23話
馬車から降りた瞬間、顔を顰める。
鼻を突いたのは、息の詰まるような糞尿の臭いだった。
足元は泥と汚物でぬかるみ、羽虫がひっきりなしに飛び回っている。
建物は美しい外観を保っている。
だがそこに住まう人々は外観に似つかわしくない。
まるでボロ布のような格好をしていた。
周りを見ても横になって動かない村民が複数人。
ずた袋を引きずっている者がまた数人。
いずれも生気がなく、ただただ虚空を眺めている様子だ。
「これが、本当に華の都市なのか?」
フィルバス領の都市、ハイソーディア。
かつては華の都と呼ばれたこの都市部が、今ではまるでスラムのようだった。
金持ちが消えた金持ちの街、と言えばいいのか。
そもそもこんなポルトスから遠く離れた辺境に、俺が来る理由もない。
あのイルシーアの助言でもなければ。
もしもダンジョンが再活性化していないのであれば――
「あの女の言葉を信じるなんて、馬鹿か俺は」
パーティを抜け、たったひとりこんな場所に足を運んでいる理由。
それは他者を圧倒する功績を積むため。
誰もが不可能だと思うような、ダンジョンの最速攻略を成すためだ。
そのためにはまず、現地の調査と準備が必要だった。
「ギルドは、この先か」
ぬかるむ足元に気を使いながら、薄暗い街中を進む。
たどり着いたギルドの扉を開け放った先でも、不快な臭いは変わらない。
むしろすえた食べ物と酒の臭いが交わり、吐き気さえもよおす。
たむろしている冒険者達も、他の都市とは違い、落ちぶれた盗賊のような装いだ。
「この程度か」
長く冒険者をしていれば、装備から相手の力量を見抜くことなど簡単だ。
ここにいる連中はどれも三流以下、野盗と大差ない。
加えて街の様子を見れば、鍛冶場やアイテム補充の為の店々もまともに機能しているとは思えない。
これなら勝てる。
ダンジョンが再活性化したとしても、こんな連中が相手なら何の問題もない。
俺が最速で攻略し、出し抜く。
そうなれば嫌でも『燐光の召命』は認めるだろう。
あんな最下級の青銅野郎ではなく、この俺の実力を。
そうすれば俺だって、あいつらと同じ『特別』に――
「おい、新参だろ? 俺達へのあいさつは無しか?」
近くのテーブルに座っていた冒険者が立ち上がり、進路を塞ぐように俺の前に立った。
その首には白銀級のプレートが下がっていた。
馬鹿が。
この手の連中は、長くその場にいるだけで立場が上だと勘違いしているのだ。
田舎の三流白銀級など、実力で白銀まで登り詰めた俺の相手になるはずもない。
関わる必要などどこにもない。
俺はため息を吐き、わざと男の肩をぶつけるようにしてカウンターへと向かう。
「無視かよ、まぁいい。お前も――」
「失せろ。なれ合う気はない」
俺の肩に馴れ馴れしくかけられた手を、忌々しげに振り払う。
ここのサル共でも、俺の放つ圧と明確な拒絶を見せれば、自分が格下だと理解できるだろう。
相手の冒険者は不思議そうに自分の手を眺めて、微かに笑みを浮かべた。
「そっか、なるほど」
諦めたのだろう。
踵を返し、再びカウンターへと向かおうとする。
そうしようとした時。
腹部に燃える様な熱と、内臓を押し潰すような重い衝撃が走った。
自分が吹き飛ばされていると気づいたのは、背中から床に激突した後だ。
遅れて、息ができないほどの痛みがやってきた。
「がっ!?」
「こっちも相応の態度で行かせてもらうか」
見下ろす男の顔は、完全に無表情だった。
俺の腹を蹴り上げたというのに、わずかな予備動作すら俺は感知できなかった。
薄汚い床に倒れ込んでいる。
天才と持て囃されたこの俺が、床を舐めさせられている。
胃液がせり上がり、声すら出せない。
「ずいぶんと生きの良い奴が来たじゃねえか。これならやれるんじゃねえか? なぁガーランド」
どうにか耳に入ってくる声。
俺を蹴り飛ばした男が、奥のテーブルに座る影に向かって声をかけていた。
「あ? わりぃ、聞いてなかったわ」
「『血涙の蕾の迷宮』だよ。俺達が最初に攻略すりゃ、領主のやつも納得するだろ」
「そのガキを使うってのか? そりゃ無理だろ。弱すぎる」
「そうか? 囮ぐらいには使えると思ったんだけどな」
男は興味なさげに俺の上から足を退ける。
そして再びテーブルに戻り、薄汚い連中とカードに興じ始めた。
床に転がり、まともに呼吸もできない俺のことなど、最初からいなかったかのように。
「く、くそが……。」
見下されている。
田舎の冒険者如きに。
湧き上がる怒りと相反して、体が動かない。
いずれ殺す。
この冒険者共も。
俺を見下した全ての人間を。
俺が特別になった暁に。
全員を。
◆
だが知らなかった。
なぜ、華の都と呼ばれたハイソーディアが、生き地獄のような状況になっているのか。
この街を狂気に沈め、住民をあんな風に変えた元凶が――かつて俺から全てを奪ったあの『悪魔』であったことを。




