第二話「金以外、すべて」
高校生活が始まって、数ヶ月が経った。
藍染燈也は、入学早々から校内で有名な存在になっていた。
理由は単純だった。
何をやらせても、できる。
中間試験では全教科満点。
体育では、普段から運動部で練習している生徒たちに混ざっても遜色がない。
教師から突然指名されても、答えに詰まることはほとんどなかった。
そのうえ、誰に対しても気さくに接する。
容姿も整っているとなれば、当然女子からも人気が出た。
昼休み。
藍染と赤石がいつものように教室で話していると、数人の女子が近づいてきた。
「藍染君、今日の放課後暇?」
「悪い。今日バイト。」
「えー、また?」
「また。」
藍染は笑いながら答えた。
「じゃあ明日は?」
「バイト。」
「明後日!」
「バイト。」
「いつなら空いてんの!?」
「俺が知りたいよ」
教室に笑いが起こった。
横で聞いていた赤石も吹き出す。
「お前、週何で働いてんだよ」
「五。」
「高校生のシフトじゃねぇだろ、それ」
「働かなきゃ生きてけねぇんだから仕方ねぇだろ」
藍染は笑っていた。
冗談を言う時と同じ顔だった。
だから、周囲も笑った。
ただ、赤石だけは一瞬、藍染の横顔を見た。
藍染にとっては冗談ではない。
高校入学前に祖父母を亡くした藍染は、今も祖父母が残した家で一人暮らしをしている。
残されたわずかな預金は、高校へ進学するために使った。
食費。
水道代。
電気代。
学校で必要になる金。
これから先、生きていくための金は自分で稼ぐしかない。
だから週五日働く。
それだけの話だった。
「ていうかさ」
一人の男子生徒が藍染の机に寄りかかった。
「お前、これだけバイトしてて、なんでテスト満点なんだよ?」
「勉強すれば取れるだろ」
「その勉強する時間がねぇだろって言ってんの!」
また笑いが起こる。
「しかも運動もできるしな」
「顔もいいし」
女子の一人が続ける。
「性格も悪くないし」
「“悪くない”ってなんだよ」
藍染が笑う。
すると、男子生徒が藍染の肩を叩いた。
「お前、本当に金以外すべて持ってるよな」
「ハハッ! 確かに!」
「それ最強じゃん!」
再び教室が笑いに包まれた。
藍染も一緒に笑った。
「じゃあ誰か金くれよ」
「それは嫌だ!」
「そこはくれねぇのかよ」
笑い声がさらに大きくなる。
その輪の中心で、藍染も楽しそうに笑っていた。
――金以外すべて持っている。
周囲にとっては、ただの冗談だった。
藍染にとっては違った。
(……金以外、か)
たった一つ。
そのたった一つで、父親は壊れた。
母親を失った。
祖父母は、決して楽ではない生活の中で自分を育ててくれた。
そして今、自分は十五歳で働きながら一人で生きている。
頭脳があっても。
身体能力があっても。
努力ができても。
金がなければ、選べないものがある。
逆に――
金さえあれば、選べる人間がいる。
(くだらねぇ)
一瞬だけ。
藍染の笑顔から感情が消えた。
「藍?」
赤石の声だった。
「ん?」
「いや……なんでもねぇ」
「なんだよ」
「腹減った」
「知らねぇよ」
「なんか奢って」
「俺に言うセリフじゃねぇだろ!」
「ハハハ!」
藍染も笑った。
いつもの藍染に戻っていた。
放課後。
二人は並んで学校を出た。
赤石はこのあと家へ帰る。
藍染はバイトへ向かう。
いつもの分かれ道まで来たところで、赤石が何気なく口を開いた。
「なぁ、藍」
「ん?」
「お前、彼女作らねぇの?」
「は?」
「今日も誘われてただろ。お前だったら選び放題じゃん」
「興味ねぇよ。そんなもの」
「相変わらずだなー」
「じゃあお前が作ればいいだろ。お前だってモテんじゃん」
赤石は少し考えたあと、当たり前のように答えた。
「藍が作らないなら俺もいらねぇ」
「……は?」
藍染が足を止める。
「なんでそうなるんだよ」
「なんとなく?」
「気持ち悪ぃな、お前」
「ひでぇ!」
二人は笑った。
そして赤石は、そのまま何気なく言った。
「だって、ずっと一緒だったじゃん」
藍染は何も答えなかった。
「じゃ、バイト頑張れよ!」
赤石が手を上げる。
「あぁ」
「また明日な、藍!」
「おう」
赤石が遠ざかっていく。
藍染はその背中をしばらく見ていた。
そして小さく息を吐くと、反対方向へ歩き出した。
赤石は知らない。
藍染が何を考えているのか。
何を望んでいるのか。
そして――
その心の奥で、どんな世界を思い描き始めているのか。
まだ、この時は誰も知らなかった。
藍染燈也自身を除いて。




