうとした。


データを見る。


キーボードに手を置く。



だが数分もしないうちに、ニュース画面へ視線が戻ってしまう。



そして数時間後。



再び速報を知らせる音が鳴った。



《速報》



赤石の手が止まる。



《河川敷で発見された遺体について警察が身元を確認》



周囲にいた研究員たちもモニターを見る。



赤石は立ち上がることもできず、ただ画面を見つめていた。



そして。



《藍染燈也氏と確認》



「…………」



赤石は何も言わなかった。



ゆっくりと下を俯く。



両手を強く握りしめた。



「……藍」



握った拳が震える。



堪えようとしているのか。


受け入れまいとしているのか。



自分でも分からなかった。



ただ、俯いた赤石の目から涙が次々と落ちていく。



昨日。


研究所で泣いた。



それでも心のどこかには、まだ残っていた。



生きているかもしれない。


また会えるかもしれない。



あいつなら、もしかしたら。



そんな僅かな希望が、今、完全に消えた。



「……嘘だろ」



赤石は俯いたまま、さらに強く拳を握りしめた。



「本当に……」


「死んだのかよ……」



涙が床へ落ちる。



「……赤石」



隣にいた同僚が、静かに赤石の肩へ手を置いた。



もう一人の同僚も何かを言おうとしたが、言葉が出なかった。



誰も慰める言葉を見つけられない。



赤石も顔を上げない。


ただ肩に置かれた手を振り払うこともなく、俯いたまま涙を流し続けていた。



その時。


ふと、昔の藍染の顔が浮かんだ。



高校時代。


進む大学の話をしていた時だった。



『なんでお前、そこまで“俺と”にこだわんだよ?』



藍染にそう聞かれて、赤石は何を当たり前のことを聞いているんだという顔で答えた。



『だって物心ついた時からずっと“お前と”いたじゃん』



そして笑った。



『朝起きたら顔洗うだろ? 一緒だよ(笑)』



珍しく、藍染が心から笑った。



『お前頭いいけどバカだな(笑)』



「…………」



赤石の握った拳が震えた。



当たり前だった。


あまりにも当たり前すぎて、藍染がいない人生なんて一度も考えたことがなかった。



朝起きたら顔を洗う。


腹が減ったら飯を食う。



そして。


隣には藍染がいる。



それくらい、赤石にとっては当たり前のことだった。



なのに、もういない。



「……一緒じゃなかったのかよ」



声が震える。



また一粒、涙が床へ落ちた。



――――――――――



藍染燈也の死亡を伝える速報は、瞬く間に世界を駆け巡った。



《藍染燈也氏 死亡》


《世界各国から追悼の声》


《人類を救い続けた研究者》



家の中でニュースを見ながら泣き出す者。


病院で崩れ落ちる家族。


研究施設で言葉を失う研究員たち。



昨日まで世界中が願っていた。



藍染を見つけてくれ。


生きていてくれ。



もう一度。


世界を救ってくれ。



その願いは届かなかった。



そして。



《226,718,304》



感染者数が更新される。



《227,091,552》



また増える。



《227,604,118》



藍染燈也は死んだ。



だが、ウイルスは止まらない。



世界を救い続けた男がいなくなったその日も。



感染者数だけは。



何事もなかったかのように増え続けていた。

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