第一話「二人の燈也」
「金で解決出来ると思うなよ、世界。」
これは、世界を救った“救世主”と、彼を信じ続けた親友――二人の「燈也」の物語。
春。
桜が舞う季節。
新しい制服に身を包んだ生徒たちが、それぞれの未来へ歩き始める。
その中に、一人の少年がいた。
藍染燈也。
整った顔立ち。
人懐っこい笑顔。
運動神経も抜群。
入学式が始まる前から、彼の周りには自然と人が集まっていた。
「なぁ、お前が藍染だろ?」
「入試で満点取ったって本当?」
「サッカーも野球もできるって聞いたぞ!」
藍染は困ったように笑う。
「噂って大げさになるもんだな。」
その一言で周囲は笑いに包まれた。
誰からも嫌われない。
それが藍染燈也という人間だった。
――少なくとも、周囲にはそう見えていた。
教室の後ろの窓から校庭を眺めながら、藍染は一人だけ別のことを考えていた。
(結局、この世界は金か。)
その瞬間、脳裏に幼い頃の光景が蘇る。
テーブルの上に積み重なった請求書。
赤い文字で書かれた督促状。
鳴り続ける電話。
金額を何度も数え直す母。
「今月も足りない……」
幼い藍染には、その数字の意味など分からなかった。
ただ、金が足りないというだけで、大人たちの顔から笑顔が消えていくことだけは分かった。
やがて父は、借金に追われるようになった。
家の中では毎日のように金の話が飛び交った。
金がない。
払えない。
どうする。
待ってくれ。
そんな言葉ばかりだった。
そして――父は一線を越えた。
金を理由に犯罪へ手を染め、人の命まで奪った。
死刑判決。
残された母には、犯罪者の家族という烙印が押された。
誹謗中傷。
嫌がらせ。
そして母もまた、燈也の前からいなくなった。
燈也を引き取ったのは、母方の祖父母だった。
決して裕福な家庭ではなかった。
それでも二人は、幼い燈也を自分たちの子どものように育ててくれた。
欲しい物を我慢することには慣れた。
遊びに誘われても、金がかかるなら理由をつけて断った。
そんな生活の中でも、祖父母だけは藍染に言い続けた。
「燈也、お前は頭がいいんだから、ちゃんと学校には行きなさい」
しかし――。
高校入学を目前にして、祖父母も相次いで他界した。
燈也に残されたのは、二人と暮らした古い家。
そして、わずかな預金だけだった。
私立高校という選択肢は、最初からなかった。
燈也は学費の負担が少ない公立高校を選び、残された預金を入学に必要な費用へ充てた。
それでも、これから三年間生活していけるほどの金はない。
だから燈也は、高校入学と同時にアルバイトを始めることを決めていた。
週五日。
授業が終われば、そのまま仕事へ向かう。
家に帰れば一人。
食事も、洗濯も、掃除も、金の管理も。
今日から全部、自分でやる。
十五歳の少年にとって、それが当たり前の日常になろうとしていた。
それでも燈也は、入学試験でほぼ満点の成績を叩き出した。
(頭が良くても、努力しても、金がなければ何も選べない。)
(父さんも、母さんも、祖父ちゃんも、婆ちゃんも……。)
(全部、金だ。)
燈也は校庭を見つめる。
満開の桜の下で、新入生たちが楽しそうに笑っていた。
その表情は一瞬だけ曇る。
だが次の瞬間には、また笑顔に戻っていた。
誰にも気付かれないほど自然に。
「藍!」
聞き慣れた声が教室に響いた。
振り返らなくても、誰なのか分かる。
真っ赤な短髪。
昔から変わらない、やたらと明るい笑顔。
「やっぱ同じクラスだったな!」
赤石燈也。
祖父母の家に引き取られた頃から、ずっと一緒に育ってきた燈也の親友。
偶然にも、下の名前まで同じだった。
「朝からうるせぇな、赤。」
「入学初日だぞ? テンション上げろよ!」
「お前は普段から高すぎんだよ。」
「ハハッ! それくらいでちょうどいいだろ!」
藍染が小さく笑った。
先ほどまで見せていた笑顔とは、ほんの少しだけ違っていた。
赤石燈也。
唯一、藍染が心を許している人間。
そしてこの日から――
二人の“燈也”は、それぞれ全く違う未来へ向かって歩き始めることになる。




