第十一話「二度目の一人」
メキシコで確認された、奇妙な感染者。
世界中のニュースが一時騒然となったものの、新たな感染者が現れることはなかった。
一日。
二日。
三日。
そして一週間。
いつしかニュースから、
“ゾンビウイルス”
という言葉そのものが消えていた。
結局、あれは何だったのか。
未知の感染症。
突然変異。
薬物。
精神疾患。
様々な憶測だけが残り、
明確な答えが出ることはなかった。
だが――
何も起きなければ、
人は忘れる。
世界は再び、
いつもの日常へ戻っていた。
「赤石、昼行こうぜ」
「おう、ちょっと待って」
赤石はパソコンの画面を閉じた。
あの一件以来、
個人的にもメキシコの感染者について調べていた。
だが新しい情報はほとんどない。
感染経路――不明。
発生源――不明。
感染力――不明。
そして、
新たな感染者――ゼロ。
「結局、一人だったな」
同僚が言った。
「あぁ」
「お前めちゃくちゃ調べてたじゃん」
「仕事柄な」
「ゾンビ対策でもしてんの?(笑)」
「会社でゾンビ発生したらお前から差し出すわ」
「なんでだよ!」
赤石が笑う。
もう自分も、
気にしすぎだったと思い始めていた。
感染症だからと仕事に結びつけて考えてしまっただけ。
たった一人。
しかもメキシコ。
日本で生活している自分が、
そこまで気にするような話ではない。
「飯行くか」
「おう」
赤石は席を立った。
さらに数日が経った。
朝。
目を覚ました赤石は、
いつものように顔を洗う。
コーヒーを淹れる。
テレビをつける。
何も変わらない朝だった。
『今日の関東地方は――』
天気予報を聞きながら、朝食を口に運ぶ。
スマートフォンを確認する。
藍染からの連絡は――
当然ない。
「はいはい」
赤石はスマートフォンを置いた。
「今日も元気に未読ですね」
誰もいない部屋で一人呟く。
その時。
テレビの画面が切り替わった。
『ここで速報です』
赤石は朝食を食べながら、何気なくテレビを見る。
『韓国で、原因不明のウイルスに感染したとみられる人物が確認されました』
「……」
赤石の動きが止まった。
『感染者には、先日メキシコで確認された男性と非常によく似た症状が見られるということです』
箸を置く。
「……マジかよ」
画面には、現地から送られてきた映像。
警察。
防護服を着た人間。
規制線。
その奥で暴れる一人の感染者。
赤石はテレビへ近づいた。
『現地当局は、メキシコで確認されたウイルスとの関連性について調査しています』
「メキシコの次が……韓国?」
偶然。
もちろん、その可能性はある。
同じウイルスなら、
どこかで人から人へ移った可能性だってある。
「でも……」
メキシコから韓国。
距離が離れすぎている。
感染者の渡航歴は?
接触歴は?
共通点は?
赤石の頭が一気に仕事モードへ切り替わる。
そして――
最も気になっていた情報が読み上げられる。
『なお、現在確認されている感染者は――』
赤石は無意識にテレビを見つめる。
『一名です』
「……また?」
赤石の表情から、眠気が完全に消えた。
「また一人……?」
会社に着くと、
赤石はすぐにメキシコと韓国のデータを並べた。
発生した国。
日時。
感染者数。
症状。
分かる範囲で、二つの事件を比較する。
同僚が後ろから画面を覗く。
「また調べてんの?」
「あぁ」
「同じウイルスなんじゃね?」
「たぶんな」
「じゃあ感染しただけだろ」
「……だったら」
赤石が画面を指差す。
「間がない」
「間?」
「メキシコから韓国まで感染が広がったなら、その途中は?」
「飛行機とかじゃないの?」
「だったら感染者本人か、接触した人間の移動記録があるはずだろ」
「まだ公表されてないだけじゃね?」
「それならいいんだけどな」
赤石は腕を組む。
メキシコ。
一人。
数日で騒ぎが消える。
そして、
時間を置いて韓国。
一人。
あまりにも――
綺麗すぎる。
「……」
赤石は感染予測モデルを起動した。
仮にメキシコの感染者から始まったとする。
感染力を低く設定する。
潜伏期間を長くする。
様々な条件を変える。
だが、
赤石の中で違和感は消えない。
「普通は……もっと汚く広がる」
「何が?」
同僚が聞く。
赤石は画面を見たまま答える。
「感染だよ」
感染症は、人間の都合など考えない。
国境も知らない。
人数を数えて止まったりもしない。
一人感染させて、
何日か休んで、
別の国でまた一人。
そんな規則正しい広がり方をする理由がない。
少なくとも――
自然なら。
「……考えすぎか」
赤石は椅子にもたれた。
まだ二例。
二例だけで法則など存在しない。
偶然を規則だと思い込むことだってある。
「もう一回だな」
「何が?」
「いや、なんでもない」
赤石は画面を閉じた。
もし――
次があるなら。
その時は、
何かが見えるかもしれない。
翌日。
韓国で新たな感染者は、確認されなかった。
二日後。
ゼロ。
三日後。
ゼロ。
メキシコと同じだった。
たった一人が現れ、
そして終わる。
SNSでは再び、様々な意見が飛び交っていた。
『結局感染力ないんじゃない?』
『ゾンビウイルスって名前だけ大袈裟』
『二人しかいないなら騒ぎすぎ』
『メキシコと韓国って本当に同じウイルスなの?』
世界は、また安心し始めていた。
だが赤石だけは、
前回と同じようには感じていなかった。
ベッドに入っても、
二つの数字が頭から離れない。
メキシコ――一人。
韓国――一人。
「……同じ」
赤石は天井を見る。
「なんで毎回、一人なんだよ」
もちろん答えはない。
赤石は目を閉じた。
「次がなけりゃ……ただの偶然か」
そう呟き、眠りについた。
同じ頃。
薄暗い部屋。
壁には大きな世界地図が貼られている。
メキシコ。
その場所には、
すでに印がついていた。
そして――
韓国。
男の手が、
そこへ新しい印をつける。
カチッ。
ペンのキャップを閉じる音。
机の上には、
一冊のノートが置かれていた。
その中身は見えない。
男は椅子へ座る。
モニターには、韓国のニュース。
《新たな感染者は確認されず》
男はそれを見ながら、
しばらく黙っていた。
そして――
口元だけが映る。
わずかに笑った。
「……順調だな」
その声の主が誰なのか。
まだ世界は知らない。
そして――
世界地図には、
すでにもう一つ。
次の印がつけられていた。




