10話
「よし。荷物も……問題ないな」
月明かりがやけに明るい夜の宿屋。
差し込む月光が広がる部屋で、淡々と荷物をまとめていた。
ポーションの空き瓶、手入れを終えた剣、最低限の着替え。
必要なものは全てポーチとバッグに収まった。
後は宿を後にするだけ。
そう思い廊下へ出るが、そこには人影が待ち構えていた。
「まるで夜逃げね。まだ傷も塞がっていないんでしょ?」
「そういうハティアは、それを監視する取り立て屋か」
「監視してたのは、まぁあってるわね。アンタがいかにも考えそうなことだと思って、張ってたのよ」
僅かな光が差し込む廊下の壁に、ハティアは寄りかかっていた。
とてもではないが、ここの宿は星銀級冒険者が泊まるような品位ではない。
となると彼女がこの場所に来た理由は、大まかに推測できた。
俺の考えている事を、すでに把握しているであろうことも。
「このまま姿を消すつもりなんでしょ」
見透かされたように言われ、苦笑するしかなかった。
迷宮での一件から、俺がこの街に留まる理由はもうなくなっていた。
「俺がこの街に残っていたら、『勝利の号令』の調子も狂うだろ。せっかくの再始動だってのに」
「別にアタシはアンタ達の間にある確執も事情も、そこまで興味ないわ。だからその言葉に騙されてやってもいい。好きになさい」
呆れたように、ハティアは肩をすくめた。
その視線がどこか真意を探っているように見えて、思わず視線を泳がせる。
ただ夜の沈黙に耐え切れずに、思わず吐露する。
「ルリアは、故郷を取り戻そうと必死になってる。ダンジョンの出現で魔物の巣窟となった廃都『ミラ・レス』。あの街を取り戻すために、一緒に冒険者になったんだ。だが今の俺じゃあ、その力にはなれない。道具と工夫で誤魔化してはいるが、これ以上の戦いになったら俺は役立たずだ」
「つまり街を出るのは修行のためってわけね。けれどそこまでする理由がわからないわね。彼女はいったい、アンタのなんなの?」
「俺にとってルリアは、最後の家族だ。ならその願いを叶えたいと思うのは、おかしなことじゃないだろ」
答えに迷いはない。
血は繋がっていないが、血よりも濃い絆で結ばれた家族だ。
ならば、彼女の望みを……故郷の奪還を、手伝いたい。
俺の答えを聞いたハティアは小さく息を吐く。
そして懐から折りたたまれた羊皮紙を取り出し、俺に向かって放り投げた。
「なら、受け取りなさい。がむしゃらに戦ってちゃ、強くなる前に死ぬわよ」
「これは『燐光の召命』の紋章……?」
「個人的な推薦状よ。アタシは別件があって同行できないけど、メル・クラウスの冒険者ギルドに持っていきなさい。近々うちの主要メンバーが立ち寄るはずよ。その時に色々と融通を利かせてくれるわ」
羊皮紙には、間違いなく大陸最高峰のクランの魔力印が刻まれていた。
俺のような最下級冒険者が持つには、あまりに重すぎる代物だ。
「なぜ、そこまで俺を買ってくれるんだ?」
「単純な興味よ。青銅級の冒険者がどこまでいけるか。だからせいぜい頑張りなさい。上手くいけばアンタも『燐光の召命』に所属できるかもしれないんだし」
「それは……難しいかもしれないが、期待には応えられるように腕は磨いておく。それと、ルリアにはよろしくと伝えておいてくれ」
「その必要はないと思うけど、わかったわ」
「頼んだ。必ず戻る、と」
ハティアは再び壁に寄りかかり、道を空ける。
その目の前を通って、俺は夜の街へと歩みだした。
今はルリアの元を離れることにはなる。
だが心の中に誓う。
再び必ず、戻ることを。
◆
足音が階段の下へと消え、完全に聞こえなくなった後。
薄暗い廊下の奥に向かって、静かに声をかける。
「もう出てきても問題ないわ。盗み聞きする必要もなくなったでしょ」
「……私がいることに、気付いてたんですね」
「星銀級を舐めんじゃないわよ」
暗がりの中から、身を隠していたルリアが静かに姿を現す。
ジノアを見送るために、彼女もまた起きていたのだ。
その顔には、月明かりが生み出した物以外の影が見て取れた。
「あの様子だと、ジノアはダンジョンの出来事を……。」
「えぇ、覚えてなさそうね。両断されていた魔物を調べたけれど、やはり一撃で仕留められていたわ。状況からしてジノアがやったんでしょうけど、ただの青銅級冒険者が放っていい威力じゃないのよね」
「それも当然のことです。ジノアは本来、青銅級に納まる器じゃありません」
「いや、まぁ結果的にはそうだけど。アタシが言いたいのは――」
「わかっていますよ、冗談です。ハティアが言いたいのは、ジノアが振るったという謎の力の正体、ですよね」
最下層で確認された異常事態。
それは、あの謎の魔物が葬り去られていたことだ。
崩落の直後、意思疎通が取れたのはジノアだけだった。
そして救助されたときにはジノアと『勝利の号令』のメンバーふたりも気絶。
残された魔物の骸とそれと相対するような位置で倒れていたのは、ジノアだ。
導き出されるのは、ジノアが謎の魔物と戦って相打ったということに他ならない。
だが、それは青銅級という枠組みを遥かに超えた能力と功績だった。
問題は、それを本人が覚えていないこと。
そして――翡翠の泉が浄化され、最下層の環境が一変していたことだった。
それらに因果関係があるのかは不明だが、全くないと切り捨てることもできない。
全く持って、未知の能力。
ジノアはそれを手にしている可能性がある。
問題はジノア自身が、その能力に気付いていないということだった。
外見は青銅級冒険者だ。
だがその実は、星銀級でさえ見抜けない力を秘めている。
ジノアは大きな歪を残した冒険者と言えた。
だがそれを知らない状態で、ジノア本人は大きな決断を下した。
「アイツは不器用なりに覚悟を決めたみたいよ。そんな未知の能力の有無なんて関係なしに、自分を鍛えることを選んだ」
「前に進もうとしているんです。ジノアはいつも、悩んだらひとりで決めて行動してしまいますから」
「それだけアンタを信用してるってことじゃないの? 言葉がなくとも伝わるってやつでしょ」
「当然です。私達は唯一無二の家族なのですから。ですが、言葉が無ければ不安にもなります。私達は、家族なのですから」
月明かりがかげり、ルリアはジノアが使っていた部屋の扉を撫でる。
失われた温もりを探すようでもあり、あるいは過去を振り返っているかのようでもある。
確実に言えることは、ジノアがそうであったように、ルリアにとってもジノアが唯一の存在だったということだ。
しかしかげりが晴れ、月明かりが再び照らし出した時。
すでにルリアはドアの前から離れ、こちらを見つめ返していた。
その瞳の奥には、力強い覚悟が宿っている。
「ハティアさん、私達を鍛えてくれませんか?」
「アンタには『燐光の召命』への正式な推薦状は渡したはずでしょ。そのままギルドの階級が上がれば、おのずと目的は果たされるはずだけれど」
「それはギルドの階級を上げるための強さになってしまいます。ですが私の求めているのはもっと本質的な――困難を乗り越えるための強さです」
「ならなおさら、教えられるものなんて多くないわよ。そういうのは、死線を超えた時に理解するものだから」
「覚悟はしています」
「下手したら死ぬわよ」
「死にません。私はいつまでも、ジノアの期待を上回る存在でい続ける。これまでも、これからも」
「ならさっさと仲間達を集めてパーティを再編しなさい。アタシが次の街に行くまで、時間はないわよ」
「ありがとうございます、ハティア。この恩は、一生忘れません」
強い決意を秘めたルリアの表情を見て、ふと首を傾げる。
その表情、そして言葉の節々に見える言い回し。
とてもではないが、根っからの冒険者とは思えない。
微かな幻視を感じ取り、ふと問いかける。
「……聞きたいんだけど、アンタ、どこかで会ったことない?」
「さぁ? どうでしょうか」
微笑むだけで明言を避けるルリアに、それ以上の追及を諦めて肩をすくめた。
相手が語りたがらないなら、追及は無駄だろう。
今はルリアの素性を調べるよりも、することがある。
この新参者共に叩きこむことが、山ほどあるのだから。
◆
大通りを行き交うのは冒険者や行商人。
そんな彼等は飛び交う言葉に足を止め、品々を見定めている。
ポルトスでは見られない露店の数々を前に、感嘆の声が漏れる。
メル・クラウス、僻地にあるとは思えないほどに発展した都市だ。
いわゆる冒険者の街として知られ、いくつかのダンジョンを近隣に抱く。
そのダンジョンが順番に活性期に入ることで、常に街には冒険者があふれる。
そして冒険者の数相応に、冒険者ギルドの建物も豪奢で巨大だった。
「さすがに、ポルトスとは作りが違うなぁ」
大通りに面したギルドの建物は、見上げる程だった。
ただそれを眺めていると、冒険者達の視線が突き刺さる。
さすがに田舎者っぽかったか。
それとも胸元の青銅色のプレートが人目を引いたのか。
思わず荷物を背負い直し、ひとまず路地裏に入る。
このメル・クラウスの冒険者ギルドでは幼馴染が受付嬢をしている。
当初から多少関係はぎこちなかったが、彼女もすでに受付嬢という仕事に付いて数年だ。
仕事相手として接すれば、無碍な扱いは受けないだろう。
……おそらく。
俺も『燐光の召命』からの推薦状をポンと出してすぐに信じてもらえるとは思っていない。
むしろ青銅級の冒険者が持ち込めばひと悶着起こることは容易に目に見えている。
ならば問題を起こさずに、どうやって推薦状をギルド側に提出するか、だ。
鑑定士に頼んで本物だと保証してもらう。
あるいは実際に『燐光の召命』と面識のある人物に保証してもらう。
このあたりが妥当だが、あいにくとどちらにも心当たりがない。
「依頼で募集するか、街で聞き込みをするのもいいな」
できれば、こんな回りくどいことなどしたくはない。
焦燥感は日に日に増している。
もっと努力しなければルリアに並ぶなど、到底不可能だと。
だが絶対に、失敗もしたくない。
『燐光の召命』に所属できれば強力な支援はもちろん、能力を伸ばすための環境も格段に良くなる。
最高の環境で修練を積めば、当初の目的であるルリアと共に街を奪還することも、不可能ではない。
だからこそ推薦状が本物だと証明できるタイミングで渡すべきだ。
下手なタイミングで渡せば、問題が起こることは必至といえる。
「そうなると、ギルドで冒険者から直接当てを聞く方がいいな」
鑑定士などは引っ張りだこだが、だからこそ知名度も高い。
ギルドで手当たり次第に聞き込みをすれば、いずれ情報も得られるだろう。
そんな今後の算段と手続きをするための計画を立てていた時だった。
薄暗い路地の奥から、切羽詰まった声が響いてきた。
「た、助けてください!」
声の方へと視線を向ければ、身なりの良いひとりの少女。
息を荒くした彼女はそのまま俺の影に隠れるように身を寄せた。
「お、俺か!?」
正直に言えば、なにかしらの詐欺なのではないかと警戒していた。
だが柄の悪い数人の男達――装備からして冒険者が現れたことで、これが本物の面倒事なのだと理解する。
「ソフィール、お前のためを思って言ってんだ。いい加減に……。」
最後に姿を見せたのは、灰色の髪の毛の冒険者だった。
黒い瞳に俺を映したであろう瞬間に、眉間にしわが寄る。
「落ち着いてほしい。俺はなにも――」
弁解の言葉が口を突く。
いや、そもそもなぜ弁解しなければならないのか。
とっさに両手を上げて見せるも、相手側に俺の行動の意味は伝わっていなかった。
数人の男達はためらいなく腰から短剣を引き抜き、その切っ先を向けてくる。
「やれ。手違いで殺しても親父にもみ消してもらうから安心しろ」
「くそ! 都会の連中ってみんなこうなのか!?」
話し合いの余地は最初からなかったらしい。
飛び込んできた少女と言い、この冒険者と言い、都会は恐ろしい場所だ。
冒険者同士の武器の使用は禁じられてはいるものの、身を守るとなれば話は別だ。
ゆっくりと腰から剣を引き抜き、その切っ先を向ける。
たとえ青銅級冒険者の使う『下級剣術』であろうとも、短剣如きには負けない。
負けない、はずだ。
不安に駆られつつも覚悟を決めた、その時だった。
「待て」
路地裏に力強い凛とした声が響き渡った。
男達はその声に反応し、弾かれたように声の主へと振り返る。
「お、オーレリア。お前、依頼に出かけたんじゃ……」
「あぁ、昨日の内に全て終わらせて戻ってきた。あの程度の魔物など、相手ではない。それで、これから先は私が相手をするが、どうする?」
路地の入り口に立っていたのは、長身で金髪の女性。
銀色の鎧に身を包んだ、まさしく騎士と形容するのにふさわしい人物だった。
そしてその胸元では、白銀色のプレートが鈍い輝きを放っていた。




