第十四話「止まった世界」
朝。
テレビから流れる音声。
スマートフォンから鳴り続ける通知。
外から聞こえる悲鳴。
そのすべてが、
昨日までの日常が終わったことを告げていた。
赤石燈也は窓際に立ったまま、外を見ていた。
道路には乗り捨てられた車。
開いたままのドア。
道路に散乱する荷物。
そして――
その間を歩く、
数人の感染者。
「……」
赤石はカーテンを閉めた。
「落ち着け」
自分に言い聞かせる。
まず、状況を把握する。
赤石はテレビの音量を上げた。
『現在、政府は不要不急の外出を控えるよう呼びかけています』
『感染者を発見しても絶対に近づかないでください』
画面が切り替わる。
『同様の事態は日本だけではありません』
世界地図が映る。
赤く表示された地域。
アメリカ。
ヨーロッパ。
アジア。
南米。
世界中で、ほぼ同時に感染者が確認されている。
赤石はテレビを見つめる。
「やっぱり……」
おかしい。
あまりにも、
おかしい。
一つの国から広がったのではない。
感染源から徐々に拡大したのでもない。
世界中で、
ほぼ同じタイミングで発生している。
「感染じゃねぇ……」
赤石が呟く。
「少なくとも、普通の感染じゃない」
スマートフォンが鳴る。
会社からだった。
『赤石、無事か!?』
「大丈夫です」
『今日は絶対来るな!』
「分かってます。それより――」
赤石はパソコンを起動する。
「感染予測モデル、外からアクセスできますよね?」
『出来るけど……お前まさか』
「調べます」
『赤石、今は――』
「だからですよ」
赤石の声が変わる。
「これ、絶対おかしいです」
電話の向こうが黙った。
「昨日までほとんど感染者はいなかった」
「それが一晩で世界中です」
「普通に人から人へ感染して広がったなら、こんな形にはならない」
『……』
「何かある」
赤石はキーボードを叩き始めた。
「原因が分かれば、次に何が起こるか予測できるかもしれない」
『……分かった』
電話の相手が答える。
『データは出来る限り共有する』
「お願いします」
電話を切る。
赤石は画面を見つめた。
「さて……」
大量のデータが表示される。
「何なんだ、お前ら」
時間だけが過ぎていく。
感染者の発生地点。
時刻。
人数。
移動経路。
人口密度。
赤石は次々と条件を入力した。
だが――
「合わない」
予測と、現実が一致しない。
感染者が多い都市の隣で、
ほとんど発生していない地域。
逆に、
周囲に感染者が確認されていないにもかかわらず、
突然発症している人間。
「これも違う」
モデルを修正。
再計算。
「違う」
また修正。
「……クソ」
赤石が頭を抱える。
人から人へ感染しているのなら、
どこかに線ができる。
感染源。
接触。
拡大。
必ず繋がるはずだ。
なのに――
繋がらない。
点。
点。
点。
世界中に、
無数の点だけが現れている。
「誰かが……」
赤石の脳裏に、以前感じたあの違和感が蘇る。
メキシコで一人。
韓国で一人。
フランスで二人。
オーストラリアで二人。
あまりにも不自然に揃った感染者の数を見て、あの時、自分はこう思った。
――誰かが人数を決めてるみたいじゃねぇか。
「……まさかな」
だが、
もしそうなら。
最初の六人も。
今回の大量発生も。
全部――
「誰かが決めてる……?」
赤石は首を振る。
「どうやってだよ」
人間に、
そんなことができるのか。
昼。
夜。
そして、
翌朝。
赤石はほとんど眠らなかった。
テレビでは、
世界各国の研究機関が動き始めたことが報じられていた。
『現在、各国の研究機関が未知のウイルスの解析を急いでいます』
『しかし、現段階では有効な治療法は見つかっていません』
研究者へのインタビュー。
『これまで確認された感染症とは、あまりにも性質が違います』
別の研究者。
『まずウイルスそのものを理解する必要があります。治療薬の開発はその先です』
赤石はテレビを見ながら呟く。
「そりゃそうだ……」
未知のウイルス。
解析。
治療薬候補。
動物実験。
臨床試験。
本来、
薬は数日で完成するようなものではない。
ましてや、
これまで存在しなかったウイルス。
「時間がかかる……」
その間に、どれだけ感染が広がる?
赤石は画面を見る。
だが――
「……ん?」
ある数字に気づいた。
感染者数。
更新する。
もう一度。
「……?」
数時間後。
再び確認する。
赤石の眉間に、
しわが寄る。
「増え方が……」
遅い。
昨日まで、
世界中で爆発的に感染者が確認されていた。
当然、
今日にはさらに何倍にも増えている。
赤石はそう予測していた。
しかし――
増えていない。
いや。
新たな感染者は、確かにいる。
だが、
異常なほど少ない。
「なんでだ……?」
二日目。
感染者数の増加は、さらに鈍くなった。
三日目。
ほぼ止まった。
テレビでも、その異変が報じられ始める。
『依然として世界各地で混乱が続いていますが、新たな感染者の増加が急激に減少しています』
アナウンサーの声には、
わずかに安堵が混じっていた。
『専門家からは、このウイルスは感染力そのものが低い可能性も指摘されています』
赤石はテレビを見ながら、
首を横に振った。
「違う……」
だったら、
最初の爆発は何だった?
一晩で世界中に現れた、
あの大量の感染者は?
感染力が低いなら、
説明がつかない。
逆に感染力が高いなら、
今止まっていることが説明できない。
「どっちなんだよ……」
五日目。
世界は、 奇妙な状態になっていた。
感染者は存在する。
ゾンビのように人間を襲う。
だが――
それ以上、
ほとんど増えない。
人々は外へ出ることを恐れ、
街から人の姿が消えた。
学校は閉鎖。
企業は休業。
交通機関も大幅に制限された。
店から食料が消え、
SNSには不安と怒りが溢れていた。
『いつまで家にいればいいの?』
『薬はまだなのか』
『研究者は何してるんだ』
『政府は早く何とかしろ』
『次はいつ増えるんだよ』
誰にも、
答えられない。
世界中の研究者が、
同じウイルスと向き合っている。
それでも――
治療法は見つからない。
赤石は、
自宅のモニターに映る世界地図を見ていた。
大量発生した場所。
そこに、
赤い点が並んでいる。
だが、
数日前からほとんど変化していない。
「……」
赤石は椅子にもたれた。
最初は、一人。
次も、一人。
次は、二人。
また、二人。
そして突然、
世界中で大量発生。
そこから――
停止。
「……やっぱり変だ」
ウイルスが、
勝手に広がっているようには見えない。
むしろ。
「広がる時と……」
「止まる時がある」
赤石の目が、
ゆっくりと細くなる。
「まるで――」
言葉が止まった。
誰かが、
スイッチを入れたり切ったりしている。
そんな馬鹿げた考えが、
また頭をよぎった。
その時。
テレビから、アナウンサーの声が聞こえた。
『現在、世界各国の研究機関が協力し、抗ウイルス剤の開発を急いでいます』
画面には、研究室で作業する研究者たち。
『しかし専門家によれば、未知のウイルスに対する治療薬を一から開発するには、相当な時間が必要になる可能性があります』
赤石はテレビを見る。
世界中の研究者が、
必死に答えを探している。
「……」
その瞬間。
なぜか、
一人の顔が浮かんだ。
藍染燈也。
「……藍」
赤石は小さく呟く。
薬学。
細胞。
死滅。
再生。
そして――
あの論文。
『再構築された命への序章』
「お前なら……」
赤石は言いかけて、
やめた。
いくら藍染でも、
これは別の話だ。
世界中の研究者ですら、正体を掴めていない。
親友だからといって、
何でもできると思うのは違う。
「……何考えてんだ、俺」
赤石は苦笑いした。
藍染が研究していた分野と、
今回のウイルスに共通点がある。
ただ、それだけだ。
それだけで幼い頃から知る親友を疑うなんて、どうかしている。
「悪ぃ、藍」
赤石は小さく呟き、モニターに映る感染情報へと視線を戻した。
答えが見つからないのは、赤石だけではなかった。
世界中の研究者が、同じ未知のウイルスを前に立ち尽くしていた。
「ダメだ」
「この反応は何なんだ?」
「既存のデータが役に立たない」
「こんなもの、見たことがない……」
一日。
また一日。
時間だけが過ぎていく。
一週間。
それでも、治療法の糸口すら見えない。
その間も、
世界は異様な静けさに包まれていた。
感染者はいる。
だが――
増えない。
誰にも、
その理由は分からない。
テレビでは、
各国の研究者たちの姿が映し出されていた。
『現在も世界各国の研究機関が協力し、治療法の確立を急いでいます』
『しかし、未だ有効な手段は見つかっていません』
赤石は、
黙ってそのニュースを見つめていた。
世界中の研究者が、
同じものを相手に苦戦している。
誰も正体を掴めない。
誰も治療法を見つけられない。
それなのに――
赤石には、
どうしても一つだけ引っかかることがあった。
「……なんで止まってんだよ」
誰にも止められないはずのウイルスが、
まるで何かを待っているかのように、
動きを止めている。
「……」
赤石は、
もう一度これまでの感染記録を見る。
一人。
一人。
二人。
二人。
そして、
世界同時大量発生。
その後――停止。
偶然。
そう考えるには、
あまりにも出来すぎていた。
「誰かが……」
そこまで言って、
赤石は口を閉じた。
窓の外を見る。
人の消えた街。
止まった世界。
その静けさが、
なぜか赤石には――
嵐が去ったあとの静けさではなく、
次の何かが始まるまでの静けさに思えた。




