8話
瓦礫で塞がれた階段を背に、剣を構え直す。
視線の先には土煙の中で蠢く魔物は、崩落の影響を受けていない様子だ。
それどころか獲物を取り逃したからか、凶悪な鋏を打ち鳴らしている。
視界の端には、地面に伏せったベルアスとキャティの姿もある。
気を失っているのか、身動きを取っている様子もない。
最悪のことも考えられるが……まずは目の前の問題を片付けないことには、どうにもならないだろう。
「崩落のことを考えると、ここでは戦えないな……。」
ここで派手に戦えば、崩落が広がる。
そうなれば今、上に向かったルリア達や近くに倒れているキャティ達も無事では済まない。
じりじりと階段の傍から距離を取り、徐々にフロアの中心側へと身を寄せる。
「残ってるポーションは、これだけか」
ポーチの中には緊急用のポーション数本と、ハティアから受け取った霊薬とポーションのみ。
素材はバック諸共、崩落で潰れたためこれで打ち止めとなる。
上手く使い回せば、数分は耐えられるかもしれない。
「できる限り、時間稼ぎを――」
冒険者として生きてきた数年間。
決して熟練とは言えないが、それらの経験が全力でソレを知らせた。
頭で理解するよりも先に、剣を構えて体を守る。
それを本能の警告だと理解するよりも先に、衝撃が体を貫いた。
辛うじて目でとらえたのは、魔物が尾を振り回した姿だった。
吹き飛ばされたと理解した瞬間、どうにか受け身を取る。
それでも衝撃で世界が揺らぎ、天上と地面が何度も入れ替わる。
どうにか止まったと確認できたのは、中央の毒沼のすぐ近くだった。
外周付近に立っていたことを考えると、先ほどの一撃がとんでもない威力だと思い知る。
アレを真正面から捌いて、ほぼ一方的に攻撃を加えていたハティアがどれだけ雲の上の存在かを、そこで改めて理解する。
これが青銅級と、星銀級の違いなのかと。
「時間稼ぎ、か。これほど難しいなんてな……。」
一撃。
たった一撃で、この様だった。
ハティアから受け取った上級ポーションを流し込み、体力を回復させる。
そしてついでに普通の解毒のポーションも使用する。
これで万が一、毒沼に突っ込んでも問題はないはずだ。
幸いにも先ほどから、サソリの魔物は襲ってくる様子はない。
獲物を狩ることを楽しんでいるのか、それともハティアとの戦いで冒険者を警戒しているのか。
いずれにせよ時間を稼ぐことが目的の俺からすればありがたいことだ。
「これが翡翠の泉。ここが、俺の死に場所か」
だが、すでに状況は絶望的だ。
傍には淡く発光する巨大な翡翠色の毒沼。
この迷宮の心臓部だ。
僅かな植物を残して、辺り一面には隠れられる場所もない。
小手先の時間稼ぎをできる状況ではなかった。
「ルリアは、救助部隊と合流できただろうか……。」
脳裏に浮かぶのは、涙を流していた幼馴染の顔だ。
彼女が生き延びてくれたなら、それでいい。
俺の選択に間違いはなかった。
そう言い聞かせようとして――腹の底から、熱い感情が込み上げてきた。
「死にたく、ないな」
驚いていた。
そんな言葉が口から零れ出たことに。
薄暗い地の底で、ひっそりと死んでいく。
冒険者となった時に覚悟を決めたはずだった。
それでも現実を目の当たりにすると、大きく覚悟は揺らいでいた。
まだ、死を受けいれることはできない。
死ぬことへの恐怖からではない。
約束を果たせないことへの不甲斐なさからだ。
「ルリアとの約束を、約束のままに終わらせるわけには、いかない」
俺にはまだ、やるべきことがある。
共にあの街を取り戻すという、誓いを果たす。
その為にも、ここで死ぬわけには、いかない。
「いつか、並び立つためにも!」
遥か前を歩くルリアを思い、剣を構えなおす。
目の前の魔物に対して、下級剣術というあまりにも貧弱で頼りないスキル。
しかしこれが俺の持つ能力の全てだった。
眼前に迫る巨大な鋏を避け、ありったけの力で地を蹴った。
「邪魔だぁぁぁぁあああああっ!」
目的を阻む障害。
ならば、排除するまでだ。
俺の全てを、使ってでも。
◆
ルシェリア・フェルベス・ディグニクス。
彼女は厳格で、慈悲深く、聡明で、そしてなにより、美しかった。
俺にとって彼女は神と等しく神聖で、そして崇拝すべきものだった。
本家の直系であり、次期当主として確実視されていた義姉は、分家の俺に対しても厳しく接した。
だがそれは俺を見下してのことではないことは、すぐにわかった。
分家であろうとディグニクスの血を引いているのであれば、相応しくなるよう俺に説いたのだ。
ベルアス・キーヴァー。
ディグニクスという名を名乗ることを許されなかった俺にさえ、彼女は期待を寄せてくれていた。
彼女の期待に応えられるよう、努力と修練を重ねた。
その間にも彼女は美しく成長し、そして聡明さからディグニクス家の繁栄は約束されたのだと誰もが信じて疑わなかった。
俺も彼女こそが唯一の正しさであり、そして俺達を正しい方向に導いてくれるのだと、信じていた。
あの時までは。
神に等しい彼女が、屋敷の中庭で、一糸纏わぬ姿で見つかった。
毅然とした態度を常に貫いていた彼女はしかし、その面影を残していなかった。
酷く衰弱し、暴行の跡が残り、駆け寄った使用人に怯えた様子を見せていた。
謝罪の言葉を何度も口にし、己がどれほど愚かであるかを口にし、そして終いにはこれ以上はもう殴らないてくれと泣きながら、媚びるように自分から股を開いた。
理由はわかっている。
婿として迎え入れられた男だ。
その男はとある希少な……『特別』なスキルを持っていた。
だからルシェリアの婿として迎え入れられた。
同等の家格であるとある貴族の血筋だが、あまりに強力なスキルなため持て余していたという。
紆余曲折を経てディグニクス家の一員として迎えられたのだ。
当初は、反対する者もいたという。
男の評判を聞いて、不安視する者も。
しかしルシェリアはそういった者達にこう説いた。
誰もが正しい心を胸に秘めている。
正しく接すれば、彼もまた正しく生きることができる。
そして自分が必ず、彼を正しい方向へと導いて見せる、と。
それがどんな結果を招くかなど、理解もせずに。
彼女は厳格で、慈悲深く、聡明で、そしてなにより、美しかった。
だがたったひとつの『特別』を持つ男によって、終わってしまった。
尊厳を破壊され、媚びへつらい、己を卑下し、醜く落ちぶれた。
今やディグニクス家はその男に乗っ取られ、ルシェリアの話を聞くことはない。
俺が恋焦がれた女神の如き彼女はもう、どこにも存在しないのだ。
だが代わりに俺は一つの天啓を得た。
『特別』であることは、なによりも優先されるのだと。
特別ならば、奪うこともできるのだ。
なにもかも、相手の尊厳や命でさえも。
ならばもう奪われることはうんざりだ。
これからは、俺が奪う側になる。
だから今度は、俺が『特別』になる。
そのはずだったのだ。




