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第五章:35歳の「父親」に連れられ逃亡した俺、そして女王がスラム街に降臨する件

レストランを出た頃、夜はすっかり更けていた。

路地裏は風の音だけが響き、ひっそりと静まり返っている。思わず身に着けたスーツの上着をきつく引き寄せ、まるで身を守るような仕草をした。


「車はあっちだ」

詩織はコートの襟元を整え、ハイヒールが地面を叩く音が閑散とした路地に響き渡り、まるでカウントダウンのようだった。


その瞬間、路地口から耳障りなブレーキ音が響いた。

神崎宗一郎が運転席から降り、ネクタイは緩められ、額には冷や汗が滲んでいる。三十五歳のその顔は街灯の光の下、焦りに満ちていた。


「詩織!」

彼は大声で呼びかけながら、視線はずっと俺に釘付けになっていた。



「あら、お忙しいお方じゃない」

詩織は優雅に振り返り、からかうような口調で言う。

「会社で残業するって言ってたんじゃなかったの?」


宗一郎は彼女の言葉を無視し、大股で俺の元へ歩み寄った。


「佐藤」

彼の声は掠れており、手を差し出す。

「俺と来い」


その瞬間、空気が凍りついた。

差し出された彼の手を見つめる。骨ばった指には、成人男性の力強さが宿っている。そしてさっきレストランで、ナプキンで俺の袖口を拭った詩織の冷たく強引な手が脳裏によぎる。


「宗一郎くん」

詩織は軽く笑みを浮かべ、怒る様子もなく悠然と袖口を整える。

「どうしたの?自分のおもちゃを取り返しに来たの?」



心臓が激しく鼓動し、頭の中は真っ白になる。

行くべきか、残るべきか。


「佐藤」

宗一郎の低い声には、微かな懇願が滲んでいた。

「彼女に流されて、なりたくもない自分になるな」


埼玉の雨漏りするボロアパート、コンビニの冷たいおにぎり、来月の家賃のために登録せざるを得なかったアプリのことが次々と浮かんでくる。


彼女の元にいれば俺は「コレクション」、宗一郎と行けば俺は「貧乏人」。

だけどもう、しわくちゃなシャツを着るのも、息が詰まるようなステーキを食べるのも嫌だった。


「いい」

乾いた自分の声が耳に届いた。


俺は足を踏み出し、詩織を無視してまっすぐ宗一郎の元へ向かう。予想していた引き止める手は現れなかった。彼女のそばを通り過ぎる時、彼女は手を伸ばすことすらせず、ただハイヒールを地面に突き立て、あの不気味で特徴的な笑みを浮かべて立っているだけだ。


「ふん」


微かな鼻歌のような吐息が漏れ、まるで決まりきった悲劇を眺めているかのようだった。



宗一郎は勢いよく俺の手首を掴み、驚くほど強い力で黒い車へと引きずっていく。

車のドアが閉まる瞬間、窓ガラス越しにまだそこに立つ詩織の姿が見えた。怒ることも追いかけることもなく、ただ微笑みを浮かべ、檻から逃げ出しながらも絶壁へ向かう鳥たちを見送るようだった。


「走れ!」


宗一郎はアクセルを踏み込み、車は東京の夜の闇へと飛び出した。


車はひたすら走り続け、二人の間に沈黙が流れる。

銀座を離れ、街の明かりが次第に少なくなり、古びた街並みが広がり始めて、宗一郎は先ほどの衝動から少し冷静になったらしい。横目で俺を眺め、複雑な眼差しを向ける。


「……家に帰るか?」

少し強がるような口調で遠慮がちに問いかける。


「うん」

見慣れた荒れた街並みを眺め、張り詰めていた心の糸が少し緩んだ。


埼玉の端にある十畳ほどの激安アパートに着いたのは真夜中だった。

鍵を取り出し扉を開けると、錆びた鉄扉が耳障りな音を立てる。部屋には暖房もなく、古い布団が一枚転がっている。高級スーツを着たままベッドに倒れ込む。


その瞬間、虚しさが押し寄せた。

詩織の元から逃れはしたが、安心感など微塵もない。

ただ華やかな籠の中から、風の通り抜ける粗末な巣窟に逃げ帰っただけなのだ。



翌朝。

寒さで目が覚めた。

窓の外はどんよりと曇り、陽の光など差さない。

薄い布団に身を縮め、昨日着たままの高級スーツを身にまとっている。上質なカシミアの肌触りが、この古びた部屋の中では皮肉にしか感じられない。


トントントン。


控えめでリズミカルなノック音が響く。

静かな朝の中で、まるで雷鳴のように響き渡った。


慌てて起き上がり、心臓が喉元まで上がってくる。

こんな場所に来るのは、家賃催促の大家くらいしかいないはずだ。


素足で玄関へ行き、ドアスコープから外を覗き込む。

暗い廊下の人感センサーライトの下に立っていたのは、神崎詩織だった。


相変わらず端正に仕立てられたスーツに、切れ味のあるハイヒールを履き、埃とカビの臭いが漂う激安アパートの廊下に佇む姿は、落ちてきたダイヤモンドのように眩しく、目を細めずにはいられない。


彼女は苛立つ様子も怒る様子もなく、古いダンボールのそばに優雅に立ち、上品な紙袋を手に、古びた鉄の扉を穏やかに見つめている。


「悠真くん」

扉越しに届く彼女の声は、子供をあやすように柔らかい。


「起きてる?お姉ちゃん、朝ごはん持ってきたわ」


俺は必死に口を押さえ、声を殺す。

どうしてこんな場所まで辿り着いたのか。

無理やり連れ戻さず、こんな優しくノックしてくる理由は何なのか。


玄関の外で詩織がそっと笑みを浮かべた気配がする。


「中にいるのは分かってるわ」


指先で鉄の扉をそっと叩き、金属の澄んだ音が響く。


「昨日は逃がしてあげたけど、それは私の不手際だったわ。でもね……」


彼女の声が一瞬途切れ、確信に満ちた余裕な響きに変わる。


「こんな服を着て、こんな場所で寝たところで、私から逃げられると思ってるの?」


「開けてよ、小さな悠真くん」


「美味しいパンを持ってきたし、それに……きちんと話し合わなきゃいけないこともあるもの」

「第5章に不備があり、修正いたしました。ご容赦ください。」

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