第十九話「終わらない悪夢」
『久しぶり。』
『わりぃ、色々あってさ。』
『やっと落ち着いて動けるようになったんだ。』
何度見ても、
そこには藍染からのメッセージがあった。
「……マジで藍だよな」
赤石はスマートフォンを持ったまま笑った。
六年以上、何度連絡しても返事はなかった。
既読にすらならなかった。
その藍染からようやく返事が来た。
赤石はすぐに文字を打った。
『そりゃあんだけ抗ウイルス剤作って、テレビまで出てたら忙しいよな!』
そして続ける。
『飯でも行こーぜ!』
少し考えて――
最後に付け加えた。
『世界の救世主様!(笑)』
送信。
すぐに既読がついた。
「……!」
赤石の顔がほころぶ。
今までとは違う。
ちゃんと繋がっている。
六年間どこにいるのかすら分からなかった親友と。
ようやく――
また話せる。
そう思った。
一分。
二分。
五分。
「……」
返事は来ない。
十分。
三十分。
一時間。
「おい」
赤石が苦笑する。
「そこは返せよ」
既読はついている。
間違いなく藍染は読んでいる。
だが――
返事はなかった。
「……まぁ」
赤石はスマートフォンを机に置いた。
「今は仕方ねぇか」
世界中から助けを求められている人間だ。
自分との飯なんかより、優先することはいくらでもある。
「全部終わったらでいい」
赤石は、小さく笑った。
「今度こそ会おうぜ、藍」
その頃。
世界では大きな変化が起き始めていた。
藍染燈也が生成した抗ウイルス剤。
その投与が世界各地で始まっていた。
最初の一人。
そして二人目。
三人目。
十人。
百人。
感染者たちが次々と元の人間へ戻っていく。
テレビでは連日その様子が報道された。
『先ほど、新たに二十三名の回復が確認されました!』
『こちらの地域でも、抗ウイルス剤を投与された全員が正常な状態へ戻ったとのことです!』
『現時点で重篤な副作用なども確認されていません!』
世界が歓喜に包まれていった。
家族との再会。
抱き合って泣く人々。
ゾンビとなった我が子をもう一度抱きしめる母親。
夫婦。
兄弟。
友人。
失われたと思われていた日常が少しずつ戻っていく。
その中心には――
常に一人の男の名前があった。
藍染燈也。
SNSでは、もはやその名を知らない者の方が少なくなっていた。
『藍染さんありがとう』
『この人がいなかったら世界終わってた』
『本当に救世主じゃん』
『金を取らずに配ってるのヤバすぎる』
『天才ってこういう人のこと言うんだな』
『日本の誇り』
『いや、もう世界の英雄だろ』
国籍すら関係なくなっていた。
世界中の人間が、
一人の日本人に感謝していた。
そして数日後。
テレビでは、再び藍染の姿が映っていた。
『本日、改めて藍染燈也さんにお越しいただきました』
アナウンサーが深々と頭を下げる。
『この度は世界を救ってくださり、本当にありがとうございました』
藍染は少し困ったように笑った。
『いやいや』
『僕は出来ることをしただけです』
『他の誰かだったかもしれない』
『今回は、たまたま僕だったってだけですよ』
『ですが――』
アナウンサーが続ける。
『今回の抗ウイルス剤は、ほぼ全て藍染さんご自身が生成されたと伺っています』
『はい』
『なぜ他の研究者の方々に、もっと早い段階から協力を求めなかったのでしょうか?』
藍染は少しだけ視線を落とした。
そして答える。
『怖かったんです』
『怖かった?』
『この薬が、ビジネスとして利用されることが』
アナウンサーが黙る。
『前にもお話ししましたけど』
『お金を持っている人が優先される』
『権力を持っている人が優先される』
『そんな薬にはしたくなかった』
藍染は、
静かに続けた。
『感染した順番』
『必要としている人』
『そこに金持ちも貧しい人も関係ない』
『全員、同じ命ですから』
その言葉は再び世界中へ広がった。
赤石は自宅のテレビでその姿を見ていた。
「……藍」
そして、少し笑う。
「お前らしいな」
少なくとも赤石にはそう思えた。
藍染がどれだけ金で苦労してきたか。
赤石は知っている。
金がないというだけで選択肢を奪われる。
やりたいことがあっても諦めなければならない。
藍染は、そんな世界を誰より嫌っていた。
アナウンサーが続ける。
『ですが、この先また同じウイルスが発生する可能性もあります』
『そうなった場合、藍染さん一人では……』
『そうですね』
藍染は頷いた。
『今回の件で、量産体制の必要性は僕も感じました』
『では今後は?』
『研究機関の皆さんにも協力してもらおうと思っています』
藍染は笑った。
『もう一度こんなことが起きても、今度はもっと早く対応できるように』
その言葉にスタジオから拍手が起こった。
世界は安心した。
治療法がある。
そして今度は、それを量産できる体制まで作られる。
もう――
あの日のような恐怖に怯える必要はない。
少なくとも、
誰もがそう思っていた。
数日が経った。
感染者は、ほぼ全員が元の人間へ戻った。
街には人が戻り始めた。
店が開く。
学校が再開する。
電車が走る。
会社へ向かう人々。
公園で遊ぶ子どもたち。
世界は日常を取り戻していた。
赤石もまた、久しぶりに穏やかな朝を迎えていた。
「……やっと終わったか」
コーヒーを飲みながらテレビをつける。
ニュースでは世界各国の日常が戻り始めたことが報じられている。
赤石はスマートフォンを見る。
藍染からあれ以来返事はない。
「ったく」
赤石は笑った。
「結局また無視かよ」
だが、
以前とは違う。
生きている。
どこにいるかも分かる。
そして何より。
藍染が世界のために動いていることを知っている。
「まぁいいか」
赤石はスマートフォンを置いた。
「落ち着いたら捕まえに行ってやる」
その日は、何事もなく過ぎていった。
翌日も。
そして――
さらに翌日。
いつもの朝。
赤石は目を覚ました。
顔を洗い。
コーヒーを淹れ。
テレビをつける。
何も変わらない。
いつもの日常。
だった。
そのはずだった。
『――番組の途中ですが、速報です』
赤石の手が止まる。
「……?」
画面が切り替わった。
アナウンサーの表情が明らかに強張っている。
『先ほど、メキシコから緊急の情報が入りました』
「メキシコ……?」
嫌な感覚がした。
なぜだか分からない。
だが。
その国の名前を赤石は覚えていた。
最初だったからだ。
全ての始まり。
世界で初めてゾンビウイルスが確認された場所。
アナウンサーが原稿を読み上げる。
『メキシコ国内において――』
一瞬。
言葉に詰まる。
そして。
『再び、ゾンビウイルス感染者が確認されました』
「…………は?」
赤石の表情から笑顔が消えた。
『現在確認されている感染者は――』
赤石は、無意識にテレビへ近づいていた。
そして。
次の言葉を聞いた瞬間。
背筋に、
冷たいものが走った。
『一名です』
「……」
一人。
また。
一人。
「……嘘だろ」
世界が救われたと、
誰もが思っていた。
悪夢は終わったと、
誰もが信じていた。
だが――
全ては。
また、最初と同じ場所から始まった。




