第十二話「二人」
メキシコ――一人。
韓国――一人。
二つの国で確認された、同じ症状を持つ感染者。
どちらも突然現れ、周囲の人間を襲い、
そして――
感染は広がらなかった。
それから一週間。
二週間。
三週間。
新たな感染者は、
一人も確認されなかった。
そして、
一ヶ月が経った。
「……ないな」
赤石はパソコンの画面を眺めていた。
新たな感染報告はない。
メキシコ。
韓国。
どちらの騒動も、すでに過去のニュースになりつつあった。
世間から、
“ゾンビウイルス”
という言葉もほとんど聞かなくなった。
赤石自身も、
少しずつ気にしなくなっていた。
「やっぱ考えすぎだったか……」
二回続いた。
それだけだ。
同じ人数だったことも、
たまたま。
そう考える方が自然なのかもしれない。
「赤石、帰らねぇの?」
同僚から声をかけられる。
「あ、もうそんな時間?」
「とっくに定時過ぎてるぞ」
赤石は時計を見る。
「帰るわ」
パソコンを閉じる。
結局――
あれから何も起こらなかった。
それなら、それでいい。
翌朝。
赤石はいつものようにテレビをつけた。
コーヒーを淹れ、
朝食を用意する。
テレビから聞こえてくるニュースも、
いつもと変わらない。
政治。
経済。
スポーツ。
海外ニュース。
「……」
赤石はスマートフォンを見る。
藍染からの連絡はない。
「こっちも変わらずか」
苦笑しながらスマートフォンを置く。
『――続いて、海外からのニュースです』
何気なく聞いていた。
『フランスで、原因不明のウイルスに感染したとみられる人物が確認されました』
「……!」
赤石がテレビを見る。
画面には、見覚えのある光景。
規制線。
防護服。
警察。
そして――
人間へ襲いかかろうとする感染者。
『症状などから、以前メキシコと韓国で確認された未知のウイルスと同一、もしくは極めて近いものである可能性が指摘されています』
「……また来た」
赤石はテレビへ近づく。
一ヶ月。
何もなかった。
それなのに、また突然現れた。
「今度はフランス……」
そしてアナウンサーが続ける。
『なお、今回確認されている感染者は――』
赤石は、心の中で先に答えた。
(一人……)
だが。
『二名です』
「……え?」
赤石の表情が変わった。
二人。
初めて、数字が変わった。
「なんで……二人?」
普通なら、一人から二人に増えただけ。
それだけの話だ。
感染症なのだから、むしろ人数が増える方が自然。
だが赤石には、
その“自然さ”が逆に不気味だった。
メキシコ。
一人。
韓国。
一人。
一ヶ月空いて――
フランス。
二人。
「……」
赤石はスマートフォンを取り、
すぐに情報を調べ始めた。
二人の接触歴。
居住地域。
職業。
渡航歴。
共通点。
しかし、
現時点ではほとんど情報が出ていない。
「二人……」
赤石は何度もその数字を呟いた。
会社に着く。
赤石はすぐに感染予測モデルを起動した。
「またやってんの?」
同僚が後ろから声をかける。
「あぁ」
「今回は二人だってな」
「だから気になってんだよ」
「一人が二人になっただけだろ?」
赤石は画面を見ながら答える。
「普通ならな」
「普通なら?」
「感染症なら人数が増えるのはおかしくない」
「じゃあいいじゃん」
「でも……」
赤石の手が止まる。
「なんで今なんだ?」
「え?」
「韓国から一ヶ月近く何もなかった」
メキシコ。
韓国。
フランス。
画面に三つの国を表示する。
「感染が続いてるなら、間に誰かいるはずだ」
「見つかってないだけじゃね?」
「その可能性もある」
「じゃあ――」
「でも」
赤石が遮る。
「三ヶ国とも、突然なんだよ」
感染の流れが見えない。
誰から誰へ感染したのか。
どこを通って広がったのか。
その線が、存在しない。
まるで――
世界の離れた場所に、
突然感染者だけを置いているような。
そこまで考えて、赤石は首を振った。
「……いや」
考えすぎだ。
まだ三例。
この程度の情報で、
何かを断定することなどできない。
その日の夜。
赤石は自宅でもニュースを見続けていた。
『フランスで確認された感染者二名は現在隔離され――』
新たな感染者はいない。
まただ。
「二人で……止まった?」
赤石は腕を組む。
一人。
一人。
二人。
そして、それぞれがその人数で止まる。
「……何なんだよ」
その瞬間。
画面上部に速報が表示された。
赤石の目が動く。
『速報です』
アナウンサーの表情が変わる。
『先ほど、オーストラリアでも同様の症状を持つ感染者が確認されたとの情報が入りました』
赤石が立ち上がる。
「は!?」
フランスの発生から、ほとんど時間が経っていない。
『現時点では、フランスで確認された感染者との関連性は分かっていません』
「今度はオーストラリア……?」
そして。
赤石が最も聞きたくなかった情報が続く。
『確認されている感染者は――』
一瞬。
間が空いた。
『二名です』
「…………」
赤石は、何も言わなかった。
テレビには、
大きく数字が表示されている。
感染者 2名
フランス――二人。
オーストラリア――二人。
赤石はゆっくりと椅子へ座った。
「同じ……」
偶然。
その言葉が、急速に説得力を失っていく。
メキシコと韓国は、一人ずつ。
フランスとオーストラリアは、二人ずつ。
しかも、
国同士の感染経路が見えない。
赤石は紙を取り出した。
そこへ書く。
メキシコ 1
韓国 1
少し空けて、
フランス 2
オーストラリア 2
四つの数字を見つめる。
「……なんで揃う?」
感染症なら、もっと不規則になるはずだ。
一人。
四人。
十三人。
百人。
感染力や環境によって、
予測不能に広がっていく。
それなのに――
これは。
「まるで……」
赤石の口が止まる。
頭に浮かんだ言葉を、自分自身が否定したかった。
だが。
一度浮かんだ考えは、消えてくれなかった。
「……誰かが人数を決めてるみたいじゃねぇか」
静かな部屋に、その言葉だけが残った。
同じ頃。
薄暗い部屋。
壁の世界地図には、四つの印。
メキシコ。
韓国。
フランス。
オーストラリア。
机の前には、一人の男が座っている。
モニターには、
各国のニュースが同時に映し出されていた。
1
1
2
2
そして、その先にも何かが書かれている。
しかし男は、それを隠すように手を重ねた。
「……」
口元がわずかに上がった。
だが今回は、笑わなかった。
一言だけ。
「予定通り」
パタン――。
男はノートを閉じた。
その音と同時に、画面が暗転する。
世界はまだ知らない。
この奇妙な数字が、偶然ではないことを。
そして赤石もまだ知らない。
自分が感じ始めた違和感が――
正しいことを。




