第三章:三十歳女王に無理やり「殻を剥がされた件」
1.
朝食が済むと、神崎宗一郎はまるで逃げ出すように家を離れた。
リビングには再び静寂が訪れる。
「よし」
詩織は手際よく食器をシンクに押し込み、振り返ってアイランドカウンターを指で軽く叩いた。
「服が似合わないし、目障りだ。それに、あのシャツも……」
「い、いいです!本当に要りません……まだ今の服で着られます」
私は思わず胸元を覆った。
「まだ着られる?」
詩織は軽く笑い、ゆっくり歩み寄ってくる。その影が私をすっぽり覆う。
「佐藤悠真、勘違いしないで。昨夜から、もう君は昔の君じゃない。私があの役立たずな男の手から『救い出した』存在なの。ちゃんと、私の前にふさわしい姿になってもらう頃合いだと思うわ」
彼女は手を伸ばし、指先がもう少しで私の鼻先に触れそうになる。
「靴を履き替えなさい。今すぐ、即行で、私と出かけるわ。最初の目的地で、内面から外面まで一新させてあげる」
2.
銀座の通りは、日差しが少し眩しい。
私は操り人形のように詩織の後ろをついていく。
彼女はハイヒールを履き、足取りは軽やかながら、否応なく従わせるような断固たる雰囲気を纏っていた。私たちは内装が柔らかく落ち着いたブティックに入る。店内には淡い香水の香りが漂い、マネキンに飾られているのはどれも……とても華やかで女性らしい洋服ばかりだ。
私は入り口で固まり、頭皮がぞわぞわする。
「神崎……奥様?」
「悠真くん、お姉さんって呼べばいいわ」
詩織は振り返り、瞳に不思議な輝きを宿す。
「悠真くん、今まで苦労してきたのは分かってる。少し……変わった趣味があるのかもしれないけど、大丈夫。私は差別なんてしないわ。宗一郎も、多分君のその独特な『雰囲気』に惹かれたんでしょ」
彼女は有無を言わさず私を試着室に押し込んだ。
「目障りなシャツを脱ぎなさい。サイズを測ってあげる」
詩織は巻尺を持ったまま、試着室の中に入ってきた。
「だ、駄目です!」
私は必死に胸元を押さえ、声まで震えている。
「こんなサイズ、測らなくてもいいです!」
「測らなくてどうするの?冗談じゃないわ、悠真くん。ちゃんと採寸しないと、お姉さんがぴったりの下着を買ってあげられないでしょ。もう、恥ずかしがらないの」
詩織はくすくす笑い、柔らかい声が蛇のように私にまとわりつく。
「女の子が可愛い下着を着るのは当たり前でしょ?それとも……本当に恥ずかしいの?じゃあ店員さんに手伝ってもらう?」
3.
その瞬間、私はまな板の上でさばかれる魚のように、為す術もない気分になった。自分の秘密が暴かれようとしている。
「脱ぎなさい」
彼女の声が冷めた。
「それとも、私が手伝ってあげようか?」
歯を食いしばり、屈辱感が潮のように頭まで押し寄せる。
私は震える手で、安物のボタンを外した。しわくちゃなシャツが肩から滑り落ちると、詩織が小さくため息をついた。
「やっぱり……」
その声は鑑賞家のようなからかいを含んでいる。
「想像以上に肌が白いし、骨格も華奢だもの。あのバカ男が夢中になるのも納得だわ」
私は固まったまま、動くことも喋ることもできない。
俺は男だ。顔立ちは整っているけど、れっきとした男なのに。
だが今の詩織の目には、俺は特殊な趣味を持つ美しい「女の子」にしか見えていない。
4.
「手を上げなさい」
詩織はいつの間にか私の背後に回り、持っていた巻尺を胸元に回し、きつく巻きつけた。
思わず後ろに下がり、背中は冷たい壁にもたれる。
「何を怯えてるの?」
彼女は一歩近づき、その圧迫感に息が詰まりそうになる。
「振り返りなさい」
私は否応なく振り返り、背中を彼女に向けた。
彼女の指先が背中をなぞる感触が伝わり、鳥肌が立つ。肩幅を測っているのか、それともただ支配する感覚を楽しんでいるのか。
「ふん、やっぱりまだぺったんこだわ」
少し残念そうに評する。
「悠真くん、全然発育してないのね。厚手パッド入りを買わなきゃだめかしら」
その刹那——
詩織の動きが止まった。
空気が急に静まり返る。
いつも笑みを絶やさない彼女の瞳に、初めて亀裂が走った。怒りではない。欺かれ、弄ばれたような衝撃、そしてその衝撃は瞬く間に、もっと深く危険な昂奮へと変わっていく。
「……ふっ」
短い笑い声が漏れる。
「なるほどね」
彼女は私の正面に回り込み、メスのような視線で私をじっくり観察する。
「女の子じゃないのか」
指先は離れず、かえって背中のラインに沿ってゆっくり滑り落ち、まるで新しく見つけたコレクションを撫でるようだ。
指は止まらず、詩織はさらに下へと指を滑らせ、下腹の下まで届こうとしている。いや、勘違いじゃない。詩織の指はもうすぐそこまで来ていた。
何か行動しなければならないのは分かっているのに、体は硬直して動けない。
「もう下にはやめてください、神崎奥様!」
全身の力を振り絞り、言葉を絞り出した。
詩織は動きを止める。
「男の子なのね……この骨格、このくびれ……」
独り言のように低く囁く。
「女装を着せたら、もっと面白いに決まってるわ」
彼女は勢いよく顔を上げ、瞳は恐ろしいほど熱を帯びている。
「そっか、悠真くんは女の子じゃなかったのね。宗一郎のバカが知ったらどんな顔するかしら。安心しなさい、悠真くん。男だろうが女だろうが、お姉さんは区別なんてしないから」
詩織は優しく微笑んだ。
「ごめんね、悠真くん。服を選び直さなきゃ。でもこの体型、女の子にならないのは勿体無いわ。やっぱりお姉さん、女装一式買ってあげる」
言い終えると、詩織は勝手に試着室を出て服を選び始めた。
俺は魂を抜かれた人形のように試着室に座り込み、詩織による俺の「改造」を待つしかなかった。
5.
しばらくして、私と詩織は女性服ばかりのその店を出た。
「次は男装を買いに行くわ、悠真くん。私好みの少年にコーディネートしてあげる」
その後一時間は、まさに「殻を剥がされる」拷問のような時間だった。
女装の誤解が解けた分、詩織はさらに遠慮がなくなった。
彼女は品定めするような視線を隠さず、直接手を出して襟元を整え、ウエストのラインを調整してくる。
「これはバージンウールだわ」
肌触りの極めて柔らかいコートを指して言う。
「男の子だけど肌がこんなに瑞々しいんだから、最高級のものを着せなきゃ」
そしてズボンを指し示す。
「カシミア混紡よ。この素材は着てるのを忘れるくらい軽くて、つい愛でたくなるような少年の君によく似合うわ」
私は魂のない人形のように、彼女の言いなりになる。
鏡に映る少年は濃い紺色のカジュアルスーツを着こなし、端正で颯爽としているのに、生気だけが抜け落ちていた。
詩織は私の後ろに立ち、両手で私の腰を抱きしめ、肩に顎を乗せる。
「ほら、これこそ似合う姿よ」
鏡越しに私に笑みを向け、その笑顔は先ほど俺が男だと分かった時よりも妖艶だ。
「男だろうが女だろうが、今の君はもう私のコレクション。それに……男の子なら、壊れる心配もしなくていいでしょ?」
6.
店を出た時、私はまるで別人に生まれ変わっていた。
両手いっぱいにショップバッグを提げ、その中には過去の貧しい自分と、今の「獲物」という仮面が詰まっている。
夕陽が傾き、ガラス張りのビルに映る新しい自分は、高級感に溢れ、ラグジュアリーで欠点一つない。
だが私は分かっている。
昔、安アパートに住み、ただゲームをして学費を稼ぎたかった佐藤悠真は、この三十歳の女王に、内面から外面まで完全に消し去られてしまったのだ。




