第三十三話 六年越しの隣
深夜。
誰もいない研究室に、キーボードを叩く音だけが響いていた。
藍染はモニターに映る新型ウイルスのデータと、過去の研究データを無言で見比べていた。
遺伝子配列。
細胞への侵入経路。
感染後の変化。
過去に生成した薬剤の反応。
一つずつ条件を変え、その結果を記録していく。
時計は午前四時十三分を示していた。
その時、机の上のスマートフォンが震えた。
赤石。
『起きてる?』
藍染は画面を見る。
『起きてる』
『だと思った』
『お前もだろ』
『まぁな』
数秒後、またメッセージが届く。
『今電話いける?』
藍染はスマートフォンを手に取り、そのまま赤石へ電話をかけた。
「もしもし」
『はや』
「電話しろって言ったのお前だろ」
『そうだけどよ』
「どうした?」
『さっき送ってもらった感染者のデータ見てた』
「何かあった?」
『まだ分かんねぇ』
「……」
『ただ』
『やっぱ気になるんだよ』
「何が?」
『今回の並び』
藍染はモニターを見る。
メキシコ。
一人。
韓国。
一人。
フランス。
二人。
オーストラリア。
二人。
『前にもあっただろ』
「あぁ」
『国も人数も順番もほとんど同じ』
「そうだな」
『でも感染経路をどれだけ調べても繋がらねぇ』
「こっちでも同じだ」
『接触歴なし』
『共通の渡航歴なし』
『同じ施設を使った記録もなし』
『食い物も病院も交通機関も生活圏も全部バラバラ』
「……」
『ここまで何もないとさ』
『感染した場所を探すだけじゃダメなんじゃねぇかと思って』
「どういうこと?」
『ちょっと待って』
電話の向こうからキーボードを叩く音が聞こえる。
『今データ送る』
「分かった」
数秒後、データが届いた。
藍染はファイルを開く。
今回確認された六人の感染者。
そして、過去に同じ並びで確認された感染者たち。
『感染した場所じゃなくて』
『感染した人間の方から見てみた』
「……」
『年齢』
『性別』
『職業』
『生活圏』
『交友関係』
『病歴』
『買い物履歴』
『移動履歴』
『SNS』
『とにかく取れるデータ全部ぶち込んだ』
「相変わらず無茶するな」
『お前に言われたくねぇよ』
藍染が少し笑う。
『でもやっぱ共通点はほとんどない』
「じゃあ何が気になった?」
『時間だよ』
「時間?」
『感染者として確認される前』
『こいつらが何してたか』
「……」
『見てみろ』
藍染は送られてきたデータをスクロールする。
発症三日前。
発症二日前。
発症一日前。
そして。
発症確認。
『最初は普通なんだよ』
『仕事行って』
『飯食って』
『家族と会って』
『友達と連絡取ってる』
「……」
『でも』
『発症が確認される少し前から』
『急に一人でいる時間が増えてる』
藍染の指が止まる。
『今回だけじゃない』
『前の感染者も調べた』
「……」
『同じだ』
赤石がAIによる解析結果を送る。
画面に表示される。
《発症前24時間以内》
《単独行動時間の有意な増加》
藍染はその文字を見つめた。
『これさ』
『もし、この行動の変化が感染した後に起きてるなら……』
「……」
『俺たちが感染者として確認した時には、もう感染してから時間が経ってるってことだよな?』
「そうなるな」
『つまり最初の一人目は、発見された時に感染したんじゃない』
『もっと前から感染してたことになる』
「……」
『じゃあ、いつ感染した?』
「そこを追う必要があるな」
『あぁ』
『発症するまで姿を見せないだけで、その前からウイルスは体の中にいる……?』
数秒。
藍染は画面を見たまま黙っていた。
そして。
「……赤、やるね」
電話の向こうが静かになる。
『……何だよ急に』
「いや」
「そこまで見つけるとは思わなかった」
『バカにしてた?』
「少し」
『おい』
「クックック」
『ムカつくなぁお前』
赤石も笑う。
「でも」
「その可能性は調べる価値がある」
『だろ?』
「あぁ」
「感染が確認された時点を基準にするんじゃなくて」
「そこから遡る」
『そう』
「潜伏期間が俺たちの想定より長いなら」
「感染経路そのものを探す期間も変えないといけない」
『俺もそう思う』
「感染者の行動変化も含めて、もう一度洗ってみよう」
『任せろ』
「頼む」
『……』
赤石が黙った。
「どうした?」
『いや』
『なんか今』
『やっと役に立てた気がしてさ』
「何言ってんだよ」
『だって六年だぞ』
「……」
『お前が消えてから六年』
『俺は情報工学やって』
『医療AIやって』
『感染予測までやって』
『いつかお前が何かやる時』
『別の方向から手伝えたらって思ってた』
「……」
『高校の時』
『言っただろ』
『お互いレベルアップして』
『また一緒になって』
『世界のトップ行こうって』
「覚えてるよ」
『俺、まだ忘れてねぇから』
「……」
『だから使えるもんは全部使え』
『データでも』
『AIでも』
『俺でも』
『今度は一人でやんなよ』
藍染はしばらく何も言わなかった。
モニターには赤石が見つけたデータが表示されている。
「……お前さ」
『ん?』
「昔からそうだけど」
『何だよ』
「頭いいくせに」
「やっぱバカだな」
『は?』
「クックック」
『何笑ってんだよ!』
「いや」
「変わってねぇなと思って」
『お前もな』
藍染が少し笑う。
『じゃあ俺はこっちでもう少し掘る』
「あぁ」
『何か分かったらすぐ送る』
「頼む」
『お前もな』
「分かった」
『じゃ』
「あぁ」
『……藍』
「ん?」
『今度こそ』
『一緒にやろうぜ』
「……」
「分かったよ」
通話が切れた。
研究室に再び静寂が戻る。
藍染はスマートフォンを机に置いた。
そして、赤石から送られてきた解析結果をもう一度見る。
《発症前24時間以内》
《単独行動時間の有意な増加》
「……赤、やるね」
もう一度、小さく呟いた。
そして藍染は何事もなかったように画面を切り替え、作業を続けた。
――――――――――
一方。
電話を切った赤石は椅子の背もたれに身体を預けた。
「……」
六年前。
卒業式の日。
『お互いレベルアップしてまた一緒にな!』
あの日はただの約束だった。
藍染は薬学へ。
自分は情報工学へ。
別々の道を歩いて。
藍染は突然消えた。
それでも。
六年後。
自分が作ってきた技術が。
ようやく藍染の研究に届いた。
赤石はスマートフォンを見る。
メッセージが一つ届く。
藍染。
『助かった』
「……」
赤石は少し笑った。
「やっと隣に戻れたか」
――――――――――
それから一週間。
新しい感染者は確認されなかった。
メキシコ。
一人。
韓国。
一人。
フランス。
二人。
オーストラリア。
二人。
合計六人。
そこで感染は止まっていた。
世界では少しずつ安心する声も出始めていた。
『今回も小規模で終わるのではないか』
『感染力そのものは低い可能性』
『各国で封じ込めに成功している』
ニュースではそんな言葉が並ぶ。
だが。
赤石だけは安心できなかった。
以前にもあった。
同じ国。
同じ人数。
同じ順番。
そして、その時も。
感染は一度止まった。
――――――――――
藍染の研究室。
机の上には何冊もの研究ノートが開かれていた。
モニターには複数の薬剤データ。
藍染は条件を変えながら、一つずつ反応を確認していた。
一つ。
また一つ。
数値が更新される。
そして。
《反応あり》
藍染は画面を見つめた。
数秒後。
結果を保存する。
さらに同じ条件でもう一度検証を始めた。
二回目。
《反応あり》
三回目。
《反応あり》
藍染はデータをまとめる。
そして共同研究チームへ送信した。
――――――――――
数時間後。
共同研究施設。
「来た!」
「藍染さんからデータ!」
「新しい組み合わせです!」
「すぐ再現試験!」
研究者たちが動き始める。
しばらくして。
「反応出ました!」
「こっちも!」
「ウイルス活性低下!」
「細胞損傷も抑えられてます!」
研究室に歓声が上がる。
モニター越しに参加していた藍染が口を開く。
『まだです』
「でもこれなら!」
『濃度』
『副作用』
『投与量』
『持続時間』
『確認することはまだあります』
「……はい」
『でも』
『方向は合ってると思います』
研究者たちの表情が明るくなる。
「じゃあ」
「新しい抗ウイルス剤が……」
『作れる可能性はあります』
研究室に安堵の空気が広がった。
世界にはまだ発表されていない。
だが。
新しい希望が生まれ始めていた。
――――――――――
その日の夜。
赤石は一人、会社に残っていた。
画面には感染記録。
今回。
メキシコ。
一人。
韓国。
一人。
フランス。
二人。
オーストラリア。
二人。
そこから一週間。
新規感染者。
ゼロ。
「……」
赤石は過去の感染記録を開いた。
そして、ある記録で指が止まる。
メキシコ。
一人。
韓国。
一人。
フランス。
二人。
オーストラリア。
二人。
今回と同じ並び。
赤石は、その先の日付を追っていく。
「……」
同僚が後ろから声をかける。
「まだ帰らないの?」
「あぁ」
「何見てんの?」
「昔の感染記録」
「また?」
赤石は答えない。
日付を一つずつ確認する。
オーストラリアで二人の感染者が確認された日。
そして。
世界中で同時に大量の感染者が現れた日。
その間。
「……約一ヶ月」
同僚が画面を見る。
「何が?」
「前にあったんだよ」
「何が?」
赤石は画面を指す。
「今回と同じ並びが」
メキシコ。
一人。
韓国。
一人。
フランス。
二人。
オーストラリア。
二人。
「この時は」
「オーストラリアで二人出てから」
「世界中で一気に増えるまで……」
「約一ヶ月」
同僚の表情が変わる。
「……おい」
「あぁ」
赤石はカレンダーを見る。
「今回はまだ一週間だ」
「……」
「もし」
「今回も同じ流れを辿るなら」
赤石は画面を見つめた。
「あと三週間」
研究室では新しい薬の開発が始まっていた。
世界は今回の感染がこのまま終わることを願っていた。
そして赤石だけが。
かつて一度起きた同じ並びの先に、何があったのかを覚えていた。
世界同時発生まで――
残り約三週間。




