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第三十五話 千という数字

翌朝。


世界累計感染者数。


1000。


数字は変わっていなかった。


昨夜、世界各地でほぼ同時に発症した感染者たち。


日本。


アメリカ。


ドイツ。


フランス。


ブラジル。


中国。


インド。


イギリス。


オーストラリア。


他にも複数の国で感染者が確認された。


その数は凄まじい速度で増え続け。


1000人。


そこで止まった。


一晩経っても。


1001人目は現れなかった。


――――――――――


朝のニュースは、その話題一色だった。


『現在までに確認された感染者は、世界全体で1000人です』


画面には大きく数字が表示される。


《1000》


『昨夜から新たな感染者は確認されていません』


司会者が専門家を見る。


『先生』


『これは封じ込めに成功したと考えていいのでしょうか?』


「現時点では何とも言えません」


『しかし、もう十時間以上増えていません』


「それでもです」


専門家は首を振る。


「今回の発症は、これまでとは明らかに違います」


画面が世界地図へ切り替わる。


無数の赤い点。


「感染が一つの地域から広がった形ではありません」


「ほぼ同じ時間帯に、世界各地で発症しています」


『では、なぜ1000人で止まったのでしょうか?』


「……それが分かりません」


司会者が少し黙る。


そして。


『インターネット上では』


『何者かが意図的に1000人を感染させたのではないか、という声も出ています』


専門家の表情が曇る。


『感染者数が、あまりにも綺麗な数字だからです』


画面にSNSへの投稿が映し出される。


《なんで1000人ぴったり?》


《偶然でこんな止まり方する?》


《誰かが人数決めてるんじゃないの?》


《1000人で止められるなら、10000人にもできるってこと?》


《次は自分かもしれない》


それまでとは違う恐怖が、少しずつ世界に広がり始めていた。


ウイルスそのものへの恐怖ではない。


その向こう側に。


誰かがいるのではないか。


そんな恐怖だった。


――――――――――


赤石は会社で、そのニュースを見ていた。


「……やっぱみんな思うよな」


同僚がコーヒーを置く。


「昨日お前が言ってたのと同じだな」


「あぁ」


赤石はモニターを見る。


《世界累計感染者数 1000》


「でも分かんねぇ」


「何が?」


「目的だよ」


赤石が椅子にもたれる。


「仮に誰かがやってるとして」


「なんで1000人なんだ?」


「実験って言ってたじゃん」


「だから何の実験だよ」


同僚が黙る。


「感染力を調べたいなら、止める必要なんかない」


「薬への耐性なら感染者を世界中に散らす必要もない」


「人間の反応を見るなら……」


赤石の言葉が止まった。


「……人間の反応?」


「いや」


赤石は首を振る。


「まだ何も分かんねぇ」


昨日から何度考えても、答えは出ない。


ただ一つ。


1000という数字だけが、頭から離れなかった。


――――――――――


その日の午後。


世界各国の研究機関によるオンライン会議が開かれた。


感染症研究者。


医療機関。


各国の研究チーム。


そして、藍染燈也。


議題の一つは当然。


1000人。


「人為的な感染の可能性を考えるべきではないでしょうか」


一人の研究者が言った。


「世界各地でほぼ同時に発症し、1000人で停止した」


「自然発生としては不自然です」


別の研究者も頷く。


「私も同意します」


「過去の感染でも、発生地域や人数に規則性が見られました」


「今回の1000人は、それがより明確になったとも考えられます」


何人かが同意する。


やがて。


「藍染さんはどう思いますか?」


藍染に視線が集まった。


「……」


藍染は少し考える。


「現時点で」


「1000という数字だけを根拠に、人為的だと判断するのは危険だと思います」


「なぜです?」


「俺たちが見ているのは」


「確認された感染者数だからです」


研究者たちが黙る。


藍染が続ける。


「現在確認されている感染者が1000人」


「それと」


「実際に感染している人間が1000人」


「これは同じ意味じゃない」


「未確認の感染者がいる可能性……ですか?」


「はい」


藍染が画面を見る。


「まだ発症していない人」


「症状が軽く、医療機関を受診していない人」


「感染していても検査されていない人」


「……」


「そういう人間が一人でも存在すれば」


「実際の感染者数は1000人ではありません」


一人の研究者が腕を組む。


「確かに……」


藍染は続ける。


「もう一つ」


「1000という数字は」


「人間にとって綺麗な数字です」


「……?」


「例えば」


「997人で止まっていたら」


「俺たちは同じ疑いを持ったでしょうか」


研究者たちが黙る。


「1000という数字を見たから」


「誰かが1000人にした、と考えている可能性もある」


「数字そのものに意味を感じてしまっている?」


「その可能性はあります」


藍染は淡々と話す。


「もちろん」


「人為的な可能性を否定しているわけではありません」


「……」


「ただ」


「今ある情報だけで犯人の存在を前提に研究を始めれば」


「本当に見るべきものを見落とすかもしれない」


研究者が聞く。


「では、今見るべきものは?」


「発症した1000人です」


藍染が即答する。


「なぜこれほど近い時間に発症したのか」


「感染した時期はいつなのか」


「1000人に共通するものはあるのか」


「まずはそこを調べるべきだと思います」


研究者たちが頷く。


「確かに」


「まず感染者そのものの解析が必要ですね」


「各国のデータを統合しましょう」


議論の方向が変わっていく。


誰かが1000人を選んだ。


その仮説は消えてはいない。


だが。


証拠もない。


そして藍染の説明には、十分な説得力があった。


――――――――――


赤石もオンラインで会議を見ていた。


「……」


同僚が横から言う。


「言われてみりゃそうだな」


「何が?」


「1000人って」


「確認された人数なんだろ?」


「あぁ」


「だったら本当は1003人とかいるかもしれない」


「そうだな」


「997人だったら、お前もここまで気にしなかったんじゃね?」


赤石は答えなかった。


藍染の言っていることは正しい。


少なくとも。


間違っているとは言えない。


1000という数字を見て。


そこに人間の意思を感じた。


それだけなのかもしれない。


「……」


赤石はモニターを見る。


1000。


「赤石?」


「ん?」


「納得した?」


赤石は少し考えた。


「理屈はな」


「じゃあ何だよ」


「分かんねぇ」


赤石は画面から目を離さない。


「でも」


昨夜。


999から1000へ変わった瞬間。


そして。


そこから一度も動かなくなった数字。


「やっぱ気持ち悪ぃんだよ」


――――――――――


それからも各国で調査は続いた。


感染者同士の接触。


渡航歴。


生活圏。


食事。


利用した施設。


発症までの行動。


考えられるものは、片っ端から調べられた。


だが、1000人全員を結びつけるものは見つからない。


そして1001人目も現れなかった。


一日。


1000。


二日。


1000。


三日。


1000。


世界は少しずつ、この数字に慣れ始めていた。


ニュースで1000という数字を見ても。


昨日と同じだと安心する者が増えた。


新たな感染者はいない。


もしかしたら。


本当にこれで終わったのかもしれない。


そんな空気さえ生まれ始めていた。


赤石だけは。


毎朝、同じ数字を確認していた。


1000。


その数字を見るたび。


安心するどころか。


何かが近づいているような気がした。


「……何なんだよ」


答える者はいない。


モニターには今日も。


《世界累計感染者数 1000》


それだけが表示されていた。


世界は止まった数字を見て終わりを期待していた。


だが1000人目で止まったことに意味があるのなら。


この静寂にも意味がある。


そしてまだ誰も知らなかった。


その数字が、再び動き出すことを。

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