第十八話「世界が呼んだ名」
『藍染燈也さんです』
その名前がテレビから流れた瞬間から、
世界は一人の青年に注目し始めた。
世界で初めて、
ゾンビウイルスに感染した人間を元に戻した人物。
どこの大企業にも所属していない。
世界的な研究機関の人間でもない。
一人の日本人。
そして――
薬剤師。
その経歴もまた、世界を驚かせていた。
テレビの前。
赤石はまだ信じられないような顔で画面を見ていた。
「藍……」
何度見ても、
間違いない。
藍染燈也。
六年以上、
ほとんど消息すら分からなかった親友が世界中から注目されている。
アナウンサーが尋ねた。
『藍染さんは薬剤師と伺っています』
『今回、どのようにしてこの抗ウイルス剤を完成させたのでしょうか?』
藍染は少し考えてから答えた。
『僕も最初は驚きました』
『まさか、本当にこんなことが起きるなんて思っていませんでしたから』
『正直、怖かったです』
赤石は黙って聞いていた。
『でも――』
藍染の表情が少しだけ真剣になる。
『僕が薬剤師である意味を考えた時に、何かできることがあるんじゃないかと思ったんです』
アナウンサーが頷く。
『それで研究を?』
『はい』
『公開されている感染者の情報や研究データを見ながら、自分なりに考えていました』
『それにしても――』
アナウンサーが少し前のめりになる。
『このスピードは異常とも言えるほど速いですよね』
『世界中の研究者が答えを出せずにいる中、なぜ藍染さんだけが治療法へ辿り着けたのでしょうか?』
赤石もそこは聞きたかった。
藍染は少し困ったように笑った。
『僕、昔から割と勘がいいんですよ』
『勘……ですか?』
『もちろん、適当に作ったって意味じゃないですよ?』
藍染が笑う。
アナウンサーも思わず笑った。
『こうなんじゃないかって仮説を立てて、そのためにはこれが必要で、だったらこうなるはずだって』
『一つずつ組み立てて試していったら、たまたま最初の方向が合っていたんです』
『なるほど……』
『だから、運が良かった部分も大きいと思います』
赤石が、思わず笑った。
「嘘つけ」
昔からそうだった。
テストで満点を取っても。
難しい問題を一瞬で解いても。
藍染は大したことではないように話す。
「お前の“勘”は普通の勘じゃねぇんだよ」
インタビューは世界中へ同時に配信されていた。
日本だけではない。
アメリカ。
イギリス。
フランス。
韓国。
オーストラリア。
数え切れない国で字幕や同時通訳を通して
藍染燈也という人間の言葉が伝えられていく。
そして当然、次の質問が出た。
『藍染さん』
『現在、感染している方は世界中に約一万人いるとされています』
『今回の抗ウイルス剤を量産することは可能なのでしょうか?』
世界中が答えを待った。
藍染は、ゆっくり頷いた。
『可能です』
その瞬間。
赤石が息を吐いた。
世界中でも同じように安堵した人間がいただろう。
『ただ』
藍染が続ける。
『少し時間をください』
『今回の一本は、まず治療できることを確認するために作ったものです』
『同じものを大量に用意するには、準備が必要です』
アナウンサーが尋ねる。
『どれくらいの時間が必要でしょうか?』
『出来るだけ急ぎます』
藍染はまっすぐカメラを見る。
『待っている人がいるので』
その言葉は、
一気に世界へ広がった。
『待っている人がいるので』
SNSには藍染を称賛する言葉が溢れ始める。
『この人、本当にすごい』
『絶対助けてくれ』
『頼む』
『日本にこんな天才いたのか』
『家族を助けてください』
『この人しかいない』
そして。
少しずつ――
ある言葉が使われ始める。
救世主。
だが、インタビューはまだ終わっていなかった。
アナウンサーが資料を確認する。
『もう一点、伺わせてください』
『はい』
『今回の抗ウイルス剤について、すでに複数の企業や研究機関から共同研究の申し出が来ていると聞いています』
『はい。ありがたいことに』
『今後は、そういった機関と協力して量産していくのでしょうか?』
藍染はすぐには答えなかった。
ほんの数秒。
考える。
そして。
『最終的には、その必要もあると思っています』
『ただ――』
藍染の声が少し変わった。
『僕は、この薬をビジネスにしたくありません』
赤石の表情がわずかに変わる。
アナウンサーも予想していなかったようだった。
『ビジネスにしたくない?』
『はい』
藍染は静かに答える。
『例えばですよ』
『この薬が一本、一千万円だったらどうします?』
『一千万円……』
『払える人は助かる』
『払えない人は助からない』
『それって、おかしくないですか?』
「……」
赤石は画面を見つめた。
藍染は続ける。
『感染した人に、お金持ちも貧しい人も関係ありません』
『命の価値まで、持っているお金で決められるようなことにはしたくないんです』
赤石は何も言えなかった。
頭の中に昔の藍染が浮かぶ。
祖父母の家。
決して裕福ではなかった生活。
高校へ通うために週五日働いていた親友。
藍染が金で苦労してきたことは、誰より知っていた。
「……藍」
だからなのか。
赤石には藍染の言葉が理解できる気がした。
アナウンサーが尋ねる。
『ということは、抗ウイルス剤は無償で?』
『もちろんです』
藍染は即答した。
『少なくとも、僕が作るものに値段を付けるつもりはありません』
『必要な人に』
『必要な順番で』
『それだけです』
スタジオが、一瞬静まり返った。
そしてアナウンサーがゆっくり頭を下げた。
『……ありがとうございます』
『いえ』
藍染はいつものように笑った。
『僕にできることをしているだけですから』
その日のうちに藍染燈也の名前は、
世界中へ広がった。
検索ランキング。
ニュース。
SNS。
動画。
ありとあらゆる場所に、その名前が並んだ。
世界初の治療成功。
抗ウイルス剤を無償提供へ。
「命の価値を金で決めたくない」
そして――
日本の救世主・藍染燈也。
赤石は一人でテレビを見ていた。
画面にはインタビューを終えた藍染の姿。
「……」
昨日まで。
自分は、
あいつを疑っていた。
人為的に見える感染。
藍染の研究。
死滅。
再構築。
突然の失踪。
全部を繋げて。
一瞬でも――
親友がこの世界を壊したのではないかと考えた。
「……バカだな、俺」
赤石は自嘲するように笑った。
藍染は壊した側ではない。
助けた側だった。
それも。
世界中の誰にも出来なかったことをたった一人で。
「悪かったな、藍」
赤石はスマートフォンを手に取った。
トーク画面を開く。
何年も積み重なった、自分からのメッセージ。
そして、文字を打った。
『お前やっぱすげーわ』
少し考える。
続ける。
『世界の救世主様になってんじゃねぇか(笑)』
『いい加減連絡返せよ』
『会いてぇよ』
送信。
「……」
赤石はスマートフォンを机に置いた。
どうせまた、未読のままだろう。
そう思っていた。
数秒。
何気なく、
もう一度画面を見る。
「…………え?」
赤石の目が、
大きく開いた。
そこには――
これまで何年も待ち続けた、
たった二文字が表示されていた。
既読
「…………」
赤石がスマートフォンを掴む。
「既読……?」
見間違いではない。
既読。
「おい……」
思わず立ち上がる。
「藍……?」
画面を凝視する。
一秒。
二秒。
三秒。
そして。
画面に新しい吹き出しが現れた。
藍染燈也
『久しぶり。』
赤石は息を止めた。
さらに、メッセージが届く。
『わりぃ、色々あってさ。』
そして――
もう一通。
『やっと落ち着いて動けるようになったんだ。』
「…………」
赤石は、しばらく何も言えなかった。
六年以上。
待ち続けた。
何度送っても、
返ってこなかった。
その親友から。
ようやく――
返事が来た。
「……遅ぇんだよ」
赤石は笑っていた。
それなのに。
目からは、
また涙がこぼれていた。
世界が、藍染燈也を救世主と呼び始めた日。
赤石燈也にとっては――
六年前にいなくなった親友が、ようやく帰ってきた日だった。




