第十七話「救世主」
世界初。
ゾンビウイルス感染者の回復。
そのニュースは、
わずか数時間で世界中を駆け巡った。
これまで、
誰一人として元に戻すことができなかった感染者。
世界中の研究者が、
治療法どころかウイルスの正体すら掴めずにいる中――
たった一人。
確かに、
元の人間へ戻った者がいる。
その事実だけで、
絶望に覆われていた世界の空気が変わり始めていた。
『本当に治ったのか!?』
『フェイクニュースじゃないの?』
『どこの研究所だよ』
『治療法を早く公開してくれ!』
『他の感染者も助けられるってことだよな!?』
『誰が作ったんだ!?』
SNSには、
数え切れないほどの投稿が流れていた。
そして、
誰もが同じことを知りたがっていた。
誰が治したのか。
しかし――
その人物についての情報だけは、
なぜか公表されなかった。
「なんで名前出ねぇんだよ……」
赤石は、朝からテレビに張り付いていた。
会社のモニターにも同じニュースが表示されている。
世界中の研究機関も騒然としていた。
当然だ。
彼らが何日かけても辿り着けなかった場所へ、
何者かが先に到達したのだから。
テレビでは専門家が興奮気味に話していた。
『仮にこの情報が事実であれば、極めて大きな進展です』
『一人でも正常な状態へ戻せたのであれば、その治療法を応用できる可能性があります』
アナウンサーが尋ねる。
『つまり、残る感染者も救える可能性がある?』
『あります』
赤石の表情が変わった。
『もちろん、現段階では治療方法の詳細が分かっていません。
しかしこれは、世界が初めて手にした明確な希望と言っていいでしょう』
「……」
赤石は、
無意識に拳を握っていた。
「すげぇ……」
世界中の研究者が出来なかった。
それを。
誰かが――
やった。
「どんな奴だよ」
純粋に、会ってみたいと思った。
それから数時間後。
新たな情報が入った。
『先ほどお伝えした、ゾンビウイルス感染者の回復について続報です』
赤石がすぐにテレビを見る。
『治療に使用されたのは、新たに生成された抗ウイルス剤であることが分かりました』
「抗ウイルス剤……」
赤石は立ち上がる。
『また、回復した感染者については現在も経過観察が続けられていますが、意識、身体機能ともに正常な状態へ戻っているということです』
画面には病室らしき場所から出てくる一人の人物。
その周囲を、医療関係者らしき人間たちが囲んでいる。
顔は映されていない。
それでも、
自分の足で歩いていた。
話している。
笑っている。
間違いなく――
人間だった。
「マジかよ……」
赤石は画面を凝視した。
ゾンビになった人間が、戻っている。
完全に。
その日の夕方。
さらに、世界を驚かせるニュースが流れた。
『新たな情報です』
『今回使用された抗ウイルス剤を生成した人物が、日本人であることが分かりました』
「日本人!?」
赤石が思わず声を上げる。
SNSも、一瞬で沸騰した。
『日本!?』
『日本人が作ったの!?』
『どこの大学?』
『どこの製薬会社だよ』
『早く名前出してくれ』
赤石も同じ気持ちだった。
「誰だよ……」
世界中の研究者が答えを出せなかった。
それを、
日本人が一人で――?
しかし、
その日、名前が明かされることはなかった。
翌日になっても詳しい情報は出ない。
分かっているのは、日本人であること。
薬学に関する専門知識を持っていること。
そして、
独自に抗ウイルス剤を生成したということ。
それだけだった。
「……薬学」
赤石が、小さく呟く。
一瞬。
頭の中にある人物が浮かんだ。
「……いや」
赤石は笑った。
「まさかな」
昨日まであんなことを考えていたからだ。
何でも藍染へ結びつけるのはもうやめよう。
赤石はテレビへ視線を戻した。
翌朝。
世界中が待ち望んでいた情報がついに発表された。
『本日、ゾンビウイルスに対する抗ウイルス剤を生成した人物が、初めて公の場に姿を現します』
赤石は持っていたコーヒーカップを置いた。
『このあと午前十時より、特別番組内でインタビューを行う予定です』
時計を見る。
午前九時五十二分。
「あと八分じゃねぇか」
赤石はパソコンを閉じた。
仕事どころではない。
世界中が、
同じ八分間を待っていた。
午前十時。
番組が始まる。
画面には、緊張した表情のアナウンサー。
『世界中が注目する中、本日は特別番組としてお送りしています』
『先日、世界で初めてゾンビウイルス感染者を正常な状態へ戻すことに成功した抗ウイルス剤』
『その抗ウイルス剤を生成した人物に、本日お越しいただいております』
赤石はテレビを見つめる。
「……」
アナウンサーが、隣を見る。
カメラがゆっくりと動いた。
最初に映ったのは――
革靴。
そして、脚。
黒いパンツ。
カメラが少しずつ上へ移動していく。
赤石は、何気なくその映像を見ていた。
だが。
「……?」
姿勢。
体格。
何か。
妙な感覚があった。
見たことがある。
そんな気がする。
カメラがさらに上がる。
手。
腕。
肩。
そして――
顔。
「…………」
赤石の表情が、止まった。
時間そのものが、止まったようだった。
聞き慣れた声がテレビから流れる。
『今日はよろしくお願いします』
爽やかな笑顔。
落ち着いた声。
高校時代とほとんど変わらない。
いや。
少し大人になった。
それでも――
見間違えるはずがない。
アナウンサーが、その名前を口にした。
『改めましてご紹介します』
『今回、ゾンビウイルスに対する抗ウイルス剤を生成された――』
『藍染燈也さんです』
「…………」
赤石は動かなかった。
数秒。
頭が、理解することを拒否していた。
「……は?」
テレビには藍染がいる。
六年以上。
まともに会っていない。
何度LINEを送っても、返事すらなかった親友。
その男が――
世界中が探していた答えを持って、テレビに出ている。
「…………藍?」
赤石がテレビへ近づく。
「藍……」
もう一度。
今度は、はっきりと。
「藍!!!!???」
赤石は立ち上がった。
「お前何してんだよ!!!!」
思わず叫ぶ。
当然、テレビの中の藍染には届かない。
「なんでお前がそこにいんだよ!!」
だが。
その声は少しずつ震えていた。
アナウンサーが話し始める。
『藍染さん。本日はこのような状況の中、お越しいただきありがとうございます』
藍染は穏やかに微笑んだ。
『いえ』
『いち早く世界の皆さんに、安心を伝えたかったので』
「……」
赤石の目から自然と涙がこぼれた。
昨日。
自分は藍染を疑った。
もしかしたら、
あいつがこのウイルスを作ったのではないか。
そんなことまで考えた。
なのに――
違った。
藍染は世界を壊した人間ではなかった。
世界が絶望している中、
誰よりも早く答えを見つけた人間だった。
「……俺」
赤石は涙を拭う。
「何考えてたんだよ……」
画面の中で藍染は笑っている。
昔と変わらない。
あの、人懐っこい笑顔で。
「藍……」
赤石は笑った。
涙は止まらなかった。
「お前……」
「やっぱり……」
言葉が詰まる。
幼い頃。
高校時代。
二人で歩いた帰り道。
卒業式。
大学へ進んだ日。
連絡が途絶えた六年間。
すべてが一気に頭の中へ蘇ってくる。
そして今。
世界中の人間が自分の親友を見ている。
赤石はテレビから目を離さなかった。
「お前……やっぱすげぇよ」
その頃。
世界中のSNSには一つの名前が猛烈な勢いで広がり始めていた。
藍染燈也。
世界が絶望の中で、初めて見つけた希望。
その名を――
人々はまだ、救世主とは呼んでいなかった。




