9話
全身をすり潰されるような激痛に、無理やり意識を引き戻された。
瓦礫の下敷きになった下半身は、感覚が完全に消失していた。
もはや指先ひとつ動かすことすらできない。
いや、そもそも残っているのかさえ定かではなかった。
朦朧とする視界の先。
翡翠の泉のすぐそばで、あの魔物が激しく鋏を振り回していた。
その相手は、やはりというべきか、あの男だった。
「そうだ、死ね」
絞り出した声は、異音が混じり戦闘の音で掻き消える。
それでも、血の泡を吹きながら呪詛を吐き続ける。
勝てるわけがない。
あんな化物に、ただのサポーターだったあいつが敵うわけがない。
俺達を半壊させ、星銀級冒険者を死の淵まで追い詰めたマンティコア。
それを捕食する魔物だ。
青銅級の冒険者が、勝てるはずがない。
そのはずが、ジノアの足は止まらない。
「誰も、特別じゃなかった」
最年少での白銀級到達。
ポルトスの新たなエース。
『要塞竜殺し』。
賞賛と賛辞を受けてきた。
だがそれらは全て、まやかしだった。
俺の一撃は全く無意味で、この崩落を招いただけ。
あの魔物に傷ひとつ付けられず、地面を転がっている。
「俺も、特別じゃなかった」
その現実が、瓦礫の重みよりも重く、俺を押し潰す。
特別な存在だったら、俺もあの場所で戦っていただろうか。
今頃、あの魔物を討伐して、ハティアの賞賛を受けていただろうか。
だがそうはならなかった。
俺が特別じゃなかったからだ。
「それなら、そのまま死んでくれ」
だから、あいつだけは。
青銅級のジノアだけは、そのままで死んでくれ。
ひとりでここまで来て、仲間達を脱出させ、格上の魔物に立ち向かう。
そんなもの、まるで――
「特別じゃないまま、死んでくれ」
あいつがここで奇跡を起こしてしまったら。
俺が見下してきた無能が、本物の英雄に――本物の特別になってしまう。
それだけは、それだけは絶対に認められない。
「頼む。お前だけは、そのままでいてくれ」
視界が滲む。
致命傷を負いながらも、どうにか食らいつくその背中が、酷く大きく見えた。
だが状況は確実に、魔物の側に傾いている。
不意の尻尾の一撃を受けて、ジノアが毒沼に転がり込む。
防御もほとんど間に合っていない。
立ち上がることも難しいはずだ。
ここでジノアが負ければ、次は俺かキャティだろう。
だが、それでも。
「無能で、惨めで、哀れな、青銅級の冒険者のままで……っ」
懇願はしかし、絶望の光にかき消された。
倒れていたジノアの周囲から光が立ち上り、眩い閃光が視界を埋め尽くす。
なにが起こっているかは、わからない。
だが一つだけ理解できたことがある。
その神々しいまでの光景を見て、理解してしまった。
きっと特別と呼ばれる人間とは、きっとこいつのような人間なのだろうと。
「……あぁ、クソ」
俺の心の中で、最後まで残っていた何かが、粉々に砕け散った。
そんな気がした。
◆
避けられない。
気付いたときには再び、尻尾の一撃を受けていた。
毒沼を転がり、どうにか再び立ち上がる。
「だ、れだ……?」
ただ朦朧とする意識の中、誰かが俺に呼びかけていた。
幻聴かと頭を振り、視界を周囲に走らせる。
だがやはり、俺を呼ぶ人物の姿は見えない。
打ち所が悪かったのか。
血を流し過ぎたのか。
視界がぼやけ、魔物の姿さえよく見えない。
腰のポーチに手を伸ばし、そして空を切った。
見ればポーチは破損し、中身が沼地に散らばっていた。
ハティアから受け取った解毒の霊薬は、その殆どが毒沼に広がっている。
それと同時に、仄かな光が毒沼から立ち上り始めていた。
足に感じた振動で顔を上げれば、魔物が距離を詰めてきていた。
一方的ともいえる戦いだがしかし、諦める気もない。
殆ど感覚のない両手で剣を構えなおし、前に掲げる。
その時。
爆発的な閃光が、全てを包み込んだ。
◆
『かの者達との盟約に従い、今こそ約束を果たそう』
それは、生命の息吹を司るような温かな声。
『かの者達との誓約に従い、今こそ契約を果たそう』
それは、鋼の意志を刃に宿すような鋭い声。
『『今こそ、目覚めの時』』
荒れ狂うような熱が体に流れ込んでくる。
しかし心はどこまでも落ち着き払っていた。
徐々に納まる光と共に、魔物が再び姿を現す。
あの光の中では身動きが取れなかったのだろう。
魔物は再び現れた獲物を前に、迷いなく距離を詰めた。
先ほど戦った獲物――ハティアとは違う。
俺はもはや簡単に狩れる獲物だと判断したに違いない。
実際、真正面からの戦いを押し付けられれば、俺は成すすべなく殺されるに違いない。
狩る側と狩られる側。
鋏を打ち鳴らす魔物は、それがもはや決まったと言わんばかりの勢いだった。
だがそれを前にしても、俺の頭は驚くほどに冷静だった。
剣先に意識を集中し、そして魔物へと降り抜いた。
体にあった膨大な熱量を失うと同時に、溢れ出した光の奔流が刃となる。
魔物が俺の一撃を前に、防御姿勢を取る。
巨大な鋏で身を守ろうと構えを取る。
だが光の刃は、それをいとも簡単に両断して見せた。
たった一撃。
その一撃が、戦いに終止符を討つ。
巨体は両断され、もがくこともせず、沈黙する。
周囲では再び光が散乱し、頭の中では誰かが言葉を発している。
だがそれを聞き届ける事は出来なかった。
俺の意識は、闇の中へと落ちていった。
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