第三十四話 千人目
三週間後――。
世界は静かだった。
メキシコ。
一人。
韓国。
一人。
フランス。
二人。
オーストラリア。
二人。
あれから、新しい感染者は一人も確認されていない。
そして今日。
かつて同じ並びの感染が起きた時、世界同時発生が始まった時期に入った。
赤石は朝からモニターの前にいた。
「……今日か」
同僚が隣を見る。
「本当に起きると思ってんの?」
「分からねぇ」
「三週間ずっと何もなかったぞ」
「あぁ」
「薬の方も完成が近いんだろ?」
「らしいな」
「だったら――」
その時だった。
警告音が鳴った。
赤石が振り返る。
「……来た」
画面に新しい感染情報が表示される。
《日本 感染者確認》
「人数は!?」
「十二人!」
赤石が立ち上がる。
「十二……?」
一人でもない。
二人でもない。
最初から十二人。
その直後。
別の警告。
《アメリカ 31名》
さらに。
《ドイツ 18名》
《フランス 27名》
《ブラジル 44名》
「待て……」
次々と画面が更新される。
《中国 63名》
《インド 71名》
《イギリス 19名》
《オーストラリア 24名》
「なんだこれ……」
同僚たちが一斉に動き始める。
「感染経路を出せ!」
「各国の発症時刻!」
「最初の感染者は!?」
「追いつきません!」
「新しい報告が多すぎます!」
世界地図に赤い点が増えていく。
一つ。
十。
百。
数分前まで静かだった世界が、一瞬で赤く染まり始める。
《世界感染者数 102》
数字が変わる。
《186》
《274》
《391》
「速すぎる……」
《527》
「感染が広がってる速度じゃないぞ」
《683》
「赤石!」
《811》
「これ……!」
《927》
赤石は何も答えない。
ただ数字を見ていた。
《981》
《993》
《998》
《999》
そして。
《1000》
「……」
研究室が静かになった。
だが、それはほんの一瞬だった。
「次は!?」
「新規報告を確認!」
「各国全部更新しろ!」
「まだ増えるぞ!」
全員が次の数字を待った。
しかし。
《1000》
変わらない。
一分。
《1000》
三分。
《1000》
十分。
《1000》
「……増えない?」
誰かが呟いた。
三十分後。
《世界累計感染者数 1000》
一時間後。
《世界累計感染者数 1000》
「……なんだよこれ」
赤石が椅子に座る。
世界中で。
ほぼ同時に。
異なる国で。
異なる生活をしている人間たちが発症した。
それなのに。
千人目を最後に。
一人も増えない。
同僚が言う。
「封じ込めた……?」
「違う」
赤石が即答した。
「え?」
「こんな短時間で世界中に広がったウイルスを」
「千人目が出た瞬間に封じ込められるわけねぇだろ」
赤石は感染者の発症時刻を表示する。
数分。
数十分。
ほとんど同じ時間帯に集中している。
そして。
三週間前に自分が見つけたデータを開いた。
《発症前24時間以内》
《単独行動時間の有意な増加》
「……そういうことか」
「何が?」
赤石は世界地図を見る。
「今日、世界中に感染したんじゃない」
「……?」
「こいつら」
「もっと前から感染してたんだ」
同僚の表情が変わる。
「潜伏してたってことか?」
「あぁ」
「それで今日、ほぼ同時に発症した」
「でもそんなこと……」
「自然に起きると思うか?」
誰も答えない。
赤石は再び数字を見る。
1000。
「しかも」
「なんで千人なんだよ」
「……」
「999人でもない」
「1001人でもない」
画面には変わらない数字。
《1000》
赤石の表情が険しくなる。
「感染が止まったんじゃない」
「……」
「止めたんじゃねぇのか?」
同僚が赤石を見る。
「誰が?」
「分からねぇよ」
赤石は世界地図を睨む。
「でも」
「もし誰かがこれをやってるなら……」
世界各地に表示された千人の感染者。
その発症時刻。
人数。
そして、千人目で止まった感染。
「こいつ」
「世界中の千人を使って……」
赤石の手が止まる。
「何か試してるんじゃねぇか?」
――――――――――
その日の夜。
藍染のスマートフォンが震えた。
赤石。
藍染は電話に出る。
「もしもし」
『藍』
「どうした?」
『千人のデータ見た?』
「あぁ」
『どう思う?』
「どうって?」
『とぼけんなよ』
「……」
『世界中でほぼ同時に発症して』
『千人ぴったりで止まった』
「そうだな」
『俺さ』
『前に発症前の行動が変わってるって言っただろ』
「あぁ」
『今回の千人も調べ始めてる』
「……」
『まだ全部じゃねぇけど』
『同じ傾向が出てる』
「そうか」
『だから』
『こいつらは今日感染したんじゃない』
『もっと前から感染してた』
「可能性はあるな」
『それだけじゃねぇ』
赤石が少し黙る。
『俺』
『今回の千人』
『誰かが何かを試すために用意したんじゃねぇかと思ってる』
藍染は何も言わない。
『藍?』
「聞いてる」
『根拠はまだねぇよ』
『でも』
『千人ぴったりなんておかしいだろ』
「……」
『感染を広げたいだけなら』
『千人で止める理由がない』
「そうだな」
『だったら』
『千人で十分だったんじゃねぇか?』
「……」
『何かを確認するには』
『千人いれば十分だった』
数秒の沈黙。
藍染は椅子に座り、モニターを見る。
そこには世界各地で発症した千人のデータが表示されていた。
「赤」
『ん?』
「その仮説」
「捨てない方がいいかもな」
『……やっぱお前もそう思う?』
「可能性の話だよ」
『分かってる』
「千人のデータ、こっちにも送ってくれ」
『もう送った』
「早ぇよ」
『誰だと思ってんだよ』
「クックック」
『笑ってんな』
「助かる」
『おう』
「また何か分かったら連絡して」
『藍もな』
「あぁ」
通話が切れる。
静かな研究室。
藍染はスマートフォンを置いた。
モニターには。
《世界累計感染者数 1000》
その数字が表示されていた。
藍染は画面を見つめる。
そして、赤石から送られてきたデータを開いた。
千人分の記録。
発症時刻。
発症前の行動。
ウイルス反応。
細胞変化。
一つずつ画面を切り替えていく。
「……」
しばらくして藍染は一つのデータを保存した。
そして次の解析画面を開く。
世界中ではまだ誰も知らなかった。
千人ぴったりで止まった感染が終わりなのか。
それとも何かの始まりなのかを。




