第二十六話「二人の燈也」
待ち合わせ場所は高校時代から何度も通った小さな定食屋だった。
駅から少し離れた場所にある。
特別、美味しいわけでもない。
有名な店でもない。
ただ、金のなかった高校時代の二人にとって安くて量が多くて、
何時間いても怒られない。
そんな店だった。
赤石は店の前に立っていた。
「……ここかよ」
思わず笑う。
六年以上。
まともに会っていなかった。
その間に、自分は大学を卒業し医療AIの開発者になった。
藍染は――
世界の救世主になった。
そんな二人が久しぶりに会う場所が、高校時代と同じ定食屋。
「変わってねぇな……」
赤石は店の扉を開けた。
「いらっしゃいませー」
聞き慣れた声。
店内を見渡す。
そして。
一番奥。
窓際の席。
一人の男が座っていた。
「……」
赤石の足が止まった。
藍染燈也。
テレビでは何度も見た。
ニュースでも。
スマートフォンでも。
世界中で、嫌というほど見てきた。
だが、目の前にいる。
テレビの中ではない。
本物の藍染。
藍染が赤石に気付く。
「よう」
それだけ。
まるで昨日も会っていたような声だった。
「…………」
赤石は何も言わない。
藍染が首を傾げる。
「なんだよ」
次の瞬間。
赤石が藍染の頭を思い切り叩いた。
「いってぇ!」
「六年だぞ!!」
店内に赤石の声が響いた。
「何年連絡無視してんだテメェ!!」
「痛ぇって!」
「電話も!」
バシッ。
「LINEも!」
バシッ。
「家行ってもいねぇ!」
バシッ。
「大学行ったら存在してねぇ!」
「それは――」
「しかも論文だけ出しやがって!」
「分かった分かった!」
藍染が笑いながら頭を押さえる。
「悪かったって」
「悪かったじゃねぇんだよ!」
赤石は藍染の正面に座った。
「マジで……」
そこで、言葉が止まった。
六年。
長かった。
高校を卒業するまで。
ほとんど毎日のように一緒にいた。
それが、突然いなくなった。
生きているのか。
死んでいるのか。
それすら分からなかった。
目の前には。
その親友がいる。
「……」
赤石は俯いた。
「……マジで心配したんだからな」
藍染は少しだけ黙った。
そして。
「悪かった」
今度は、笑っていなかった。
「……色々あったんだよ」
「色々で六年消えるやついるかよ」
「ここにいる」
「ぶっ飛ばすぞ」
藍染が笑う。
赤石も耐えきれず笑った。
「……変わってねぇな、お前」
「赤もな」
「俺は変わったわ」
「髪型?」
「そこじゃねぇよ」
二人が笑う。
ほんの一瞬、高校時代に戻ったようだった。
――――――――――
料理が運ばれてくる。
藍染の前には唐揚げ定食。
赤石の前には生姜焼き定食。
赤石が藍染の皿を見る。
「お前まだそれ食ってんの?」
「うまいじゃん」
「世界の救世主が六百八十円の唐揚げ定食かよ」
「救世主って呼ぶな」
「世界中が呼んでんじゃん」
「勝手に呼んでるだけだろ」
藍染は何でもないように唐揚げを口へ運ぶ。
赤石はその姿を見ていた。
本当に、変わっていない。
テレビの中では落ち着いていて。
世界中から尊敬されて。
何十億という金を提示されても断る男。
だが、今、目の前にいるのは高校時代と同じ藍染燈也だった。
「……なぁ」
赤石が言う。
「ん?」
「お前、本当に五十億断ったの?」
「断ったよ」
「バカじゃねぇの?」
「いらねぇもん」
「五十億だぞ?」
「だから?」
赤石が笑う。
「相変わらずだな」
藍染は味噌汁を飲む。
「金持って何すんだよ」
「なんでもできんだろ」
「……」
藍染の箸がほんの一瞬止まった。
赤石は気付かなかった。
「家買って、車買って、女遊びして」
「興味ねぇ」
「昔からそれだな、お前」
「赤は?」
「俺?」
「彼女」
「……」
赤石が少し目を逸らす。
藍染が笑う。
「いねぇのかよ」
「うるせぇ」
「六年あったぞ?」
「仕事してたんだよ!」
「俺のせい?」
「半分くらいお前のせいだわ!」
二人が、また笑った。
――――――――――
食事が半分ほど進んだ頃。
赤石の表情が少し変わった。
聞かなければならない。
ここへ来る前。
そう決めていた。
「藍」
「ん?」
「今回のウイルス……」
藍染は普通に赤石を見る。
「何?」
「……」
赤石は言葉に詰まった。
聞け。
今なら聞ける。
どうして。
二日で薬が作れた?
なぜ。
毎回お前だけが答えを知っている?
そして。
今回の千人。
感染ではなく。
誰かに投与された可能性がある。
お前は――
何か知っているのか?
「……」
藍染が赤石を見る。
「どうした?」
「いや……」
赤石は結局、言えなかった。
「大変だなと思って」
「まぁな」
藍染は何事もなかったように食事を続ける。
「千人だもんな」
「……あぁ」
「でも薬はある」
「足りてねぇだろ」
「増やしてる」
「一人で?」
「今は他の研究者にも手伝ってもらってるよ」
赤石は藍染を見る。
「……そうか」
普通だ。
何もおかしくない。
それどころか自分が疑っていることの方が、
おかしいように思えてくる。
目の前にいるのは昔から知っている親友。
人を救っている男。
世界中の誰よりも。
結果を出している人間。
「……」
赤石は箸を置いた。
「俺さ」
「ん?」
「今回の感染、調べてる」
「知ってる」
「……なんで?」
「お前の会社、感染予測やってんだろ」
「あぁ……」
「昔から変わんねぇな」
「何が」
「俺が何か始めると、お前も勝手についてくる」
赤石が笑った。
「朝起きたら顔洗うだろ?」
藍染の動きが止まった。
「……」
赤石がニヤッとする。
「一緒だよ」
高校時代。
何度も言った言葉。
藍染は少し俯いた。
そして。
「……お前頭いいけど、やっぱバカだな」
笑った。
赤石も笑った。
「知ってる」
――――――――――
食事を終え。
二人は店を出た。
夜。
並んで歩く。
高校時代。
何度も歩いた道。
六年以上経っても。
ほとんど変わっていない。
「なぁ藍」
「ん?」
「覚えてる?」
「何を」
「卒業式の日」
藍染は前を向いたまま答える。
「覚えてるよ」
「俺言ったよな」
赤石は笑う。
「お互いレベルアップして、また一緒になって夢叶えようぜって」
「……」
「俺は準備できてるぞ」
藍染が赤石を見る。
「何の?」
「会社だよ」
「まだ言ってんのか」
「当たり前だろ」
赤石は笑った。
「世界のトップ企業」
「俺とお前で作るんだよ」
「……」
藍染は何も言わなかった。
赤石が続ける。
「お前はもう世界のトップみたいなもんだけどな」
「大げさだろ」
「大げさじゃねぇよ」
赤石は少し真剣な表情になる。
「でも」
「……?」
「俺との約束、忘れんなよ」
「……」
藍染はしばらく黙っていた。
そして。
小さく笑った。
「覚えてるよ」
赤石の顔が明るくなる。
「じゃあ決まりな!」
「何がだよ」
「全部終わったら会社作るぞ」
「勝手に決めんな」
「俺は昔から勝手だろ」
「知ってる」
二人は笑いながら歩いた。
そして、分かれ道。
昔も。
何度もここで別れた。
赤石が手を上げる。
「じゃあな」
「あぁ」
「今度は六年消えんなよ」
藍染が笑う。
「努力する」
「努力じゃねぇ!」
赤石が笑いながら背を向ける。
数歩。
歩く。
その時。
藍染が呼んだ。
「赤」
赤石が振り返る。
「ん?」
藍染はしばらく何も言わなかった。
「……」
「なんだよ?」
そして。
「いや」
藍染はいつものように笑った。
「またな」
赤石も笑う。
「あぁ」
「またな、藍」
赤石は歩いていった。
藍染は。
その背中が見えなくなるまで。
そこに立っていた。
――――――――――
一人になった。
藍染。
笑顔がゆっくり消えていく。
だが――
その表情が何を意味するのか。
まだ誰にも分からない。
藍染は静かに歩き始めた。
その夜。
二人の燈也は、六年以上ぶりに再会した。
赤石にとっては。
失われていた時間がようやく動き始めた夜。
そして。
藍染にとって。
この再会が何を意味していたのか。
それを知るのは――
もう少し。
先のことになる。




